ふと感じたこと

シンプルで簡単なことほど、
やること、やり続けることが難しい。

複雑に悩んで、難しく考えて、
困難で大変な忙しい日々を送る、
それが普通で周りと同じ!?

何もせずに、のんびりと、
年寄りでもないのに、
ゆったり過ごすことは時間の無駄!?

何も考えない

何もしない

何も気にしない

これって怠けていること?
堕落している?
頑張らないといけないのかな?

なんか、ふとそんなことを思っていました。

霊魂はもしかしたら永遠に続くかもしれない。

誰も我が生命の危機など考えていないし、
当たり前のように明日は訪れると考えている。
1ヶ月先、1年先のことを考えて、日々暮らしている。

「人生は幸せになるため、楽しむためにある」

そうだよね〜と思うところもあるのですが、
なんか上辺だけというか、
この「幸せ」と「楽しさ」が薄っぺらいというか、
限定的で、刺激がある時だけ感じる喜びのようにも思えてしまう。

本当は、日々の何気ない、なんでもないようなこと、
つまらない、たいくつなこと、やりがいのないことにも、
面白みや可能性を見出すことはできる。

どんな現象や出来事も「見方」や「捉え方」次第じゃないかな〜って。

「これだけで十分」

何度も何度も思って、感じて、確信しているのに、

「これだけじゃいけない!」

という潜在意識?悪の自分?が邪魔するんですよね〜。
長年の癖というか、意識の習慣が固まっていて、
どうしても、負のスパイラルにハマってしまう。

一番、最も大切なことのために、
そこそこ大切なこと?を捨てる、あきらめる勇気。

これって多分、かなり難しいけれども、
やってみると、「これでいいんだ」って感じるんですけどね。

「死」を無視した「生」と、
「死」を意識した「生」では、
全く日々の現象の捉え方、感じ方が違うのに、
学校でそんなことは教えないし、伝えない。

宗教教育のない日本社会で、
この「生死のことわり」をしっかりと伝えていくべき使命、
私にはそういうものがあるのかもしれない。

というか、それ、めっちゃ大事じゃね!

ぐらいの軽いノリで、
未来大き若者たちに真剣に示していきたい。


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