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内在する、大きな力。

こんにちは。
黒沼Reiaです。

今日は、最近よく聞かれる
「マンガ家なの?画家なの?」という問いにについて書いていきたいと思います。

自分の中に、いつもあった感覚

「黒沼Reia」として、世の中で動き回るようになってから
さまざまな出会いがあり、さまざまな経験をさせて頂いている。

その中で、一番多い質問が
「結局あなたは何がやりたいの?」である。

約7年前から「マンガ」と言う形で制作をスタートさせ
ここ2、3年では、マンガを飛び越えて、現代アートの作品を描くようになった。

マンガと現代アート
これらはすべて同じ源流に到達すると感じているのだが
他の方から見れば、全くの別物のように見えると思う。

だから今は、それをつなげることが出来るように、色々と作品を制作している。


マンガを描き続けてきて、「足りないもの」を常に感じてきた。

物語は、「生き物である」

その時、その瞬間、その一瞬で、生まれてきた感覚は
その時にしか出せなものがある。

少し寝かせることで発酵して、より深みのあるものにすることは出来るが
それにしても、まずは発酵させるものを作らなければいけない。

そうなった時、「物語を描く」と言うのは
自分にとって半分論理的な思考が求められる。

純粋な感覚に、どうしても落とし込めない。
言葉や物語として、残すには、まだそこまで形になっていない。

あまりにもふわふわした感覚だからだ。

マンガは、「わかりやすい形」として、2つも3つも思考というフィルターに通して、洗練した上で出すことになる。

それは洗練している
洗練した物語を届けることで、より多くの人に伝わり
人々の心の豊かさとなれる。

しかし、これだけではどうしても、どうしても
「足りない」という思いが常にあった。


言葉にならない、幾つもの情報が、そこにあるはずなんだ。

元々、不器用な私が、声の代わりに使ったのが「マンガ」だった。
その声が、少しなりとも、誰かの声の代弁者になれたらいい。
そして、その共鳴が、やがてひとつになっていけたらいい。

そう思って描き続けている。

「伝える」ということや
「声にならない声」というものを考えた時
洗練したことにより、多くの情報を削ぎ落としてしまっている
ことに、寂しさを覚えていた。

「もし、この小さなことを削いでしまったら、それは本物になり得るのだろうか。」

この情報を、何かしらの形で残すにはどうしたらいいのか。
そんな時に得た答えは、1つのキャンバスに向かうということだった。

内在する、大きな力。

時々、自分の中で、どうしようもないぐらいの丹田あたりから
押しあがってくる感情がある。
感情、と言うよりも、大きな大きな力。

それは大体悲しみよりは、燃え盛る炎のようで
今にも内側から外側に出さんとする、強力な力だ。

その時には、筆も邪魔になる。ただキャンバスに向かって
絵の具と手でひたすらに描く。
ただ無意識のままに、流れ出るままに。

それを人は「抽象画」といい、ある人は「現代アート」と言った。
いつしかその作品を生み出すことが、自分自身のもう一つの声となった。

人によっては、マンガの方がわかりやすいし、論理立ててストーリーを組み立てて行くので、そちらの方が伝わりやすい。

マンガは好きだ。ずっと。
そしてまだ届けていないものがたくさんあるのだから、今も極め続けたい。

ただどうしても、この突発的な発作的な
「何か」が、ふとした時に、私をキャンバスに向かわせる。
その言葉にならないこの「何か」を、
言葉や論理に変換する前に、何かしらの形として昇華したい。

それが、私が「アート」を始めたきっかけになった。

言葉も何もいらない。
表現したいこと?わからない。
ただただその時の動いた思いや気持ちを、ただただ表したい。
そうでないと、自分の身が持たない。
若干いいすぎな部分もあるかもしれないが
何か自分の中にもう一つのものがいるように
それは突然にやってくる。

それは叫んでくる。

生きろ、生きろ、生き抜いてみろ!!!!!

そこから生まれた
「私」あるいは「私ではないなにか」は
人の言葉にならない
非合理的なさまざまな感情を表しているようにも思える。

今持っている限りの感度を最大限高め
周りから、内側から感じるものを、キャンバスに落とし込んでいく。

表側に生み出された一つ一つの作品の声は
表に出され、そこに宿るかのごとく、私の中から消え去る。


そんな感覚を、マンガに落とし込むのはどうしても
一瞬では出来ていなかった。

その作品が生まれた時
ひとつ、「あ、ここに可能性がある」と思ったのだ。


「Creativity-創造-」F80 2020年


「ただ感じる」、「共有する」


私の現時点でのアートとは、「ただ感じるもの」で定義している。
それは直感的、潜在意識的で、思考が介入しない。

そのただ感じるということで、
私はひとつ、漫画の世界にも一つの突破口を見つけた。

それは、思考ばかりで時々苦しくなっていた
頭でっかちの自分から、より、耳を傾ける、という方向にシフトすることが出来たことだ。

マンガは、ある程度思考を入れるので
「共有する」、大きく広げていく、という形になった。

この二つが両輪で回ることで、
新たな可能性の扉が開くと私は信じている。




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