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大学時代に書いた小説を晒してみる『メアリーの世界』

文章を書くサークルに入った。

ほんと調子に乗っていたんだと思う。なにせ、それまで作品を書いたこと(タイトル決めて、頭から最後までちゃんと書き切ることを指す)はたったの二回しかなかったんだから。

同期含め、先輩たちはスゴかった。文学や出版・編集に関する学科もあったので、ほんとうに「本」という媒体が好きで、その表現に魅力を感じているんだなぁ。と思う人ばかりだった。
それぞれに作風やテーマがあり、実に個性的な集団に出会えたと思っている。私にとって、忘れられない素晴らしい思い出だ。

そんな中、私が(たしか2作目だったかな...)書き上げたのを本記事で晒す。

あの頃に私が持っていたテーマというのは「思考実験」だった。
「テセウスの舟(同一性のパラドックス)」とか「トロッコ問題」とか「スワンプマン」とか、あーいうやつね。

そういった形而上・論理上の問題に、物語を組み込むこと。キャラクター、世界設定、会話劇、そして「感情」を取り入れることによって、

「記号的」な文章上の空想問題 →「人間的」な文学上の架空世界

こうした転回を施したら、おもしろい作品になるかなって思ってた。
そんな制作背景がございまする。

例によって、校正も手直しもあのころから一切行わない。
だが、ひとつ調子こいたことをいわせていただこう。


......個人的に、けっこう出来が良いと思ってます。


タイトル『メアリーの世界』(7935文字)

「あ、フランクさん。こんにちは」


ドアを開けた先の部屋で、少女はいつもと変わらない可愛らしい顔で私にあいさつをした。この笑顔を見ると、私は毎回つられて口元を緩ませてしまう。


「やぁメアリー、今日も元気そうだね。何かいいことでもあったのかい?」
私が質問すると、少女メアリーはうなずき答える。
「そうなの! あのね、もうじき私の誕生日だからプレゼントに何をもらおうか考えていたら、今年の誕生日プレゼントはお母さんがくれるって話を教えてもらったの! だから誕生日が楽しみでしょうがないの」
「おお、それは本当かい? 良かったじゃないか。大好きなお母さんからプレゼントがもらえるなんて。メアリーが嬉しそうなのを見ていると、私もなんだか嬉しくなってしまうな」
「ありがとう、フランクさん」


メアリーはにっこりと答える。私とメアリーは他愛ない話を、時折笑い合ったりなどして、楽しく語った。


―――数分後。


「さて、そろそろ時間だ。楽しい話がメアリーとできてよかったよ」
「私もよ、フランクさん。またね」
小さな手を振るメアリーを背に、私は彼女の部屋を後にした。
 部屋のドアをしっかり閉めた後、メアリーの前で見せた笑顔を、私は続けられなかった・・・。


 いや、正確には見せていない笑顔を。



 メアリーはもうじき十歳になる少女だ。艶やかな黒髪と、明るい笑顔がすてきな可愛らしい少女だ。絵を描くことが好きな子で、よく自分の部屋で楽しそうにスケッチをしている姿が見られる。運がいいとその絵を見せてもらえるが、最近見せてもらえたのは、ラベンダー畑の絵だった。部屋の本棚にある資料を模写したものだという。あのときの彼女はとても楽しそうに語ってくれた。いつかこんなすてきな花畑にいってみたいと。色とりどりの花々に囲まれてみたいと。


 だが実際には彼女の目に色は写っていない。メアリーは生まれながらの色盲だった。とても極度なもので、彼女にとってこの世界は白黒の濃淡で描かれているものであり、それが普通だった。彼女にとっては『赤』も『青』も『緑』も『黄』も、白と黒の濃淡でしかない。彼女には色彩豊かなゴッホもムンクもモネも、『ゲルニカ』の色使いと変わらない。


 いや、少し違う。メアリーは確かに“色”が見えないが、“色”について知らないわけではない。例えば、メアリーはリンゴが赤いことを知っている。空が青いことを知っている。森が緑なことも知っているし、それがいずれ茶色に枯れることも知っている。もちろん、虹が七色であることも知っている。メアリーは色についての知識は人並み以上にある。さきほど彼女に部屋の本棚には、資料があるといったが、そのほとんどが高度な“色”に関する学術書と写真集と目まぐるしいほどのデータのファイルだ。『赤』について質問をしてみると、それがリンゴの色で、情熱の色で、どうスペクトラムに分解できるか、ということを説明できるほどにメアリーは“色”について知っている。 

 私は研究所内のカフェテリアにいた。メアリーの部屋の階からエレベーターで四階上がったところにある。最近は彼女に会ってからここに来ることが多くなってしまった。悩ましい気持ちになってしまう。私は手にしたカップのコーヒーで、そんな気持ちを流し込もうとしていた。
「お? またここにいたのか。色男」
後ろから聞き慣れた声がした。振り返るとそこいたのはやはり、同僚のジャックだ。茶色がかった短髪と、黒いスーツから見える青いネクタイ。見飽きた彼のいつもの服装だ。
「今日もまたメアリーにご指名されたそうだな、フランク。ほんとお気に入りになっちまったよな、おまえ」
「気に入られたら気に入られたで辛いさ。もうじき十歳の誕生日なんだって喜んでた。楽しそうな彼女に対して、私は素直に喜べないよ」
私は深くため息をついた。気分が落ち込んでいく。
「おまえは考えすぎなんだよ。別におまえはあの子の父親でもないんだし、ただの仕事上の関係だろ。愛想良くしてたらいんだよ。まぁ、それにしたって気に入られすぎてるかも知れないけどな」
そういうとジャックは、コーヒーを買いに少し席を外した。また一人になった私はもう一度、深くため息をついた。


 『仕事上の関係』と私の同僚は言った。簡単に言い切ってしまえば私とメアリーの関係はそのとおりだ。だからこそ私は九年以上も彼女と関わっていくことができたのかもしれない。
 彼女の母親の話をしよう。名前はマリー。科学者だ。脳神経、特に認知の分野では若手の星のような存在だ。大学時代から今の分野に興味があったらしく、今までに三つの論文が学会で大きく取り上げられた。研究意欲が尽きない、まさに研究者といった人だ。
そして現在行っている研究は、今までの研究を超える傑作となり得ると自他共に話題だ。


【Mary Project】

 長期にわたって行われる計画実験。対象である人物を人為的に認知操作することで、脳の認識における内感覚的部分を証明させようとするプロジェクトだ。多くの研究者とマスメディアが関心を寄せる中、彼女は極秘裏にこのプロジェクトを進める方針を立てた。今から約十年前のことだ。


 彼女が研究を極秘に進めていこうとした最大の理由は、『倫理』の関与がある。研究対象が人物であるために、少なからず倫理的配慮をとらなければならない。彼女はそれにより研究を少し曲げなくてはいけない事を示唆し、非公開での研究を決定した。さらに研究対象は、外部との接触を危険視したため、『募集』ではなく『生産』することにした。


 それがメアリーだった。
 彼女は生まれながらに実験対象だった。いや、ただ実験対象でしかなかった。母親であるマリーは、自分のDNAサンプルを性細胞化。人工授精により単独妊娠。数ヶ月を経て腹を痛めて産んだ愛すべき一人娘を「メアリー」と名付け、研究室という名の部屋で育て始める。メアリーは生涯その部屋で育つことになった。家具も食事も生活支援も不自由なく育てられた。母親としての愛か、それとも研究者としてのプライドか、メアリーは文字通り「大切」に育てられた。ある条件付きでだが……。


 初めてメアリーに会ったのは、彼女が四歳の時だった。母親が研究者であるため、世話係が必要だったわけだ。私を始め、ジャックの他同僚は九名。毎日決められた時間に彼女と対面し、要望や記録などを行っている。(数少ない協力者である私たちは元々囚人だったわけだが、模範囚が功を奏し、刑期短縮の条件で協力をしている。)


初めて彼女に会ったときに話を戻す。メアリーの部屋に入る際は専用の服がある。非常に薄い素材でできた全身を覆うような物で、動くぶんにも肌触りも着る前と変化はないスムーズな服なわけだが、それを着ると光学スペクトルが特殊な反射をされ、見た相手の視覚情報が操作される。簡単に言うと、相手からは白黒に見えると言うことだ。だから今もそうだが、私たちはメアリーに素肌を見せたことがない。服も、肌も、顔も、白黒のフィルターを通してメアリーには映される。


疑問がわくだろう。色盲の人物の前でわざわざ白黒に見られるスーツを着る必要はあるのか? と。もう少し説明をさせてもらう。スーツを着た後、彼女の部屋に入ることが許可される。最初に彼女の部屋に入ったときは目がおかしくなりそうだった。ベッドの上に幼い少女が一人、緊張した様子でこちらを見ていたが、私は彼女よりも部屋の方に目を移していた。移さずにいられなかった。


“色”が無いのだ。壁や誕生、床から家具から何までも白黒なのだ。ただ、メアリーだけがその部屋では色を持っていた。
「だ……誰ですか? 」
メアリーは小さな声で私に聞いてきた。それが初めて聞いた彼女の声だ。
「やぁ、はじめましてメアリー。私はフランク。今日からお母さんの代わりに何度か君のお世話をするために来たんだ」
私の説明の後、少し間を開け、メアリーが聞き返す。
「お母さんの代わり?」
「ああ。お母さんはお仕事の関係でここに来られる日が少なくなってしまったんだ。寂しくなってしまうけど、私が何でも聞いてあげるから。怖がらないで安心して欲しい」
メアリーは私に対しての緊張をなかなか解かなかった。今まで母親一人に育てられてきたから無理もない。見ず知らずの、しかも赤の他人がその母親に成り代わってしまうわけだから。
「お母さんの、お友達なの? 」
おどおどした様子でメアリーが聞いてきた。
「そうだなぁ。お友達に近いかも知れないかもね。上手に言えないけど、少なくともお母さんにお願いされているから、知り合いではあるかな」
「そう、なの」
そう答えたときのメアリーは、少し落ち込んだように目を落としていたように感じた。彼女が母親に対して、強い信頼感をおいていることを少しだけ感じた瞬間でもあった。
「少し質問をしてもいいかな」
気まずい空気は彼女に悪いと、私は切り出す。
「……なに? 」
「君はこの部屋でずっと暮らしているのかい?」
彼女に聞いてみる。私は彼女に会う以前からこの実験の記録処理を行っていたため、この部屋で今まで過ごしてきたことは当たり前だが知っている。それを踏まえて私は彼女に聞く。
「うん。ここは私とお母さんの部屋なの」
なるほど。彼女にとってこの場所は母親と共に暮らしてきた部屋、という感覚なのか。
「今までに困ったことや大変だったことはあるかい?」
私はさらに質問する。
「ううん。お母さんが何でもしてくれたから。このお布団も本棚も机も、お母さんがくれたの。わたし、このお布団が好き。このお部屋も好き」
母親の話をしていくうちに、彼女の表情が少し緩んでいくふうに見えた。
「そう、なんだね。メアリーはお母さんが大好きなんだね」
「うん」
動揺を隠せない体験だった。その異常な空間もさることながら、その少女がその異常な空間に何の疑問も持っていなかったことがだ。また母親への愛から見て取れる、その純粋さにも驚いた。彼女は今まで白黒の部屋で生きてきた現実を疑うこともせず、当たり前に思っている。その『作られた現実』を。


メアリーは実のところ、色が見えるのだ。我々と同じく『赤』も『青』も『緑』も見ることができるのだ。豊かな色彩感覚も、美しい風景に感動することも、彼女は持ち得るのだ。だがメアリーは今まで白黒しか見てきてないのだ。白黒の世界しか見せられてきてないのだ。メアリーの母親の研究とは、人為的に人を色盲にさせる人体実験の研究だったわけだ。私はこのことを、研究に参加する時点で十分聞いていたし、注意点も禁止事項も詳しく説明されていた。だが実際、メアリーを前にしたとき、とてつもなく複雑な気持ちになってしまったことを、私は今でも鮮明に思い出せる。
「じゃあ今日はこれで帰るね。また来ることがあったらよろしくね。今日はありがとう」
メアリーに初めて会ったとき、そういって私は部屋を出たが、出た途端に私を襲ったのは、罪悪感や葛藤のような、鉛のような重圧だった・・・。


 それからメアリーの部屋には何度も訪れることになった。私は昼間の時間帯の担当だったため、会う機会も呼ばれる機会も自然に増えていった(それでも相手は年頃の少女だ。仲が深まるには少々時間がかかった)。合う度合う度、メアリーとは様々な話をした。それは彼女の要望を聞いたり、その日の健康や精神の状態を聞くような仕事上の話の他、楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと、感動したこと話など数え切れない。メアリーと会うことは私も楽しみだったし、メアリーも楽しみにしていたそうだ。そのせいか、夜の時間帯担当のジャックの当番を代わることがしばしばあったけれど、メアリーと会うことは何ら苦ではなかった。


 
 メアリーと会うことはたしかに苦ではない。部屋で彼女と話しているときは、世話係のフランクとして振る舞えるからだ。彼女はそれを疑わないし、その関係も同様に疑おうとしない。辛いのは会っていないときだ。そのときは世話係のフランクのベールは剥がれる。
私は彼女に隠しているものが多すぎる。立場上、自分についての情報を伝える際には制限がかかるし、個人的な感情や勝手な行動もとることがあまりできない。実験についてもそうだ。彼女が信じているこの世界が作られたものであり、本当は普通の少女として生きていけたはずな事も、私は隠してしまっている。母親のことだって。


いずれ伝えなければいけなくなったとき、私はきっと耐えられないだろう。そんなふうに私はまだ考えていた。



そういえば、メアリーは今年の誕生日が楽しみだと言っていた。あの部屋での数少ないイベントであるから当たり前か。彼女にとってはそれに加え、大好きな母親と関われるチャンスでもあるからなおさらだ。毎年毎年、母親であるマリーはメアリーに対しお祝いの言葉や手紙を伝えている。我々職員を通してだが。去年はビデオレターだったか。あの時のメアリーの笑顔は強く印象に残っている。
メアリーは誕生日を早く来てくれないかと待ち遠しくしている。その気持ちと反比例するように、彼女の誕生日を迎えたくはなかった。今までのお祝い事や記念日ならば、メアリーと一緒にわくわくしながらその日を待てただろう、きっと笑顔で。だが、今年は・・・・・・。


メアリーの誕生日のちょうど一ヶ月前。彼女が今年の誕生日プレゼントを母親からもらえることを知る前、我々はその母親マリーから、今年の『誕生日プレゼント』について説明を受けていた。会議室で私とジャックの他九名の職員は説明を聞く。
「集まってくれてありがとう。早速だけど今年の五月十三日。この実験の大きなアプローチを行うわ。私の実験は最終段階に入り、実験体メアリーはついに真実を知ることになる。みんなも役目から解放されるわ。いずれ詳しく日程を出すことになるから、よく読んでおいて」
説明を終えると、母親は会議室から出て行こうとした。ジャックが話しかけてきた。
「おい聞いたかよ。やっとこの仕事から解放されるってよ。長かったよな、この九年。いやー、おまえもやっと面倒な役を終えられるな。って、おい?」
ジャックの話はほとんど聞こえなかった。私はただ、母親を追いかけて会議室を出た。そのときの足は少し震えていた。
「マリーさん! 待ってください、少し聞きたいことが」
走って追いかけ、なんとか呼び止めることができた。
「なにかしら」
私は動悸の激しさ、息の切れている理由をを走っていたせいにして彼女に聞く。
「その、さっきの話だと、メアリーに真実を伝えるってことでしたが……」
「そうよ。何も問題が無ければこのまま実験終了まで進めていくつもりよ。何か問題が?」
淡々とした彼女の返しに、私は言葉が詰まる。
 なにを私は怖がっている? 何を恐れている? 私はただの関係者で、この実験の中では実験体の世話係で、元々自分の刑期短縮に惹かれて行っていただけで、ただそれだけの理由なだけで、むしろやっと終えられるのだ。マリーに「いえ、何も……」とだけ言って私は踵を返した。


なのに。もうあの実験に関わらなくてもいいのに。他の奴らと同じようにやっと終えられることを喜べばいいのに。できない、それができない。だって、もう。
「お、いたいた。どうしたんだよ急に。ずいぶん慌ててたみたいだったけど」
ジャックが追いかけてきた。
「メアリーのことで何か思ってんのか? 考えすぎるなよ、辛いだけだぞ。ほら飯食い行こ、気分変わるかもしれないぞ」
ジャックに誘われるがまま、私は歩いてく。


五月十三日。メアリーの部屋の前でスーツを着終わった私は、部屋のドアを開けれずにいた。何かが私を止める。この扉を開けてしまえば、さらに辛くなるだけだ、悔いや罪悪感が強くなるだけだ、と。このまま、時間が止まらないかとも考えた。ドアを開けたいはず、メアリーにいつものように会いたがっているはずなのに、考えているのと逆に体は反応する。

「あら、フランクさん。来てくれたのね!」
「あ、ああ。もちろんだよ、お祝いの日だからね。メアリー、お誕生日おめでとう」
この数秒で、ドアを開けた後悔は考えたくなくなっていった。無理にでも考えたくなかった。
「ありがとう! 今日一番最初にお祝いしてくれたのはフランクさんよ、なんとなくそんな気はしてたけどね」
「はは、そうかい。なんか照れてしまうな、はは」
「うふふ」
いつものように、私とメアリーは話す。
いつものように。いつもの笑顔で。気づけば二十分経っていた。
「フランクさんはいい人よね、いつも楽しくお話ししてくれるし、お願いもたくさん聞いてもらえるし、今日だって一番最初にお祝いしてくれた。いろんな人がお部屋に来てくれるけど、わたしはフランクさんが一番よ」
笑顔でメアリーは言ってくれた。いつもの笑顔で言ってくれた。
「ありがとう、メアリー」
スーツの下で、私の胸は締め付けられていた。やはり予想できたとおりだ。私にこの現実は、辛すぎる。
「な、なあメアリー。もし色が見えるようになったらどう思う?」
「え?」
この質問は、実験上タブーとされていた。実験後の反応に影響する可能性があるからだ。それを知ってて私は聞いた。
「どうだい?」
「うーん」
メアリーは考えをまとめながら答えた。
「そうね、もし色が見えるようになったら嬉しいかも。だって大好きなお母さんやフランクさんみたいないい人と同じように物が見えるわけでしょ? 目が治ることより、私にはそれが嬉しく感じちゃうな。やっと同じようになれたみたいで」
私は彼女の答えを聞くと、さらに胸が締め付けられた。ちがうんだメアリー、私は、私たちは君の思っているような……。
「メ、メア」

バタンッ。ドアが開いた。振り返ってみると、そこにいたのは。
「え?」
メアリーの方を向き直すとドアの方を向いて固まっていた。私は、その顔を見続けられなかった。
「メアリー。お誕生日おめでとう。あなたは今、真実を知るわ。さあ、何を思うかしら」

母親、マリーは説明しながら部屋に入ってきた。スーツは着ていない。手にはこの部屋に初めて外部から持ち込まれた物である、色とりどりの花束を抱えている。目に入る赤、黄色、緑、紫、ピンクといった「色」の数々。当たり前だが、この部屋では嫌でも目に入るほど目立っている。
「職員フランク。最後の面会業務ご苦労でした。後のことは私に任せてもらいます。では、あなたは退室してください」
私は、ただ従うしかなかった。言われたとおり部屋を出る。ドアに向かう私の後ろで、最後にメアリーの声が聞こえたが、何を言っていたかは聞き取れなかった。私は、ドアを閉めようとした。
「フランクさん!」
メアリーが叫ぶ。最後に私はメアリーの顔を見る。私の顔をまっすぐに見つめている。彼女は何も信じられないような顔をしていた。この部屋も、今までのことも、大好きだった母親のことも何もかも。私を見つめるその顔は、最後に希望を託すような、すがるような様子だった。
 私は頭の後ろに手をやると、顔を覆っていた薄いスーツを破った。初めて見せた、本当の私。本当の色。恐ろしいほどに静かな数秒後、メアリーから目を背けるように、私は部屋を出て行く。


部屋から出た後、閉められたドアの向こう側で、かすかに聞こえる少女の泣き声。喜び、悲しみ、怒り、憎しみ、複雑な感情が交じった声。私が聞いたメアリーの最後の声だった。
 廊下を歩きながら、私は思う。私はメアリーに隠していることが多すぎた。隠していた闇が大きすぎた。短い間だったが、大好きだった彼女へ最後にしてあげられたことが、辛い現実を受け止めさせることだけだったなんて。
 

廊下の壁により掛かり、むせび泣き叫ぶ私には、世界がにじんで見えた。


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