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「今まで許せなかったこと」が自然と許せるようになるとき、「成長した」と言えるのかもしれない

前回の記事で社会人の成長について書きましたが、今回は「成長」することで何がどう変わるのか考えてみたいと思います。

能力面の成長は見えやすい

例えば、
・職場で自身のできることが増えた
・業務を効率よく進められるようになった
・より高い成果を出せるようになった
といった能力面の成長は目に見える形で現れやすいため、本人も成長の実感が持ちやすく、周囲も成長したことを認識しやすいと思います。

社会人向けの教育では能力面の成長に重点を置くことが多く、知識やスキルの習得を目的とした研修などはこれに当たります。

精神面の成長は見えにくい

社会人には能力面の成長だけではなく、精神面の成長も求められます。
というのも、社会人は自分のことだけを考えるわけにはいかず、他人とうまく折り合いをつけて生きていく必要があるからです。

世の中には立派な大企業に勤めるエリート社員がつまらない問題を起こすことがありますが、これはまさしく能力は高くても精神面が未熟なまま大人になってしまった故のことだと思います。

一方で精神面の成長はあくまで本人の内面のことなので、成長が目に見える形で現れにくいという課題があります。

そのため、周囲が成長を評価することは難しく、本人も自分の成長を実感できない可能性があります。

ベテランになると成長を実感しづらい

新入社員のときは仕事を一生懸命覚えるとともに、学生から社会人への意識転換を求められますので、能力面でも精神面でも比較的に自分の成長を実感しやすいと思います。

しかし、経験を重ねていくうちに仕事も一人前になり、社会の中で大人として振舞えるようになると、能力面でも精神面でも大きな変化がなくなり、自分の成長を実感しづらくなります。

社会人としてベテランの域に達するとこれ以上の変化を求められることも少ないので、成長を実感するのはかなり難しいことでしょう。

ベテランになれば成長は不要か?

業務に精通したベテランにもなると、能力面で成長する必要性はそれほど大きくないのかもしれません。
(もちろん自分なりに研鑽を続けることは重要ですが)

ただし、経験を重ねると出会う人の数も多くなり、中には自分にとってわかり合えないような相手とも折り合いをつける必要も出てくるため、精神面の成長はむしろ重要になってくると言えます。

もし精神面での成長が止まってしまうと、自分から見て理解できない相手を受容できなくなり、自分とは異なる価値観を排除してしまう可能性があります。

そうなってしまうともはや頭の固いただの”老害”に成り下がってしまいます。

ベテランこそ自分の世界を拡げることが大切

人には自分が理解できる世界と、その外側にある理解できない世界が存在します。

例えば昭和の体育会文化で育った人にとって、現在の若者の考え方は到底理解できないものかもしれません。

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しかし「最近の若者は理解できないので、一緒に仕事できない」というわけにはいきません。

ベテランだからこそ、自分が理解できないような相手とも協働することが求められるのです。

とはいえ、理解できないものを無理に理解しようとしてもうまくいきません。あくまで自分が理解できる世界を拡げることで、自然と相手を受け入れるようになることが重要です。

そういう意味では、ベテランのとっての成長は「許せなかったものが自然と許せるようになる」ということに他ならないと思います。

もしある日今まで拒絶していたものを無理なく受け入れられるようになったとき、それは自分が成長したという証拠として前向きに捉えるとよいでしょう。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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