今日は7月1日「ない」の日

助動詞としての「ない」
ある動作に対して「そうではない」と打消し、否定する。
カタチが変わり特殊型になると「ぬ(ん)」となる。

例えば
「泣かない」「泣かぬ」「泣かん」

「ぬ」と「ん」は珍しく、ひらがな1文字の漢字が「ない」。
他にも「を」なども漢字にならないのはあるけれど、
大半のひらがなは漢字となるものが多い。

「ない」は漢字にすると「無い」と「内」がある。

今日は内なるものを意識し、
己を「無い」ものとして過ごしてみた。

摩訶不思議なことが多く起こる。
考えていないのに、いろんなアイディアが湧いてくる、降ってくる。

生死をふと考えてみた。

そこに「い・る」というのが生きている状態。
漢字にすると「意・流」となり、神の意が流れてくるのかもしれない。

そこに「い・ない」というのが死んでる状態。
「ない」は「ぬ」と同類なので「いぬ」となる。

職場にいると「犬(いぬ)」のように、
主人の命令だけを聞いてる人が多く見受けられる。

「死(し)」と「流(る)」

死の意味を真に「しる」と「死は流れる」。
流れの中で生きていれば、死は怖くないとなる。

「死(し)」と「無い(ない)」

死が無い状態とは、何も「しない」こと。
自分であれこれせずに、あるがまま、
流れるがままに生きるということ。

内なる意志のみに従って、
自分には何も「無い」ということをしる。

己の未熟さ、微力さ、無力さをしりえてこそ、
このあるがまま、流れるがまま、
「内・無い」状態に保つことができる。

これは言葉でどうこう説明できるものではなく、
とにかく「ない」を実践してみないとわからない。

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