小説:当店は9月17日(日)をもって閉店します 3
3 坪田智美
当店は九月十七日(日)をもって閉店します。と書かれたお知らせ文がメダルキーパーの横に貼られたのは今朝のこと。
夏休み期間の店内で、常連のお客さんたちに問い詰められている田原さんが可哀想だと思う。絶対に私はあの立ち位置にいたくない。
けれど田原さんはきっと、それを任されていることに優越感を感じていると思う。だから可哀想という気持ちより、やっぱりあの人のこと好きになれないなという気持ちの方が大きい。
店長も店長だ。田原さんは私と同じパート従業員でしかないのに、やたらと色々な権限を与えているからちょっと上から目線な指摘をされてウザい。
もちろん彼女は私より先輩ではあるんだけれど、別にあなた私の上司じゃないでしょと思う気持ちが自分の中で膨らむ。
それに彼女が仕事時間のほぼ全部を、当然のようにメダル側で過ごしていることにもいつも引っかかる。
基本的にはプライズ側の方がお客様対応は多いし、富永さんや桃田さんは景品の入れ替えなどをしていると機械の中へ入ってしまうことが少なくない。そうするとすぐにお客様対応が出来る人間は私だけという状況が生まれ、私は一人でバタバタしていることが多くなるのだ。
その点、田原さんはメダル側で自分のしたい作業をしながら、時々お客様対応をすればいいだけだと考えると、不公平だなと思うのは割と自然な流れのような気がする。
でもな、だからってメダル側の対応をしたいかと訊かれたら「あまり乗り気はしない」と答えてしまうんだけど。
私が彼女に抱く感情の大半が、私の我が儘から生まれているということは自覚している。田原さんは悪くない。私への上から目線な指摘も、別に真っ当なことを言われてるって分かってる。でもなぜか、彼女から言われると素直に受け取れないのだ。
「ねえ、坪田さん。坪田さんって、めぐさんのこと嫌いでしょ」
私の隣にわざわざやって来て、そう訊くのは大学生の亜美ちゃんだ。
今日の朝番は、店長、田原さん、私、それに亜美ちゃんという珍しい布陣だ。今日のシフトでは桃田さんが中番、富永さんは遅番で来ることになっていて、プライズは亜美ちゃんと二人で見ている。
「別に嫌いってことはないけど」
歯切れ悪くそう答えると、亜美ちゃんは「別に隠さなくてもいいのに」と半笑いで言った。
「めぐさんって、朝番でメダルの主みたくなってるじゃないですか。まあ、メダル側のお客さんってクセ強いし、エラー対応も面倒臭いから、私はやってくれてありがたいなーって気持ちもあるんですけど、エラーが重なる土日祝以外は基本暇なんだし、プライズも見てくれたらなーって思うこと私もありますよ」
亜美ちゃんは田原さんと結構話しているところ見るから、仲が良いと思っていたけどそういう風に思っていたんだと知って驚いた。
「亜美ちゃん、田原さんと仲いいんじゃないの?」
「めぐさんと? んーまあ普通ですよ。話はするけど、大学生の私と、主婦のめぐさんじゃ仲良くなっても友だちって感覚にはならないというか」
カラッとした声で亜美ちゃんはそう言ってのける。
そりゃそうか。主婦と大学生じゃ、年齢も離れているし、生きている感覚もたぶん違う。私だって亜美ちゃんと年齢は二つくらいしか離れていないけど、大学生の頃とは生きている感覚、微妙に違うもんな。
「色々思っても、めぐさんのこと悪く言うのに気が引けるの分かりますよ。別に、仕事してないわけじゃないというか、寧ろ仕事熱心ではあると思うし、ほとんどの人がめぐさんに好意的ですもんね、この店」
亜美ちゃんはそう続ける。そうなのだ。田原さんは仕事をきちんとしている。サボっているというわけでは決してない。それは理解しているのに、なぜか引っかかるから困るのだ。
「私は、田原さんと合わないんだろうなとは思ってるよ。嫌いとかじゃなくてね。仕事はしてるし、スタッフでも田原さんのこと嫌ってる人って居たとしても少数派だと思う。でも、なんか鼻につくなと思う自分は居る」
亜美ちゃんは「やっぱり。ま、みんなに好かれる人って居ないですよね。めぐさんもそうだってだけで、坪田さんがそう思うの、全然おかしくないですよ」と言うと、初心者台のお客さんに呼ばれて対応へ向かった。
フロアを巡回しながら、メダル側の様子が見える位置まで行く。田原さんはまだ、お客さんたちに文句を言われているのか、ぺこぺこと頭を下げている。
私と亜美ちゃんがそういうことをしないでいられるのは、彼女が矢面に立ってくれているからだ。それなのに心にざらりと残る、この気持ち悪い感覚はなんなのだろう。
次に入るテナントがプラットだと分かり、従業員もなるべく引き継ぎたいという話があったと店長から言われたのは、お盆前。すでに桃田さん、富永さん、田原さんの三人は面接を受けることが決定しており、この三人は面接に通れば契約社員として、アミューズパーク跡地に出来るプラットで働くらしい。
それを知ったとき、プラットの面接を受けようと思っていた気持ちが揺れた。アミューズパークでもそうだが、契約社員になると、そのスタッフはアルバイト、パートへの指示役を任される。つまりアルバイトとパートから見れば、上司という立場になるのだ。
田原さんは契約社員になるのか――そう思うと気持ちが重い。
彼女は別に嫌な人ではないけれど、気の合わない人だ。上司という立場になってしまったら、今より指示や注意をしてくるようになるだろう。それを私は、素直に受け入れられるだろうか。
でも、仕事はすぐに見つけないといけない。学生や主婦でもなくフリーターな私にとって、この店の閉店はかなり大きなニュースだった。
せっかく程よく時給が高い仕事を見つけたのに――それが閉店を知らされたときに思ったことだ。
私は、この店に愛着とかそんなにない。勤め始めて半年。それなりの盛況を見せていたこの店が、閉店するなんて想定外で困ると思うくらいで、無くなるのが寂しいとは思っていない。
田原さんは相変わらず朝番でメダルの主をしている。閉店の告知をお客さんにしてからは大型メダル機のメンテナンスをせっせとしていて、閉店を機により一層、店で生き生きとしだしたようでなんだか逆に怖い。
そんなことしてもどうしようもないでしょと、言ってしまいたい気持ちを抑えながら私はいつも通りフロア巡回をして時間をやり過ごすことに徹している。だって、田原さんみたいに、自分でこの店にしたいことなんて無いから。
インカムでは桃田さんと田原さんがどうでもいい話で盛り上がっていて、二人ともそんなにおしゃべりしてないで仕事しなよと思うけど、たぶんこなしている仕事量は二人の方が、私より断然多いのだから文句は言えない。
私、この店のこと、あんまり好きじゃないな。ぼんやり思う。仕事したくない。遊びたい。でも、推しグループのライブには行きたいし、周年ライブの円盤ももうすぐ出るからお金がいる。
みんなみたいにこの店が好きとかないけど、仕事は必要だ。だから私は、淡々といつも通りに巡回して、お客さんの対応して、田原さんのこと面倒臭いと思いながらも彼女の指摘に「はい、了解です」と返し続ける。
田原さんが休みの日は、私がメダル側に入ることが多い。今日も田原さんが休みだからか、自然と私はメダル側に配置されている。
私はメダル側のお客さんが苦手だ。白木さん夫婦の旦那さんなんて、短気ですぐ文句を言ってくるし、この前なんか「お前じゃ話にならんから、田原さんを呼べ!」と怒鳴られた。怒鳴られたのも嫌だったけど、田原さんを呼べって言われたのがもっと嫌でしばらく引きずったのを覚えている。
メダル側のお客さんは、朝番だと田原さんに対しての信頼が異常に厚い。白木さんの旦那さんみたいに怒鳴らなくても、「田原さん、今日居ないの? 居るなら変わってもらえば?」と言ってくる人は一定数いる。
本当に困ったときは私も田原さんを頼ってしまうことはあるし、田原さんに頼んだらすぐ解決することが多いのも事実ではあるけれど、頼り切りになるのはなんだか自分が許さない。
私もメダル側の対応を覚えなきゃと思うけれど、お客さんへの苦手意識と田原さんの出勤日は休憩回しのときくらいしか入る隙が無いからなかなか進まず、九月十七日で閉店すると分かった今は、もういいやという気分になってしまっている。
たぶん私のこういう向上心のなさみたいなのが、私の就活が上手くいかなかった理由の一つなんだろうなと思って、心に重石を置かれた心持ちになった。
「どうにかなると思ってたんだけどな」
独りごちたそれは、フロアの喧噪に紛れて消える。誰の耳にも届かないかわり、自分ははっきりとそれを自覚しているからタチが悪い。
東京の大学へ進学させてもらって、それなのに就活に失敗してしまったから、地元の青葉市へ戻ってきた。フリーターをする傍ら、正社員の仕事を探しているけれど、私が選り好みしすぎているのか、なかなか正社員の職は見つからない。
アルバイトも、私の何でも正直に言ってしまうという悪癖がどこでも軋轢を生みやすくて長続きせず、母はいつも「あんたは、考えてものを言う癖をつけなさい」と繰り返し私に言い聞かせてくる。
そう言えば、田原さんにも前に思ったことをはっきり言ったことがあったな。あのときの彼女は私に怒ったりせず「坪田さんの言うことも確かだね。ごめん」と言って、済ませてくれた。
あの人は悪い人ではない。合わないだけで。分かっていても反発したくなる。きっと反発したって、彼女はしかめっ面をしたりすらしない。寛容、と言ってしまえば簡単だけれど、そうであるということが決して楽でないことも私は分かっている。
メダルカウンターで彼女の書いた引継ぎノートに目を落とす。丁寧な文字で、丁寧すぎるくらい丁寧に書かれた『お願い』を私は上手く飲み込めない。
全方向にいい顔をしようとする彼女を八方美人だと小馬鹿にしていることは、自覚している。みんなに好かれるなんて、無理でしょ。だって私、あなたのこと絶対好きになれないもん。そう思いながら、引継ぎノートに読んだ証のサインを書いた。
お盆の店内はいつもより一層騒がしい。この店が迎える最後の繁忙期だな、ぼんやりそんなことを考えながら、ガラポンの対応をする。
土日祝日は店頭に巨大ガラポン抽選イベントを行うのがアミューズパークのウリの一つだ。
施設内で一度に七百円以上の買い物をしたレシートを提示したお客さんは無料でガラポンを回せるというイベントで、今日の私は朝から延々と、その担当を任されている。
ガラポン対応は楽で好きだ。レシートの確認をして、裏にチェックを入れ回してもらう。出てきたボールを確認して、クレーンゲームチケットかメダルチケットを渡す。特賞は店内の好きな景品と交換で、子ども連れのお客さんは特賞が出ると喜ぶ。
逆にメダルの常連さんなんかは、一等じゃなくて二等のメダル百枚のほうが良かったと言われたりするんだけど。
一等が出ると大きいハンドベルを鳴らしながら「おめでとうございまーす」と言ってチケットを渡してから、インカムで「一等が出ました」と飛ばす。すると、店内放送用のマイクを持ったスタッフが「ただいま店頭ガラポン抽選会にて、一等当選されたお客様、おめでとうございまーす」と店内放送をして店を盛り上げる。
それ以外にも繁忙期の店内では色々な店内放送が行われていて、それはプライズ側に限らずメダル側でも盛んだ。
「メダルゲームコーナー、クロススタジアム一番ステーションでご遊戯中のお客様、グランドジャックポット五千枚獲得されました。おめでとうございまーす」
田原さんの明るい声が店内に響く。その後すぐ、「五千枚なんで私ちょっとジョッキ持って、クロスタの方まわります」と田原さんからインカムが飛ぶ。
メダル側の人は対応をしながらいつも横目で大型機のジャックポットを警戒している。
特にクロスタ、クロススタジアムは四つのステーションが一セットで、ジャックポットの払い出しは、ジャックポットが当たった席とセットの他の三つのステーションのホッパーから払い出される仕組みになっていて、三席全部がエンプティを起こしたりすると、全体エラーを起こす特性があるので一番警戒されている機械だ。
お客さんがメダルをたくさん突っ込んでくれていればエラーなしで五千枚の払い出しが終わることもあるが、アミューズパークのクロススタジアムは調子が悪くて、払い出し中によく詰まる。
「田原、クロスタ二ステ、ジャム対応入ります」
ほら、案の定詰まって田原さんがジャム対応に入った。
「すみません、クロスタ四ステ、エンプティみたいなんで誰か対応行けます?」
田原さんの声に少し焦りが見える。三ステがエラーを吐いたら、全体が止まるからだ。メダル側に入っていた大学生アルバイトの端元くんが「三ステ行きます」と言うのを聞きながら、私は目の前のお客さんに「レシート確認いたします」と笑顔で言った。
お盆が過ぎると、あっという間に九月になる気がする。まだまだ暑い日は続いているけれど、暦の上では秋なんだよな。
アミューズパークでは閉店まであと二週間を切り、新しい景品の納入がなくなった。故障機の部材の注文も出来なくなり、故障した機械は新しい店舗で修理されるまで稼働を停止することになる。
桃田さん、富永さん、田原さんの三人は無事に次のプラットで契約社員として働くことが決まり、アミューズパーク閉店の翌日、九月十八日からガイアのプラットで研修を受けることになっているらしい。
私もプラットの面接を受ける予定でいるけれど、面接予定日は閉店翌週の木曜日で少し間が空く。優先的に面接をしてもらっている中でもさらに優先された三人はきっと、プラットでの中心人物になるだろう。
大学生たちもほとんどがプラットの面接を受ける予定らしく、店舗の顔ぶれに大きな変更がなさそうなことに、ほっとする気持ちとうんざりする気持ちが同居している。
「坪田さん、ちょっといい?」
珍しく田原さんがプライズ側に来て、私にわざわざ話しかけてきたので反射で少し身体がびくっとした。
「はい。どうしたんですか?」
何もなかったかのようにすんとして、彼女を見る。
「アミューズパークが閉店したら、大池さんと友田さんは転勤になるでしょ。大池さんと友田さんは青葉の店舗長いし、色紙と、今までの飲み会とかで撮った写真とかをアルバムにして送る予定でいて。それに合わせてアミューズパーク最後のスタッフになる今のスタッフ全員の写真を店内のお気に入りの場所で撮ろうと思ってるんだけど、参加してもらえるかな?」
くだらない。そう言ってしまうのは簡単だ。でもきっと、他の人は賛同するだろうし、私一人反対を唱えたって仕方ない。
「いいですよ。参加します」
そう答えると、彼女はにっこり笑って「ありがとう、じゃあお気に入りの場所考えておいてね」と言ってメダル側へ戻っていった。
そういうことを実行しようと思う原動力ってなんなんだろう。私にはどこにもないな。そういうの。
彼女の背中を見送りながら、自分の中に積極性がないことを一瞬嘆いた。けれどそれは本当に一瞬で、別にああいう変な積極性はいらないなとも思う。
自己肯定感を下げていくのは良くない。正社員の仕事が見つからなくてフリーター期間が長くなっても、前を向いておくことは大事だ。自分で自分を否定しないでいたい。だからって、彼女を無駄に下げることもしない。いいところは真似していく。それでいい。
閉店が目前に迫ったこの店ではもう何も出来なくても、プラットに採用されたときには彼女のいいところを真似して働こう。彼女に言われっぱなしでいるのも癪だから、彼女に指摘が出来るくらいに働くのも良いかもしれない。
どうするにせよ、まずはプラットの面接に通らねばならないけれど。
つづく
最終話 友田裕太
よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは小説を書く際の資料などに使わせていただきます。