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横軸の発達は無限大~この子らを世の光に~

何をきっかけに知ったのか?
はっきりとは思い出せませんが…

知的障害児入所施設の児童指導員をしていた11年の間のどこかで、糸賀一雄先生のことを知りました。
そして、糸賀先生の著書

「復刻  この子らを世の光に 近江学園二十年の願い」(NHK出版)

を読み、感銘を受けたのでした。

【糸賀一雄先生の略歴】
大正3年、鳥取市に生まれる。
小学校の代用教員の後、滋賀県庁職員として勤務中に終戦を迎えました。
昭和21年、池田太郎、田村一二両氏の懇請をうけて、近江学園(日本の重症障害児福祉の草分け)を創設し、園長に就任。
近江学園の充実を図るかたわら、椎の木会、大木会、びわこ学園の理事として多くの施設をつくり、知的障害児者対策のパイオニアとして茨の道を歩む。
昭和43年に54歳の若さで逝去。

糸賀一雄氏の略歴  糸賀一雄記念財団ホームページ http://www.itogazaidan.jp/date/ より


「世の光」とは、聖書の言葉ということです。
戦後、戦災孤児、生活困窮児と精神薄弱児(知的障害児)の施設として創設された近江学園の正面玄関脇にあった母子像。
糸賀先生は、この母子像を「世の光」と名づけたそうです。
そして、著書のあとがきに次のように記されています。

【引用】
「精神薄弱という人たちを世の光たらしめることが学園の仕事である。精神薄弱な人たち自身の真実な生き方が世の光となるのであって、それを助ける私たち自身や世の中の人々が、かえって人間の生命の真実に目ざめ救われていくのだ」という願いと思いをこめている。近江学園二十年の歩みとは、このことを肌身に感じ確かめさらに深く味わってきた歩みといえるのである。


「この子らを世の光に」
そのタイトルの意味を知ったとき、胸が震えるような感動を覚えたように記憶しています。

知的障害児者など社会的弱者にも光をあててあげましょう!
という哀れみや施しではなく…
知的障害のある人たちが世の光で、彼らに関わる人たちが救われるのだ!
という思想。

私自身、知的障害のある子たちと過ごす日々は、試練の連続でした。
でも、それがいつの間にか、自分らしい生き方に導かれていたことを実感しつつあるタイミングで「この子らを世の光に」に出会ったのだったと思います。

時は流れて…
私は母になり、我が子は知的障害であることが判明しました。

育児と療育に無我夢中の日々。
糸賀先生のことも「世の光」のことも、忘れていました。

そして、息子が5歳の夏。
相模原の障害者施設での凄惨な事件がおきました。
その影響からか、NHK教育番組で糸賀先生と近江学園の番組が再放送されていました。

その番組で糸賀先生の「横軸の発達」という考えが紹介されていて、興味深く観ました。

ある知的障害重度の男性。
言語によるコミュニケーションがうまくできず、激しい自傷や他害のある強度行動障害状態でした。
その男性がやがて粘土で様々な形を作り、それが焼き物として作品になりました。
いくつもいくつも、オリジナルの作品を創り続けていくうちに、男性は穏やかになっていったのでした。
自分の思いを言葉として相手に伝えられないもどかしさやイライラが消えていったのは、自分の思いを作品として表現できるようになったからでしょうか?

知能指数や発達指数の数値が上がっていくことが「縦軸の発達」だとしたら、その男性が粘土や焼き物に興味を持ち、たくさんの作品を創り出せるようになったことは「横軸の発達」だと紹介されていました。

樹木が上に上に伸びて行くように
階段を一段一段上っていくように
息子の成長・発達も上に上に伸びて行くと思っていました。

でも、2歳のときに、全体的な発達の遅れを指摘されてしまいます。
言葉の遅れや自閉症としての特性があったとしても、知的な発達の遅れはそれ程ではないのでは?
そう思いたかったのですが、現実は厳しく…
児童館で共に活動する他の同級のお子さんたちとの発達の差が徐々に明らかになってきました。

縦軸の発達は、ゆっくりな息子。
年少の年での幼稚園・保育園への入園はかないませんでした。

年少と年中の年は、母子で横軸の拡がりにチャレンジし続けた2年間だったのかもしれません。

自宅周辺や駅周辺をたくさん歩きました。
自転車や電車や自家用車外出もたくさんしました。

神社や寺や公園。
保育園や児童館での親子広場教室。
病院や児童発達支援の幼児教室。
福祉センターでのグループ療育や幼稚園の預かり保育。
療育園の親子療育や生活サポートの事業所。

たくさん歩いて、たくさん遊んだので、身体は順調に大きくなりました。
そして、特別支援学校小学部に入学しました。

2歳で障害がわかってから、療育に通い、家庭でも療育を意識した関わりをしてきました。
それでも、知能指数や発達指数は、上がるどころか、下がってしまいました。
でも、ゆっくり少しずつ縦軸の発達をしていると思います。

そして、興味関心を示すこと・好きなこと・できること・好きな場所・好きな人…言葉ではなかなか表現できませんが、息子の世界は少しずつ彩り豊かになっています。

樹木の根っこが横に横に拡がって行くように
枝葉がだんだん豊かに横に拡がって行くように
横軸の発達をしていると思います。

障害の有無に関係なく、縦軸の発達はやがて限界を迎えますが、横軸の発達は無限大でそれがその人の個性になる…

縦軸の発達が横軸の発達につながり
横軸の発達が縦軸の発達にもつながることでしょう。

何ができるできないという視点だけでなく

何が好きか嫌いか
どこに行きたいか行きたくないか

興味の幅
活動場所の拡がり

人生の彩りを豊かにして行くために必要な支援は何か?
ヒントをいただいたように思います。


息子の命ある限り、息子の好きな人や物や活動が彩り豊かに横に拡がって行くことを親として願い、応援してあげたいです。


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