![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/165915860/rectangle_large_type_2_39e70dff70ee611be358847b6519c846.jpg?width=1200)
没頭ってこういうことか!
シンガーソングライターの高尾伶です!
気づけば手が勝手にSNSアプリをタップしてしまうほどのスマホ中毒者になってからもう早幾年ですが、ネットの世界には昔から啓蒙が溢れてて自分みたいな夢なんか追ってると自然と目に入って来てしまうものです…
(なんか文章カタいな笑)
「人一倍努力せよ」とか「成果を出すには」とか逆に「過程が大事」とか色んな言葉があるけど、中でも『夢中になれ』とか『没頭せよ』って言葉がずっと心のわだかまりとしてあって。
努力って楽しいだけなら良いけど、基本的に現状を向上させる変化の行動だから辛くなってくるときがある。無理矢理カラダや心を動かさなきゃいけない行為だから、その瞬間の気分と毎度戦わなきゃいけなくて大変だ。
だけどもしそういった行動そのものに夢中になれたら努力が面倒くさくなくなるのでは?とヒラメいた!(たいしたヒラメキでもないか笑)
しかも夢中はマインドフルネス的な意味合いもあるから、その最中は余計な雑念も吹っ飛ぶ。
未だにふとした時に幼少期の失敗や後悔を思い出しては「うぅ…」となってしまう自分には好都合すぎるではないか。
僕を知ってくれてる人は、僕が2〜3年前から映画ばかり観ていることを知ってるかと思う。
今ここで白状します。
夢中になることが目的だけの行為でした。笑
映画館という閉じた空間でスマホの電源を切り作品だけを観る時間。
マインドフルネス以外の何物でもない。
で、2〜3年やって分かりました。
一回も夢中になりませんでした。笑
観てる最中に色んなことを考えまくっていました。
歌詞になりそうなことを思いついたり、メロディが降って来たりして今すぐにでもスマホの電源をONしたくてモヤモヤすることばっかでした。笑
そして更に、気づいてる人もいるかもしれないけどここ2ヶ月ほどは映画観てません。笑
前までは月4回とかざらにあったのに。
あれだけ楽しみにしてた『ジョーカー:フォリア・ドゥ』も途中で寝てました。笑
ラストどうなったか知りません。笑
完敗です。
芥川賞を獲った作品を片っ端から読んでいく、ってことにも挑戦しました。
そもそも内容が気になるのもあるし、読むだけで自然と文章力の向上も狙える。
一石二鳥と思いました。
結果、もう読んでません。笑
印象的な一文に出会うとすぐ過去の出来事がフラッシュバックしてそこで妄想の会話がスタートし現実世界に戻ると、たたが見開き2ページを読むのに30分かかったりして、何やってんだろと後悔してしまうのでした。
2連敗です。
じゃあゲームなら子供の頃に夢中になったしどうだろうか?
と近年多発している昔のソフトのリメイクブームもあり、パワプロやマリオRPGを買ってみました。
すぐ遊ばなくなりました。
最初は懐かしさと興奮でおぉ!ってなるけど、次第に「ちゃちゃっとクリアして曲作らなければ…」という強迫観念に襲われて全然楽しめなくなりました。
3連敗。もう呪われとる。笑
他にも高っかい折り紙を買ってみたり、筆ペンを買ってひたすら写経してみたりしたけど全然ダメだった。笑
サウナにも挑戦したけどすぐのぼせて一回で撃沈した。笑
何をしててもすぐ「この時間作曲に当ててたらどうなってたかな?」がよぎり、没頭できない。
そう思って作詞をしてみても白紙のまま何時間も何日もただ過ぎていていくだけで、そこにまた自分への怒りが溜まってく。恥ずかしくなる。情けなくなる。
とはいえ現実世界ではたくさんの人と接しなきゃいけないから、そこは元気な感じでいく。
(それは案外辛いことでもないけど)
ただ心がチグハグでどちらの活動も全然気持ちがノっていかないのは確かで。
だからもう一度、自分を再認識したくてノートにこれまでの失敗と今後どうしていきたいのかを書いてみた。
・作りかけの曲を完成させる
・またBAND音源でリリースする
今すぐ出来ること出来ないこと、現実的なことから最大限の理想までとにかく書き殴った。
そうして一通り書き終えたら、すごく心が晴れやかになった。
まだ何も実行されていない(一つも叶わないかもしれない)未来計画書を眺めてとりあえずでも満たされた気持ちになった。
あ、そういうことか。
夢中とか没頭という概念そのものには、価値は無いんだ。
ある状態を差してるだけなんだ。
思い返せば昔から自分のプロフィール(履歴書)を考えるのが好きだった。
特に音楽活動を始めてからは、自分をどういう経歴のアーティストにするのかをよく考えていた。
洋楽をひらすら聴きまくるのも、さっき言った映画も小説もゲームもその手段だったようにも思う。
計画すること自体が答えがだったのだ。
未来計画を書いている間だけはネガティブな思考が邪魔して来なかったことにようやく気づけた。
自分の活動に行き詰まったとき、心がザワザワするとき、これからはこれをしよう。
(とはいえ、これからも映画・小説・ゲームも普通に楽しんでくよん)
成長に紐ずくことのない、今楽しいかどうかさえ考えない無価値な時間。
没頭ってこういうことか!