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「わかってるふり」をやめられないワケ

こんにちは。
昨日、「うるせえ、やれ」の精神で初めてNOTE記事を公開してみたので、今日も自分のことについて書き連ねていこうと思います。

今回のテーマは、私の社会人までに直さないといけないことについて。
先日ふとしたことがきっかけで、なぜ自分がその行動をしているのか、その原因となった経験がなんだったのかを知ることができました。
こうやってしっかりと「ゲンゴカ」して、社会人になるまでに直していこうと思います。

わたしの良くない癖

「私の直すべきことってなんだと思う?」
第一志望の会社から内定をもらい、そのお祝いを兼ねた旅行の夜に私は、共に旅行していた大学の親友ふたりにそう聞きました。
酒でベロベロに酔っ払った私の発言にふたりは、「それ、本当に直すために聞いてるの?」と聞き返しました。流石、するどい。
正直、その時は親しい人間からの自分の評価を聞いて気持ちよくなりたかっただけだったので、謝ってうやむやにしようと思いましたが、内定ももらったこのタイミングでせっかくだし厳しい意見も言ってもらおうと「本当だよ」と返しました。

そうして聞き出した私の良くない癖は、
「分かっていないのに、『申し訳ない』とか『こんなこともわからないのかとバカにされそう』と思って、分かったふりをすること」
でした。

心当たりしかなかったですね。自分より少しでもスキルが上な人に、素直に教えてもらうことがどうも私は苦手なようです。
例えば、プログラミングコミュニティにおけるチーム開発で、私はコーディングが得意ではないので、得意な同期や先輩に質問をしに行くのですが、その際についこの癖をやってしまいます。

サイバーエージェントの新卒採用では、「素直でいいヤツ」を採用基準にしているそうですが、私にはその素直さが圧倒的にありません。GDで落ちたのも納得すぎる。

他にも、普段の会話で聞き取りにくいことやわからないことがあっても笑って済ませたり、適当に返したりすることがあります。

そんなことしても、後から「あいつってあんなヤツなんだ」と呆れられて困るのは自分なのにね。

きっかけは、風呂場の牛乳石鹸

なんでこんな癖がついてしまったのか。ずっと分からないでいましたが、先日ボディーソープを固形石鹸(赤い箱に入ってる牛乳石鹸)に変えた時に幼少期の経験が蘇ったことで、その理由がなんとなく見えてきました。

先日のNOTEにも書いたのですが、私の親はかなり教育的で、4歳くらいから私を英会話教室や外国人の家庭教師をつけたりなどして、私に英語を学ばせようとしていました。
ですが、もともと飽き性な上に遊びたい盛りな時期。まわりの子は、DSやたまごっちではしゃぐ中、毎日何かの習い事に追われていました。そんな私が英語にのめり込むはずもなく、毎回の授業はいかに寝ずに終えられるかが目標になります。
そうして、英語を習い始めて数年経った時、母と共にお風呂に入ったときに、私は目の前にあった固形石鹸に刻まれた「COW」が読めませんでした。「これなんて読むの?なんて意味?」と聞くと、母は、「あんなに英語習わせてるのに、こんなものも読めないの?呆れた。」と言って大きくため息を吐きました。
私は、あの時から「分からないこと」がなにより怖いことになっていたようです。私にとって分からないことは、自分に対して課せられている最低ラインすら届いていない努力不足で、お金と時間をかけてきたことに対する裏切りで、母のため息で、叱責で、呆れになりました。
そして、無意識下で、自分が好きな母から、もうこんな感情は向けられたくないと、その場で分かったふりをするようになったのでしょう。そのきっかけをついこの前まで思い出せずにいたくらいに。

先日、たまたま変えた牛乳石鹸が私にそのことを思い出させてくれました。

なんで辞められないの?

幼少期の出来事は、その後の人格形成に大きな影響を与えることは言うまでもありません。が、それにしても十数年前の牛乳石鹸が私を離してくれません。ちょっと、縛りすぎじゃない?
いつまで経っても、この癖がやめられないのは私がまだ親の庇護下にいる感覚が根強いからなんだと思います。
少なくとも、何もかもを捨てて、親と縁を切る選択は私の中にはありません。それは、恩義を感じているからと言うのもありますが、それ以上に親のことが好きで尊敬しているからです。好きで、尊敬しているから、意見を求めたくなるし、困ったら味方でいてほしい。まだ甘えていたい。

しかし、そうなると過去の親の発言が私を良くない方向に走らせてしまう。どうしたもんでしょうね。

大学を卒業して、就職し、自分で金を稼ぎ、学費を返済すれば、解決するのでしょうか?
多分、しないでしょう。
なぜなら、これはお金の問題じゃないからです。現に、アルバイトをしてある程度好きに使えるお金が増えた今も、日々親からの連絡に怯え、何か一つのものを買うにしても、報告・相談しないと気が済まない。
社会人になっても、きっとそう。

私が本当の意味で、親離れをしない限り、この癖は辞められないんだと思います。そのために何をすればいいのかは現在模索中です。よければコメントください。

でも、こうやって自分の思考のルーツを辿っていけたのは、一つ進歩したんじゃないかな。とりあえず、よかった。

最後に、真剣に私のことを考えてくれた親友二人に、感謝を。ありがとう。

今日はこのへんで。
では。



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