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『君たちはどう生きるか』をみた23歳の私なりの解釈

最近、最高気温を体感で当てられる能力が身につき始めたのはきっと私だけではないはず。どうも、れいちゃんです。

37℃とか36℃を経験すると、31-2℃の時に『可愛いもんよ』と思ってしまうのって結構恐ろしい。せめて心の温度だけは年間平均17℃くらいに保っていたいものです。そんな本日。れいちゃんの心温度は簡易式百葉箱設定でいきますと23℃。普段よりも少しお高め設定です。

先週の金曜日、映画『君たちはどう生きるか』を観ました。

なんだろう、このなんとも言えない気持ちは。感動した~という涙々の作品ではありませんでした。かといって、何も感じなかったわけでもない。いわば”なんとも言えない気持ち”に苛まされている最中です。

同じように映画を観た方や、「みんなあの映画、どこまで理解できたの…?」と1人で映画を観に行ったが故に誰にも聞けずじまいだった疑問を映画レビューで検索する始末。複数のレビューと、感想を見比べる中で強く思ったのは

『間違いなく、百人百通りの解釈と感想がある映画だろうな』

ということ。今回は、私が映画を観る中で感じたことに加えて他の方々のレビューや感想から『確かにその通りだな』と共感できたことの2つの視点を中心に総評で締めたいと思います。(下記からネタバレを含みます。観ていない方で内容をまだ知りたくない方はご容赦くださいませ)

〇映画を観る中で感じたこと/考えたこと

⑴大きな壁を乗り越えた後は、一旦波が穏やかになる、という教訓

「下」の世界のキリコと、主人公まひとが一緒に船に乗り、かじ取りをするシーン。荒れ狂う(というほどでもなかったかもしれない)海の中を船で進んでいきます。目の前に現れたのは2人の身長を遥かに超える大波。身の縮む思いを抱えるまひとに対してキリコが放った言葉

「終い波の後には、波が穏やかになるよ」

普段から船に乗るキリコは単純に自分の経験に基づいて、大波の後は波が穏やかになる、と示唆しただけとも捉えられます。ですが、れいちゃん的解釈で言うと…
『大きな壁を超えたら、絶対一度楽になるタイミングが来る」
『人生の試練は階段式になっている』
そんなことを伝えたかったのでは?と解釈しました。

⑵その相手の一面だけを見て”悪者”と判断していない?という問い

「上」の世界で人間になる前段階の生物。「下」の世界ではフワフワとした可愛らしい(?)物体が「わらわら」という名前で存在します。「我々」から派生して”わらわら”なんじゃないかな、なんて予想。

そんなわらわらが人間になるべく、「上」の世界に向けて飛び立つ瞬間がシーンとして描かれています。しかし、その瞬間を待ち構えていたかのようにわらわらを食べ尽くそうとするペリカンの集団。

思わず、『や、やめろー!』なんてペリカンに対して叫んでしまいそうでした。このシーンを見た限りではペリカン=『悪』の構造でしたから。何故って?

わらわらって可愛いんです。
白くて、フワフワしていて、無垢で。

それを食べ尽くすなんて…と思ってしまいました。

しかし、わらわらを守るべく「ヒミ」と呼ばれる少女が火を放ったことで最終的に命を落としてしまったペリカン。彼?が主人公まひとの前で死ぬ直前に放った言葉。

『我々は食べるものがなくて、仕方なくわらわらを食べているんだ』
『この地には何もない』

このものの数分のシーンでお恥ずかしくもペリカンに対する印象が180度変化した私。

ペリカンはペリカンとして『生きる』ためにわらわらを食べる。わらわらはわらわらとして「上」の世界に行くために飛び立つ。

各々の”生”を成り立たせるための行動の一部を切り取って”悪”と安易に判断してしまうことって結構あるのかもしれない。そんなことを思ったシーンです。

⑶自分の『塔』は自分の手で立てる、という教訓


「下」の世界を統治する、今は亡きまひとの大叔父。複数の積み木を重ねて建てた「塔」は現在統治している下の世界の縮図だと解釈しました。しかし、大叔父によって建てられた積み木の塔、いわば「下の世界の縮図」は今にも崩れそう。まひとに自分の後を継がせたいと願う大叔父は彼に対して

『自分の塔を立ててほしい』
『どんな積み木の組み合わせでもいい』

との旨を伝えます。自分の塔、ここでは”人生”や”信念”を表すのでしょうか。自分で選択すること、決断すること、積み重ねて建てること。そんなことを伝えたいシーンに思いました。

⑷見返りを求めない行動が、巡り巡って違う形で戻ってくるという考え

青サギとまやとが、継母である”なつこさん”なる存在を探しに行くシーン。くちばしに穴の開いてしまった青サギは無情にも飛べなくなってしまいます。力が出ないとぐずる青サギは『穴を埋めてほしい、そうすれば飛ぶことが出来る』とまひとに懇願します。

渋々ながらも引き受けるまひと。木を穴の形にくり抜くことで埋めようと試みます。しかし、一度埋まったかのように思えた矢先に青サギはまひとを裏切り飛び立とうとします。しかし、そう思ったのも束の間。上手く枝が埋まりきらなかったこともあり、青サギは再び飛来出来なくなってしまいます。

再び穴を埋めれば、また裏切って飛んで行ってしまうかもしれない青サギ。なつこさんを探すという目的を1人で果たすことになってしまうかもしれない不安。それでもまひとは青サギのくちばしの穴を埋めることに専念します。

結果的に無事にくちばしが埋まった青サギは逃げ出すことなく、まひとと共に旅を続けます。旅の中で現れる、2人の侵入を阻む『巨大インコ』の存在。助けてもらった情なのか、青サギなりの恩返しなのか分かりません。しかし、青サギは自らオトリとなって巨大インコの意識を逸らしたり。あるいはまひとが逃げられなくなりピンチを迎える場面でも、救出に向けて手を貸します(鳥なので手は無いけれど)

必ずしもくちばしの穴を埋めた恩に対する返しでは無いかもしれません。ですが、少なくともまひとの見返りを求めず、青サギを助けた姿勢がまやとのピンチに対する救いを行うという意識や行動に繋がったのでは?と考えました。

〇映画を観た方の感想で共感できた内容

⑴宮崎駿自身の『共感してほしい』という想いはなさそう

レビューの中で多かったのが「考えすぎてよく分からなかった」「理解しきれなかった」という感想。うーん、間違いない。

かく言う私も、生意気にも映画について語っておりますが、私は全てのジブリ作品を見てきたわけではありません。ですが、これまで見てきた『千と千尋の神隠し』や『魔女の宅急便』では少なからず、宮崎駿監督のメッセージ性を感じました。

例えば、前者であれば『大切なものは目には見えない』とか。『一度あったことは思い出せないだけで、忘れない』もおそらく。後者であれば、スランプに対して『とにかくジタバタするしかない』など。強烈に訴えかけるわけではないけれど、観た後にじんわりと感じる数々のメッセージ。視聴者に対して『こういうことってあるよね?』と強制のない共感を求める気持ちが見て取れました。視聴者と駿氏とのキャッチボールを少なからず感じました。

ですが、今回の『君たちはどう生きるか』は完全に共感いらずのスタンス。宮崎駿自身の世界観・魂・視点・何かを象徴するキャラクター。よく分からないし、理解しきれない描写にも『解釈は任せるよ』『君はどう捉える?』と完全に解釈も感想も視聴者任せのスタンスがむしろ清々しかったです。

⑵高頻度で描かれる『シンボル的建物』の存在が今回は無い

この指摘を発見した時は思わず『確かに!』と共感してしまいました。
千と千尋で言えば湯屋。アリエッティで言えば、可愛らしいドールハウスのような自宅。なんとなく愛着の湧く空間や建物が印象的に描かれています。そうそう、コクリコ坂で言えばカルチェラタンなんかもまさしくシンボル。

だけど君たちはどう生きるかではその、シンボル的存在がありません。しいて言えば、「下」の世界と繋がる塔…?だけど愛着の湧くシンボルかと問われるとちょっと首をかしげてしまうのが正直。塔の内部で物語が繰り広げられるので、印象も薄いのが正直な感想。

ただ、各所でこれまでの作品を思わせるシンボル(千と千尋の人の形をした紙やアリエッティの自宅のような内装)が出てくるのでこれまた集大成的な気持ちであえてシンボル的存在を設けなかったのかなとも解釈しました。

〇映画の総評(小説との相違点も含めて)

期待の割には印象は薄いけれど、薄すぎるかと言われればそうでもない。
が答えです(笑)見終わって数日してじわじわ考えさせられる不思議な作品でした。

実は、元々読んでいた原作の小説はかなり好きです。『粉ミルクの法則』をコペル君が発見した時は「確かにな~」と思いましたし、『石段の思い出』についての章でも「うわ~めちゃ分かる。後悔から学ぶことって多いよな」と共感の嵐でした。

小説の世界観を壊してくなくて、観に行く予定は当初なかったのですが。知り合いで先に観た方が「あまり印象的でなくて、ピンとこない作品だった」という言葉を聞き。むしろ気になるというか、ミーハーの波に乗りたくないけれど、乗らない自分にも耐えられなくなったというか。

『まあいっちょ観てやるか』

と小生意気な小娘は思ったわけです。小説とはまるで違う内容でしたが「別物」として捉えるのであれば

〇特定のメッセージ性がないので自分なりの解釈が生まれる『余白』がある
〇これまでの自分の人生や教訓と結び付けて考えさせられる作品
〇『理解できない』ことを『理解できる』作品
〇『理解できなさ』に対する、他の方の解釈を知りたくなる。

なんだか今回は上手く文章としてまとまっていない執筆となりましたが、綺麗にまとめて発信するよりも観て、じわじわ込み上げるこの想いをそのまま綴れ、と心が叫ぶのでそうしてみました。

本日もお読みいただきありがとうございました。

〇れいちゃんのInstagram

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