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『過ぎ去りし日に向けた花かご』第1回・ヤンキーには2種類いる。根明なヤンキーと根暗なヤンキーのふたつだ。 『The friends of Ringo Ishikawa』と福井の中学生

ビデオゲームではいま人間や精神の内面、あるいは人生の一側面を描くタイトルがたくさん目に入る。そんなタイトルとビデオゲーム業界で最もハードな人生を歩むライター、池田伸次の物語が交錯するとき、ビデオゲームからある現実が浮上していく——自伝『過ぎ去りし日に向けた花かご

初めて煙草を吸ったのは13歳の春。中学に上がったころだ。時間は夜の23時ごろだったと記憶している。家には先に寝た弟しかおらず、母はスナックの仕事で夜は不在、父は博打を打ちにいくのでこれまた不在という、典型的なネグレクト家庭で育った。1994年、福井県でのことだ。

煙草を吸ってみようと思ったのは確固たる意思があってしたことじゃない。ただ、なんとはなしに吸ってみたのだ。結果的には大いにむせ返り、弟を起こしてしまった。それだけのことだったが、この日が「不良少年・池田伸次」の誕生だったのだろう。

40代になり「不良少年」の日々ははるかに遠ざかった。いま現在精神を病み、双極性障害を患って長い。日々精神安定剤と抗鬱剤、それに加え睡眠障害なので睡眠薬も飲んで生活している。仕事は「ヒップホップビートメイカー」といってラッパーがラップをする際に使うバックトラックを作る仕事と、フリーランスのゲームライター業を営んでいる。しかし収入は月によってまちまちで生活がおぼつかないのが現状だ。

いま『The friends of Ringo Ishikawa』をプレイしているとなにか“胸痛”がする。このゲームは喧嘩に勉強、何をしてもよいという横スクロールアクションRPGだ。仲間一人一人の存在感も大きい。かけがえのない時を友と過ごすのだ。この作品で描かれているのは不良生徒の高校生活で、プレイしていると人を殴った経験などなどがまざまざとよみがえってくるのだ。不良になりはじめたころ、親友たちと過ごしたころの記憶だ。

執筆/池田伸次
企画・編集・ヘッダーグラフィック/葛西祝

本テキストは最後まで無料で読むことができます。購入後は末尾に本企画の今後についての記載が記述されています。



「くにおくん」フォロワーのようにみえる本作だが、実際には寂寞感が横たわっている。『The friends of Ringo Ishikawa』はタイトル通り、リンゴ・イシカワとその仲間が主眼のタイトルなのだ。

これはリンゴ・イシカワが主人公でありながら、主眼であるのは仲間ということを意味している。この構造は、ヤンキーがしばしば仲間たちに振り回されることを意味しており、リンゴ・イシカワはむしろ脇役なのではないかと思わされる点に驚かされたし、同時に胸が痛んだ。自分自身、さまざまな先輩に振り回され、仲間に引っ張られたという実体験があるからだ。


中学1年生のころ、同じくグレた同級生の親友「Y」の影響もあってか、自称が「ぼくからおれ」へ代わるのも早かった。Yは小学校時代から素行が悪く、見た目がいかつく、同級生を殴るなどしていた。彼の流れでヤンキーになり、自身もまた中学時代はさんざん悪いことをした。一方でヤンキーの先輩後輩の関係性はきつい側面もあった。端的に“いびってくる”先輩もいるからだ。

実はヤンキーには2種類いる。「根明なヤンキーと根暗なヤンキー」のふたつだ。根明なヤンキーは楽天主義的で、根暗なヤンキーは悲観主義的なのだ。

根明なヤンキーは今の言葉で言うならば“陽キャ”であり、性格は明るく普通の生徒とも関係性を築いている人間が多い。一方で体育会系でもあるのでヤンキー同士だと縦社会の序列が厳しい。よって後輩いびりが激しくずいぶん参ったものだった。

根明な先輩である「K」さんは幾分かはやさしかった。シュッとした体型で、カラッとした人でいびりも多くなかったので後輩からも慕われていた。バイクの後ろに乗せてくれたのはいい思い出だ。

しかし「O」さんという先輩はきつかった。かっちりとした体型で態度が大きく、それなりに仲良くさせてもらっていたが、シンナーに浸した煙草を自分に吸わせて大笑いするなど、ちょっとした後輩いびりもあってなるべく近づかないようにしていた。

彼は喧嘩が強く、ヤンキーグループでは番長的ポジションにいる人物だった。Oさんは男気で駆動する昭和のヤンキーといった具合で、誰に対しても厳しく当たるわけではなかったが、それでも番長的なポジションがそうさせるのだろう、支配的だった。根暗グループとは相互不干渉だったのが意外だった。

一方、根暗なヤンキーは素行の悪さもあいまって、どこか病んでいるように思われる。普通の生徒との社交性は皆無に等しい。そしてともすれば暴力が人を刺すか殺すかまで行ってしまう“危うさ”がある。

たとえばOさんは殺人事件を起こすことはないだろう。だが根暗なヤンキーはそこまで行きうるような気配に満ちていた。

根暗なヤンキーはもともといじめられっ子であることも少なくなく、同じ根暗の先輩もいびってくるようなことはしてこなかった。そして自分は根暗なヤンキーだった。

親友のYもまた根暗なヤンキーだった。Yは見た目こそ髪も染めないしヤンキーにみえないのだが、行動はまったくもってヤンキーそのものだった。寡黙に人を殴る、殴る、殴る。ものを盗む。ある日彼の家に行って煙草を吸っていると「男ならセッタ(セブンスター)やろ!」と言ってニコチン・タールのもっともキツい煙草を勧めてきたのが印象に残っている。

Yはとにかく荒んでいて、将来にいっさい希望を持っていないような状態だった。自分たちといるときこそ彼はおだやかな側面を見せるようになっていった。Yとはずいぶんコンビでいろいろ悪さをしていたものだった。よくゲームもいっしょに遊んでいた。

彼にはカリスマ性があったので後輩から「Yさんは伝説になれる人っす!」と言われていたのが懐かしい。なんの根拠があったかはわからない。だがそう言われてもしっくりくる、それがYだった。本質的に強い男だったので、先輩にも学校にも社会にも権力に屈しないところがあり男らしかった。

同時に彼は生きづらさを抱えていたのだろう、いつも苛立っていた。のびのびやっている一般人の同級生を「調子こいている」といって殴りつけたこともあった。母子家庭でお小遣いもほとんどない、抑圧された環境が彼に暴力性を付与したのかもしれない。自分はとてもじゃないが放っておけないといった具合に思っていた。

しかしながら自分は女々しさが抜け切れておらず、Yには友人でありながら憧れていた。自分には父親による男らしさの強制があった。身体障害者だった父はそれを乗り越え土建会社を興したというサクセスストーリーがあり、すべては根性でどうにかなる、まして健常者である子供にはわし以上のことができる、そう言い続けられて育った。

自分はヤンキーをやらないと自身が保てないためにやっていたわけだが、彼は純粋培養されたヤンキーのような存在だったのでどこか近寄りがたい空気も同時に併せ持っていた。


狭い部屋の中で『The friends of Ringo Ishikawa』をプレイしている。電灯さえ付けない時さえある。本作は将、四郎、吾郎、健の4名からなる仲間と、特に約束もせずに屋上で落ち合って街に出かけるプレイがリアルでいい。そのまま喧嘩をしに街に行ってもいい。ビリヤードのある店で時間を潰してもいい。ヤンキー生活をそのままなぞれるのが美点だ。ゲームにおける仲間との交流はかつての先輩諸氏との交流を思い返させるものがあった。

自分がとりわけ惹かれていた人は根暗なヤンキーの「A」先輩と「I」先輩だった。Aさんは中肉中背で喧嘩が強くバイクに乗っており、Iさんはぽっちゃりとした体型でAさんのバイクの後ろに乗っていたのをよく見た。2人とも面倒見がよかった。自分の代わりに煙草の万引きをして「シンジ、これやるわ」とわけてくれたのだ。

ふたりとの付き合いのなかでどこか悲観的な匂いを強く感じてきた。まずふたりは小学校時代にいじめに遭い登校拒否だったそうだ。それがある日小学校に登校してきたと思ったら、AさんもIさんも頭を金髪にしてきたという経緯があるらしい。そのまま中学に上がり、ヤンキーとなっていったのだ。

Iさんは「根性焼き」を左腕に12個も付けているありさまだった。根性焼きとは煙草のフィルターを腕に置き、フィルターに火を付け火傷を付ける行為を指す。今にして思えばあれば自傷行為だったのだろう。後輩にやさしかったからこそ、傷つくことも多かったのだと思う。本人は気合いを示すといった風に言っていたが、おそらく病んでいた。


『The friends of Ringo Ishikawa』では仲間たちと喧嘩に明け暮れる日々と、勉学に励む日々と極端に別れたゲームプレイができる。自分は勉学にいそしむプレイをしていたものの、そのフラストレーションで喧嘩に出かけることもあった。さながら中学生のころの現実のように。

本作にはなにかヤンキーの神髄のようなものがある気がする。たまり場でたまり、街に出かけて人と殴り合い、一時の高揚に身を任せる、そういったすべてが、ある。『The friends of Ringo Ishikawa』では敵対ヤンキーに襲いかかられるなどして喧嘩に発展する。本作の喧嘩はリアリティがあり、1人対多数だとまず勝てない。そういった内容だからこそ中学生時代を思い出す。

「気合い入れろよ」Aさんからはよく言われたものだった。

初めて人を殴ったのも、そんなAさんとIさんと一緒にいたときだ。ふたりは倫理感にとぼしく、街中で突然気に入らないやつを殴りつけ、喧嘩を起こす人間だった。ある日、Aさんと街中を歩いているとき突然「ムカつくなこいつ」といい目の前の学生を蹴り飛ばした。その喧嘩に巻き込まれ、自分も普通の男子学生を殴った。拳にまとわりつく顔の皮脂、鈍い打撃感、ちょっと気持ちが悪かったのは確かだ。しかし殴っていくうちに、いつしか気持ち悪さも消え去っていった。


眠剤の効きが悪く、中途覚醒した身で『The friends of Ringo Ishikawa』のプレイを続けると、ゲームプレイは敵対関係にある学校の生徒と喧嘩するシーンになった。自分もまた敵対関係にある中学の生徒に喧嘩を売った記憶がある。本屋にいる最中、外を見てみると5人の他校生徒が歩いておりこちらを見て笑っていたので“舐められた”と思った。

根明なヤンキーも根暗なヤンキーも舐められることが許せない人種だ。普段つるんでいる仲間もいないのに単身で5人に向かって啖呵を切りにいった。やるんかやらんのかどっちじゃ、という言い合いに終始してその場はおさまったが、後日祭りで再会して共通のヤンキー仲間と知り合いだったために和解した。5人もいるのに1人で来るものだからよほどヤバいやつだと思われたそうだ。


『The friends of Ringo Ishikawa』では改造制服を着るプレイができないのが惜しまれた。改造制服とは“短ラン”と呼ばれる、裾の部分を腰のあたりで切り詰めた上半身の改造学ランと、“ぼんたん”と呼ばれる、幅広の改造制服ズボンのことだ。強化アイテムなどもなく、実直にジムに通うなど真面目なプレイが要求される。

自身の中学時代はそうでなく、改造制服を着ていたし、真面目ではなかった。根暗なヤンキーでやさぐれていたエピソードとして、中学2年の時代、東京方面への修学旅行で改造制服をポテトチップスなど菓子袋の中身とすり替えて持ち込んでいた。根暗な手口だ。同様の手口でゲームボーイも煙草も持っていった。ほの暗い情熱といえよう。同級生の根明なヤンキーは普通の制服を着て参加していた。修学旅行をエンジョイするためだ。

しかし班分けの都合で、自分は普段つるんでいる仲間たちとは別行動を余儀なくされたのだ。これには参った。自分の自由が利かないのだから。相部屋だった同級生には嫌われていたので「煙草を吸っておれらを巻き込むなよ」と批難されたのも覚えている。

修学旅行2日目の昼だったか、こちらを見てニヤニヤしている他校の男子学生らが目に留まった。普段つるんでいる仲間といっしょにいられない鬱屈が爆発した。自分はつかつかと歩み寄り、そしてこちらを指さしてきて笑った一番舐めてそうなやつをボコボコにした。記憶は曖昧だ。

40代ほどのかっちりとした見た目の教師が止めにやって来たことは覚えている。その後は帰るまで教師といっしょだった。ディズニーランドのスプラッシュマウンテンを教師といっしょに乗って「池田! おもしろかったな!!」などといわれても心はそこになく愛想笑いするしかなかった。


そんな教師と過ごすというフラストレーションが爆発して、帰りの電車でおもむろにお菓子の中身と入れ替えていた改造制服すべてを取り出して、フル武装の状態で帰還した。教師とは口論になり、教頭に全没収された。「卒業式に返してやる」と40代教頭に言われ、一年後、中学3年のとき卒業式が終わったあとに取りにいったがそんなものは捨てたと言われ、大人に対する不信感を強く抱くことになった。


自分が修学旅行で起こしたことは大事となり、自分の中学と殴った相手の中学の教頭同士が話し合うことになった。両校の話し合いは自分のところまでは回ってこなかったので想像するしかないが、当校の壮絶な謝罪があったのだろうと思う。

ところが学校からの連絡を聞いた父親は「男やから喧嘩の1つもせんとあかん! ようやった!」と自分のしでかしたことを大いに褒めちぎりかばった。父親は同様の言葉を教師に向かって投げつけていた。うちの息子は喧嘩をしたんや、それのなにが悪いと。妙な感覚に包まれたのを覚えている。男らしさの曲解だ。

こうしてヤンキーの友達や先輩と過ごしていくうちに、祭りなどで一般人の先輩と会うたびに「池田くん見るたびに悪くなっていくね」と言われたのが印象的だった。どこかグサリと来るものがあった。自分たちは彼ら一般の人とは違う生き方暮らし方をしていて、彼らとは混じらなくなってしまうことが告げられたようだった。

ヤンキーをやることは精神的な武装であり、本質的には自身にとって“強がり”だった。よってヤンキーをやることに後ろめたさは常に付き纏っていた。

いまの暮らしぶりを考えてみると、ヤンキー時代という悪い意味でのマスキュリニティがいまだ自分に影を落としている。稼がねばならない、なんなら家を建てなければならない、などの強迫観念に抗う日々だが、仕事で戦うためにあえて男らしさの強制を自身に課すこともある。そうした強制を課すことが、いま現在の精神失調の原因にもなっている。

根暗なヤンキーAさんもIさんもYも、どこか病んでいたからヤンキーになって、そして男らしさを持たないと認められない世界に身を投じていた。よそで認められない自分たちは、そうやって承認を得るしかなかったのだ。

これは地元の福井県に限らない話だと思う。同時期に人気を博した、広島県を舞台にしたヤンキー漫画「BAD BOYS」では似たようなヤンキー魂が綴られている。脳天気であるパートも目立つ作品だったが、実はあの作品は根暗なヤンキーの話なのだ。暴力が殺人など最後までいきかねない点などが挙げられるし、根暗なヤンキーが社交的ではない点も共通しているだろう。


リンゴイシカワを取り巻く友達たちは結末では“やさしく”はない。最後には敵対高校と揉めた結果、抗争になる。だがその戦いに赴くとき、友達は誰も来てくれない。健は負傷しているからという理由で、将、四郎、吾郎はそもそも喧嘩することの馬鹿らしさに目覚め、この場には来なかった。

Iさんとの縁は中学を卒業してから切れた。Aさんとは二十歳ぐらいまでは縁があったのだが、そのときには家庭持ちになっていた。どこか中学時代の病みが吹っ切れていたようにうかがえた。その他の同級生ヤンキーたちは同じもしくは近い高校に行き、マイルドなヤンキーとなり、高校卒業後に縁が切れた。危ういヤンキーだったYもまた普通に会社勤めを送り、自分は今ではほかの土地で暮らしている。根暗なヤンキーも根明なヤンキーも、いずれはヤンキーを卒業するのだなと思わされた。

Aさんは根暗なヤンキーを卒業してマンション自治体のメンバーになり子供を育てるのに必死だ。Iさんの行方はわからない。Oさんは土建会社に勤めて相変わらず下の人間に強く当たっていてヤンキーが抜けていない。Yはヤンキー時代を否定するが如くやさしい父親となった。

今にして思う。『The friends of Ringo Ishikawa』のプレイを通じて感じた胸痛は、根暗なヤンキー・リンゴイシカワを通じ、2度と帰ることができない日々への郷愁、修学旅行などで自らの手で平穏な日々と非ヤンキーの友人との交流を台無しにしてしまった日々の後悔、仲間たちとのかけがえのない暮らしの思い出……そういったもので構成されているのだろう。

人は移りゆき変わっていく。変わらないものがあるとすれば、それは自身に課した十字架だった。男らしさを自身に強制的に課すことだ。父親による洗脳に近い。いまの言葉でいえば毒親だったのだ。子を支配する手合いの。自分がヤンキー精神のようなものが抜け切れていないのは、三つ子の魂百までもあるが、父親に課せられた男らしさの戒め、精神を病んだこと、そういったものが作用しているように思う。いまだって抜け出したくて必死だ。いまだ鬱屈の中にいる。

池田伸次 SHINJI-coo-K名義でヒップホップビートメイカー業のかたわらで、フリーランスゲームライターを営む。通称シンジ。
●Twitter:@SHINJI_FREEDOM ●公式サイト
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