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長編 Fragmentary Color 第5章〜最終章

※この小説は3回に分けて掲載しています。第1章からお読みください。


第5章 Haze Blue sky

少年の目は憎悪に近かった。

固く結ばれた薄い唇。ノーブルな鼻筋。
端正な顔立ちは育ちのよさをより強く表している。彼の好みそうな少年だ。
しなやかに伸びた長い手足は森を駆ける若鹿のようで。

「大人は汚いよ。嘘吐きで、ずるくて、巧妙で。あの人だってそうさ。
あんただって一緒だろ。その体で男を騙してきたんだ。あんただって唯のメス猫さ。
目の前の好物にむしゃぶりついてる、汚らしいメス猫なんだ。
あんたもあの人も、自分の欲だけのためにいろんなものを傷つけても平気なんだ。
みんな汚いよ。」

少年の目は絶望と憎しみと嫉妬で鋭く光っている。きれいな目だと思った。
汚れを知らない憎悪は濁りがないぶんだけきらめきを増す。
固く握られた拳に力が込められた。

「ねえ。今からその汚いメス猫と抱き合ってみる、っていうのはどう?
汚いメス猫がどんなものか、あなたの体で知ってみるっていうのも、お勉強のひとつかもね。ベットなら今朝シーツを新しく換えたばかりなの。
汚いメス猫は以外と清潔好きなのよ。」

静かに笑いながら言うわたしの言葉に少年は青ざめる。侮蔑の表情が鋭く走った。

「どうしたの?返事がないのね。清潔で汚れない少年はいつまでもきれいなものだけ触っていたいってわけなの?
それとも、この汚いメス猫と互角にやりあうだけの、自信も勇気もないってことなのかしら?」

少年は言葉を失っていた。

行き場のない怒りと悲しみと反発と。
目の前にある得体の知れない渦巻くような黒い霧のなかで、もがいている蒼い生命。
少年は絞り出すように言葉を吐いた。

「俺はあんた達のような人間を認めない。俺は・・あんた達のような大人には絶対にならない。」

少年の細い肩が細かく震えている。
わたしは冷たい氷のような攻撃の手を緩めなかった。

「そうね。なれそうもないわね。
たとえ今あなたがわたしと抱き合ったとしても、あなたは恥辱を覚えるだけだから。
汚いメス猫に切り刻まれてずたずたにされて。あなたがその時出来る事と言えば、小さな溜息のような快楽の塊を吐き出すことくらいなものだわ。
わたしの体にすり傷ひとつ残せやしないわね。」


夕闇が迫っている。
薄いカーテン越しにサーモンピンクの柔らかな光が部屋中に進入してきた。

手負いの若鹿は深く傷ついた胸から、透明でそれでいて鮮明な鮮血を流しながらもそこに踏みとどまり、震える四肢を広げてそこに立っている。
屈辱の矢を体に突き刺したまま。

「屈辱の味は苦い?その屈辱の味を良く覚えておくことね。大人をなめちゃいけないのよ。あなたが味わった、何十倍もの屈辱と絶望と悲しみを経てきた大人を甘く見ないことね。

あなたの言う 「きれいなもの」 がどんなものだか知らないけど、きれいなものは、きれいな水の中にだけにあるんじゃないのよ。
澄んだ水の中からきれいな石を取り出すだけなら、幼稚園の子供にだって出来ること。
汚れた水に手を入れて、体ごと沈めて、手探りの中で掴む 「宝石」 もあるの。
その汚れた水に指先すら漬けることのできないあなたに、人を非難する資格はないのよ。汚いものを見たくなきゃ、ずっとそのまま頑丈な石垣に囲まれたきれいな池で泳いでいることね。

人と対等に向合おうと思うなら、本当のSEXってものがどういうものか知ることよ。
さっきまで紺色のブルマー履いていて、たった今スキャンティに履き替えましたってお嬢ちゃんと、形だけのSEXごっこをしているようじゃ無理もないけど。
ましてやアダルト雑誌やアダルトビデオじゃ教えてくれないわね。

興味だけで首をつっこんで、怖くなったら尻尾まるめて吼えるだけ?
それじゃ子犬の遠吠えだわね。
未知のものに足を踏み入れるのにはね、それなりの覚悟も勇気もいるものなの。
それに伴う自分がやったことの責任もね。

さあ そろそろおねむの時間じゃないの?
それとも可愛いお嬢ちゃんと、マニュアル通りの恋愛ゴッコのSEX遊びでもして憂さ晴らしでもするのが、今のあなたには妥当ってもんかしら。」

狙い定めた氷の矢は、みごとに少年の胸を射る。急所を3mmはずして・・。

血の気を失った唇を噛締めながら、少年の目がいつしか寂しげな目に変わっていることを知りながら、わたしは冷たく背を向けた。
少し荒い音をたててドアが重く閉まった。

開け放した窓から、深い秋の匂いが流れ込む。見下ろす街はもう暮れかかり、行き交う車はライトをつけはじめた。

足早に立ち去る少年の後姿が見えた。
それを追いかける一人の少女。
追いつき覗き込む少女を邪険に振り払い、頑なに前だけを見つめて歩く少年。
追いかける少女のタータンチェックの箱ひだのスカートが、ひらりとひるがえる。
風はもう夜風の冷たさ。

「悪かった。嫌な役をやらせてしまった。すまない。」

電話の彼の声は静かで暗くて。

「そうね。あまり楽しい役じゃないわね。
あなたのやさしさはいつだって冷たくて残酷。あれは少女のため?それとも少年のため?」

電話の向こうで彼が小さく笑う。

「野ぶどうでお酒を作る時、あまり青すぎるとまろやかな味にはならないんだ。
若い頃はその刺すような酸味が、口にここちよかったりするのものだけれどね。
年輪を経るとそのきつさに弱くなる。」

森は今日も静かなのだろうか。

燃えるような青さを今は枯れたたおやかなWalnutに塗り変えて、彼のすべてを深く丸く包んでくれているだろうか。

「チエコ ハ トウキョウニハ ソラ ガ ナイ ト イウ ホントウ ノ ソラ ガ ミタイ ト イウ 」

チエコの見た空をここに見つけた・・ そんな気になる。

今日の Haze Blue sky。


Pigeon


鳩は クゥ と泣いた 
夜が怖くて

灯りの見える あの場所まで
折れた羽では 飛べそうに無いから
首を少し傾げたまま 眠りについた

「 飛ぶための空が 見上げるだけの空に
  変わってしまった かなしみは
きっと 君には わからない・・」

まあるい目を閉じたまま クゥ と泣いた

揺らいで歪んだ月を見ている 
わたしの横で


最終章 Flame Snow

夢をみていた。

まわりは雪で埋まっている。横殴りの吹雪の中を歩いていた。
顔に肩に腕に容赦なく雪が打ちつける。
冷たいはずの雪がなぜか熱い。
まるで炎が体をかすめてゆくようだ。
それでも雪は白く、まわりのすべての景色を白色に覆いつくしていた。
わたしの前を誰かが歩いてゆく。
追いつこうとするのに追いつけない。
その距離は縮まりも離れもせず、どこまでも等間隔だった。
どこからか声がした。

「雪の中で死んだら綺麗なままでいられるんだ。眠るように意識がなくなって、苦しまなくてもすむんだ。」

誰の声なのか。前をゆく誰かの声なのか。
思わず足を速めようとして、雪に足をとられた。

「行ってはいけない。」

そう叫ぼうとした声が喉の奥で止まった。
声は出なかった。
うずくまった体に熱い雪は降り積もる。
どこまでも雪は白いのに、まるで炎の礫を浴びているように、体を熱い雪が包み込む。
前をゆく人影は吹雪に霞んでもう見分けられない。

「 まだ熱は下がらないようだね。」

額に冷たい手の感触を感じて目を覚ました。
すぐそばに彼の顔があった。
体は鉛のように重く、全ての細胞が熱をもって疼いていた。
口の中は乾ききっていて、すぐには声が出なかった。
どのくらい眠っていたのだろう。
厚いカーテンに閉ざされた部屋は、時間を遮断して温もりだけを部屋中に撒き散らしていた。

「少しばかりはしゃぎすぎたんじゃないのか?まるで始めて雪を見た子供のようだったぞ。」

そう、森は雪だった。車が走れる幅だけは綺麗に除雪されていたけれど。
それでも降りしきる雪は、みるみるうちにすべてを白く埋めてゆく。
明日のためにもう少しと、雪除けを始めた彼の傍で、わたしは野うさぎにでもなったように走りまわっていたのだった。
寒気を感じたときには、もうすでに熱は上がっていて、彼をひどく慌てさせた。

彼はベットのわたしに、しょうがないな、というような微笑を向けて立ちあがると、大ぶりのマグカップを手に戻ってきた。

「これを飲むといい。喉にはやさしい味だ。」

湯気が立ち上っているまわりに、柔らかな匂いが広がる。

「桃の紅茶? うすもも色の匂いがする・・。」

「ももの実を絞ってね。製氷皿にいれて凍らせておくんだ。それを熱い紅茶にひと欠け入れると、紅茶がまろやかになるのさ。」

やさしさの香り。うすももいろの暖かさ。
この人のまわりでは、いつでも自然なやさしさがなにげなく通り過ぎる。
窓辺に飾られた一輪の花のように。
あるいはさりげなく放り出してある、淡色のクッションのように。
そしてそれらはみんなどれも少しだけ、スモーク・ブルーの影を引き摺っている。

「わたし…がね。ずっとずっと年を取って、小さな小さなおばあさんになったらここに住んでもいい?」

熱に冒されたわたしの声は、ひどく、くぐもっていて、舌はうまく言葉を吐き出せずに、回転を緩めた音声器のようだ。
彼はわたしの枕元にほおづえをついて、わたしの顔の少し上で、わたしの唇を静かに見つめていた。

「 どうして、小さなおばあさんになってからなの?お前がそうしたいのなら、いつからだってここに住めばいいさ。」

なんでもないことのように彼が言う。
そのなんでもないことの深いかなしみを知り尽くしていながら。

「 今はだめ。 かなしみの連鎖が起きる。
彼女の時のように。彼女の時よりもっと。
そしてあなたはあの時より、ずっと、ずっと、苦しむ。だから今はだめ。
わたしは 「わたしがかなしむ」 のはきらい。どこの雑貨屋にでも売っているような 「かなしみ」 なら、見ながらやり過ごせる。ちょっとだけ冷たくなって、置き去りにだってするわ。 わたしはそういう女でしょ。」

彼の瞳が色を沈めてゆく。深く深く暗色に落ちてゆく。
その重さに押されるように、わたしの瞼が緩やかに下がってゆく。
瞼の裏で雪が降る。しゅるしゅると熱い音をたてて降る。

「 あまりしゃべるなよ。熱が上がる。」

耳の奥で彼の声を聞いた。

「 人はね。少しづつ少しづつ何かを捨ててゆくの。そのたびに小さくなってゆくのよ。
余計なものがひとつ消えるたびに、少しだけ枯れてゆくの。
そしてね。もう何も捨てるものがなくなった時、大切なものだけが残る。

それは・・たぶん・・きっと・・ひどくぼやけていて、霞んでいて、時々薄くなったり濃くなったりするのね。
そうすると体もこころも、これだけあればいいと思えるほどに小さくなるのよ。
そうしたら、ここに住むわ。あなたと。」

熱と汗のためにひどく湿ったわたしの髪を、指でそっと掻きあげながら彼が聞く。

「小さくなったお前は、ここで何をするの?」

「 ひなたぼっこ 」

彼がやわらかく笑う。

「揺り椅子に揺られながら、毎日霞んだ幻をみるの。」

「それでは大きな揺り椅子を作らなければいけないな。丁寧にひとつ、ひとつ木を削って。小さくなったお前の体が、すっぽりと入ってしまうような大きな揺り椅子を。」

わたしの乾いた喉が くぅ と音をたてて笑った。

瞼の裏で細いフィルムがゆっくりと回転して、細切れな映像が動き出す。
ちりちりと音をたてて。
大きな揺り椅子に細い足をゆるく曲げて、白い木綿のれえすの服を着た小さなわたしが揺れる。

薄緑と、ももいろと、黄色の、縒れて漂う縞模様の息吹の中で。

むせ返るような青い息を吐き出して、燃えながら伸びてゆく緑の濃淡のうねりの中で。

赤茶色の静寂が幾重にも重なる三角錐の渦巻きの中で。

白い泡粒が回りを取り囲む、透明な冷たい、けれどまろやかな円の中で。

ゆっくりとわたしが揺れる。

そして・・すべての色が消えた。
カラカラと音をたててフィルムは回り続ける。黒いフィルムに白く熱い雪を散らして。

ねえ、夢を見ているの? 
あなたはどこにいるの?
そう言おうとして大きく息を吸い込んで、わたしは少しむせた。

「もういい、何も言わなくても。」

彼の声がだんだんと薄れて霞んでゆく。
体は燃える火塊のように熱いのに、体の芯に一筋の悪寒が走る。
全身に細かな震えが広がった。

「 さ・む・い 」

彼はわたしの横にそっと滑り込んだ。
そして親鳥が雛を敵から守る時のように、わたしを抱え込んだ。
わたしの体に熱い雪が降る。途切れなく降る。

肩に 腕に 胸に 背中に 脚に 熱い雪が吹きつける。
白く白く、どこまでも白く。
そして彼の 肩に 腕に 胸に 背中に 脚に、わたしの白くて熱い雪が流れ込む。
彼の体の中に流れ込みながら溶ける。
まるで大地に沁み込む雨水のように。

彼の体に流れ込み吸収されたわたしの熱い雪は、冷たく冴え冴えとして、そして少し乾いた彼の溶土に攪拌され分解されて、彼の体を巡る。さらさらと音をたてて。 
細かい粒子になって。
それはこの宇宙(ほし)の、絶え間ない輪廻のようだとわたしは思う。
繰り返される自然の輪廻。

森の緑が大きく呼吸をするとき、大地に降り注ぐ光のすべてを飲み込み、無数の「生の胞子」を放つ。
ふり蒔かれた胞子は、すべての生き物の中に降り落ちて吸収される。
見えない無数の呼吸の連鎖と融合。

わたしも彼も指先ひとつ動かしてはいなかった。声ひとつも漏らしはしなかった。
そんなことは今、何一つ意味を持たなかった。

目的を果たす、それだけのために組み立てられた、ここちよさ色に偽装された行為の数々。かたちなきものをかたちつけるために、綺麗色に塗り込めた儚い言葉の数々。
それらが今、ひび割れ崩れて消えてゆく。

この瞬間に彼が男であることも、わたしが女であることも必要ではなかった。
わたしたちはひとつの増殖する融合体だった。細かくあるいは深く呼吸をくりかえし、流れ込み放出し吸収する、ひとつの融合体にすぎなかった。

わたしの体の真中を鋭く熱い火柱が走る。
熱い雪の炎が一直線に体を突き抜ける。
わたしの力ない指がかすかに動いて、彼の背中に爪を立てたとき、彼はわたしを力のかぎり強く抱きしめた。瞬時の誤差もなく。  
みごとなほどの命の融合だった。
声にならない声を上げて、わたしは彼の胸で静かに意識を失った。

森は眠る。 
静かな寝息をたてながら。
熱い白い雪を冷たく柔らかな覆いにかえて。
無数の命を幾層にも重ねて閉じ込めて。

森は眠る。
大きな白い種子の中で、わたしたちもふたつの胚芽になって寄り添って眠る。
熱い白い雪は静かに降りつづく。
わたしたちの上を。
しゅうしゅう と 音をたてて。

わたしは暗号のような音の無い言葉を吐きつづけた。

コ コ ニ イ テ

彼もまた繰り返し送り返す。

コ コ ニ イ ル 
 


はじまりとおわりと


あなたに 何かが 始まろうとしているから わたしは この扉を閉じなくては

わたしの 何かが 終わろうとしているから あなたは そっと背を向けて歩き始める

はじまり と おわりは
いつでも ふつうに やってきて 
いつでも ふつうに 通り過ぎる

さっきの雨が やんで 
ふいに陽射しが 差し込むように

あなたが きれいに 
微笑んでくれたらいいのに


              ー完ー 

あとがき

さまざまな色の絵具をチューブから絞り出してパレットに並べる。
お気に入りの筆で少しずつ色を混ぜて微かな呻きのような物語を作って、小さなカンバスに並べてみる。
こころの何処かがチリチリと小さな傷でひび割れていくような…そんな物語を書いてみた。
何処かの誰かのこころの片隅に届けばいいな…と思いながら。

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