幼児が店を開いた話
年齢はさだかではないが、たしか幼稚園に入るか入らないかの頃に、店を開こうと思った。
お店屋さんごっこではなく、本物の店だ。
当時、自分はお金を使ったやりとりというものに憧れていたので、その延長線だったのだろう。
本気だった。
売れそうなおもちゃをいくつかピックアップし、玄関先に出たのだが、さて、ここでひとつ疑問が浮かんだ。
お客さんはどうやって店の存在を知り、どのようにして来るのか。
その導線の仕組みがわからない。
小さい頃は知っている店しか行かないし、そもそも誰かと一緒にしか出かけないから、仕組みがわからないのも当然だ。
小さな頭でどんなに考えても結局わからなくて、最終的には店を開けば勝手に来るのだろうと予想した。
文字がちゃんと書けないため、値札はない。
口頭で伝えたら大丈夫だろうと、とりあえずオープンすることにした。
ワクワクしながら誰かが来るのを待った。
どのくらい待っただろうか。
人ひとり来ない。
退屈になってきたが、店を離れたときに誰かが来ても困るので店番をやめるわけにはいかない。
結局この日来たのは、学校帰りのランドセルを背負った姉ひとりだけだった。
「誰も来ないからもう家に上がりな」
という冷たい現実を突きつけて、家に入って行った。
正直ガッカリした。
ひとりくらいは来てくれるものだと思っていたのだ。
誰も来てくれなかったのは、自分が子どもだからだろうか。
1日で起きた新装開店と唐突な閉店。
そんな怒涛の出来事に、小さいながら現実を見た。
店を開くだけで客が来る魔法など、存在しないこと。
子どもだけで何かをするには限界があること。
それはそうだ。
ホンモノの店だって、ただ店を持つだけでは人はなかなかやってこない。
目立つところに店を構えて看板などで存在をアピールし、宣伝、口コミなど、さまざまな工夫をして呼び込むものだ。
そんな幼少時代を思い出して、ふと思いついた。
これは店だけではなく、ブログやネット配信なんかでも言えることなのだろう。
ただ間口を開けておくだけでは気づかれないのだな、と。
例えばYouTubeを挙げてみると、
なんとなくYouTubeのチャンネルを解説して、なんとなく配信や動画投稿をする。
それでもある程度見てくれる人はいるだろうけど、多くの人は存在を知られることすらない。
見てもらえるようにするには、どのようにして人が見にくるのか、その導線を考える必要があるのだ。
チャンネルを開いただけでは、入り口は小さなひとつしかない。
ほかのSNSで宣伝すれば、人が入れる入り口はふたつに。
知り合いと協力して広めることができれば、入り口はどんどん増えていく。
また、人をひきつけ常連を作るための
"いい品揃えと見栄えのする陳列"、
つまり配信内容やサムネイル、タイトルも重要になってくるだろう。
メディア全体の構造を把握し、仕組みを理解することが重要なようだ。
機械部品をチェックするように。
どのネジを締めればギアに影響が出て、どのようにチェーンをいじればスムーズに動くのかを知る必要がある。
まわりの真似をしてただなんとなくやっているだけでは気がつかない、漂う情報をただ眺めるだけでは理解できないものなのだ。
導線の構造や仕組みというのは、生産側も消費側も、両方の知識が必要になってくる。
だから実際にそのものを触れてみて、いいものに感動したり不満を持ったりしながら、構築しているものの要素をひろっていく必要があるのだな、と思った。
やってみなけりゃわからないし、やってみてもメディアと消費者のそれぞれの考え方や動き方を観察する必要があるよね、ということ。
それだけ。
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