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大人になると遊ぶにも理由が必要になる

大人になると純粋に遊ぶことが難しくなるような気がします。何かをやるにも理由がいるんですね。

友だちとお茶をするのにも、お互いを高めるためとか、ビジネスのアイデアを得るためとか。僕は去年の8月からボルダリングを始めたんですが、それだって健康のためという大義名分があったりします。

それはそれで事実ではあるんですが、ただおもしろいからやる、本来はそれだけでいいのではないかとも思います。

遊びというのは何かしら理由や目的があるものではなく、遊ぶこと自体が目的だって以前何かの本で読みました。ほんとそうだと思います。

遊びには、効率的とか効果的とか、そんなんいらないんです。行ってみたいから出かける。1人だとつまんないから友だちに連絡してみる。それだけでいいと思うんです。

なのに、遊びは何も生み出さない、時間の無駄だ、大人になるとなぜかこんな風に思ってしまいます。人の役に立ったり、目標を達成したり、何かしらの価値を生み出したりすることはすばらしいと思います。

だからといって、何の役にも立たない、どこにもたどり着かない、何も生み出さない遊びが無駄なわけではありません。

最近では、いま、ここを生きることの大切さをよく聞きます。それだけ、過去を悔やんだり、未来に不安を感じたりしていて、今に意識が向いていないということかもしれません。

遊びというのは、今、ここを楽しむにはぴったりだと思うんです。あっ、これも遊びを正当化する理由を探しているのかもしれません(笑)。

子どもは楽しいだけで動けるけど、大人は動くのにあれこれ理由が必要になってくる。大人になると、子どもみたいに動き回らなくなるけど、この辺に理由があるのかもしれないです。理由が必要になればなるほど、体が重くなって動けなくなってしまいます。

コスパを考えると、生産性のない遊びはコスパが悪いです。コスパは悪い、何も生み出さない、でもだからこそ、楽しかったりするのかもしれません。

大人こそ遊びが必要です。天気がいいからとか、桜が咲いているからとか、理由なんていらない。もっと純粋に遊びましょう。遊ぶことを楽しんでください。

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