見出し画像

大学生

見かけた可愛い女の子とデートの約束を取り付けたり、学食で友達を発見して隣の席に座ったり、学校近くのこじゃれたご飯屋に集合したり、ラウンジに行ったらいつものあいつが居たり、ドライブに行ったり、バーベキューに行ったり、交換日記をしたり、好きな人の好きな人が仲いい友達だったり、そんな、甘酸っぱい日々。『オレンジデイズ』。私はこのドラマが本当に好きだ。『オレンジデイズ』の中に、私の欲しい日々が、全てあった。平成すぎかもだけど、ドラマすぎるけど、だからこそ、こんな大学生になら、なっても良かったって思う。なんか、大事なものが、言葉でなくとも伝わってくるから。

でも今の私は、なんなのだろうか。というか、大学生ってそもそもなんなんだろうか。あんなに受験生を頑張ってやってきたのに、その地獄を抜け出していざ大学生になってみたら、そこは荒地だった。まさに無法地帯だ。甘酸っぱい日々など、どこにもなかった。大事なものが、どこにあるのか、分からなかった。

大学。休むな、学校に行け、と18年間言われ続けてきたのに、突然私たちは「授業を休むこと」が許されるようになった。(もちろん「休め!!!」と声を大にして言う教授はいないが。)大学はなぜ3分の2の授業を休めるなんていう仕組みを導入したんだ。学生も学生たちで、「今日の5限切るわ」とかいう風に「休む」ことを「切る」なんていうご立派な造語で表現しちゃって。そんなに休むことが偉いのか。私からしたら本当にダサいし、その神経を疑う。親のお金で行かせてもらってるのに。この気持ちを周りに言ったら「真面目だね」っていつも言われる。あんたたちがおかしいのに。昔、戦争に徴収されたときに「お国のために死ねる」と言っていた臣民みたいだ。(この臣民の方がまだマシだが。)私はなんらおかしいことを述べてないのに、社会の風潮に流されるがままの被洗脳者たちが「まぁまぁ、そういうもんじゃんか」って、私をおかしいヤツみたい扱い、宥める。授業形態だって変わった。自分で取りたい授業を履修できる、それが大学生だが、こうなると大学生は「全休をつくること」に全力を注ぐ。楽単を求めて掲示板や先輩に群がる学生達。その姿は、餌に群がる家畜のようだ。自由であることが、大学生にとって本当に有益になっているのだろうか。高校三年生の時、担任が皆に「この1年間、人生で一番勉強したと言える一年にしましょう。」と言っていたのを思い出す。もちろんこの言葉は、それぐらい全身全霊で勉強しろ、ということを言いたかったのだろう。でも今その言葉を思い返すと、「大学生は勉強しないもんだ」と無意識に大学生の堕落を肯定している言葉にしか思えない。結局高校なんて、「勉強することが正義だ」と生徒を洗脳することにしか目がないんだ。

サークル。私にとっては最悪のものにしか思えない。20歳になってないのに酒を飲むやつ、タバコを吸うやつ、麻雀をやりだすやつ。別にどうでもいいけれど。個人の自由なんだけど、とってつけたようなことやってる人、本当に見てられない。男女大人数で集まってオールしとけばいいと思ってるやつ。睡眠欲になぜか無駄に抗う。私達は所詮動物なんだから、体内時計に従って寝ろ。

高校の友人。私は専ら友達を作るのが下手なので、大学ではあまり友達がいない。(この文章読めばそりゃそうだと言われても致し方無い。)遊ぶのは大体高校時代の友人だ。でも、そんな高校時代の友人も大学生になって「色」が出てきた。絵具に水を垂らしたように、人それぞれの「色」がどんどんどんどん滲み出てきた。その色が綺麗だと思ったことは一度もない。みんな、世の中の「大学生」という文化に染まって、汚い色の水しか出てない。酒をのみ、サークルに彼氏を求め、マッチングアプリを使い、集まったら恋バナで盛り上がる。でも、人はそれを「成長」と呼ぶ。高校生の時はあんなに無垢だったのに、「大学」という各々のトンネルを出てきた友人たちは、いつしか知らない人になっていた。みんな、知らない人だった。でもそれは「成長」と言うんだ。私はこんなにのみこめないのに、皆は容易くのみこんだようだ。

辛い。大学生らしい大学生してる人というか、私はずっと引きずってるのに、あのままがいいのに、みんな進んでる。それも私が望んでない方向へ。もう高校生のころの友達がいなくても生きていけるような友人を見ると、とんでもなく悲しくなっちゃう。「私はもう二番手なんだ」って。「自分だけが自分を分かってあげれればいい」って信じてるし、そう思ってるし、頑張ってるし、耐えてるけど、たまにもう無理ってなる。早くこんな暗くて、独りぼっちのトンネルを抜けたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?