「僕が話すことに意味はないので」
「僕が話すことに意味はないので」
この言葉は僕のメンターがよく言っていた言葉です。ちなみにそのメンターはセミナー講師です。コーチングを人に教えることが仕事です。
そんな人が、自分が話すことに意味はないと言っているのです。普通に考えるとおかしいですよね。だけど、毎回セミナーの冒頭でこの言葉を言っていたように思います。
初めてこのメンターのセミナーに参加したときは、「えっ?何を言っているんだろう?」って正直思いました。だけど、よくよく話を聞いていくとこの言葉の意図がわかりました。
どういうことかというと、セミナーというのはセミナー講師が話す言葉に価値があるのではなく、参加者がその話を聞いて自分の課題解決や人生を前に進めることに意味があるということなんです。
なので、セミナーの冒頭で合わせてこうも言っていました。
「今日のセミナー終了後に得たい結果は何ですか?」
このメンターは、常に参加者の課題解決にフォーカスしていました。参加者の人たちの人生が少しでも良くなることに、得たい結果を手にすることに、それだけを考えていました。
なので、セミナーで話すこと自体には意味はないと言っているんですね。あくまでも参加者の人たちの人生が前に進むことに意味があって、自分はそのためのリソースだということです。
このメンターは一言でいうと与える人です。常に参加者を見ていました。参加者の人生がより良くなることだけを考えていました。相手を理解することにフォーカスし、自分ができることで相手の求めるものを惜しげもなく提供する人でした。
もちろんメンターが話すことは、心に響くことがいっぱいありました。「僕が話すことに意味はない」というのは、僕からすると全然そんなことないって思うんですが、メンターの意図としては、僕の心に響いたというそこに意味があるということなんでしょうね。メンターの言葉自体はそのきっかけに過ぎないということだと思います。
このメンターの言葉が最近になって少しわかってきたように思います。僕が書いているこのnoteも意味はないんです。読者の人たちが僕のnoteを読んでくれたときに、それぞれ感じることに意味があるんですね。
noteを書くときって、読者の人を勇気づけたいとか癒したいとかそういう思いを持って書いていますが、仮に僕のnoteを読んで勇気づけられた人がいたり、癒された人がいたりしても、それは僕の書いたnoteに意味があるのではなくて、その人たちがそう感じたことに意味があるんですね。
僕のnoteはあくまでもそのきっかけなんです。
だけど、それでいいんですね。
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