おおくぼけい及びアーバンギャルドに関する一考察~水玉自伝を読んで~


はじめに

「10月12日生。A型。性別は概ね男。何が飛び出すか分からない、アーバンギャルドのブラックボックス。様々なアーティストのサポート、映画、演劇の音楽の作編曲、フリーインプロビゼーションなども並行して行う。
現代音楽からルーツミュージック、フォーク、GSまで幅広い音楽知識でまだ聞かぬ音楽を顕現させるアナログを愛しデジタルに泳ぐ呪術師。」
(アーバンギャルド公式サイトより)

というのは、公式ホームページに書いてあるおおくぼけいの紹介文である。
情報が多い。わかりやすいけどわからない。「概ね男」とは何なんだ。
「アーバンギャルドのブラックボックス」ブラックボックスだったの?
「アナログを愛しデジタルに泳ぐ呪術師」呪術師…。わからない。一体どういうことだ。興味が沸いてくる。

今回の課題図書である『水玉自伝』を読んでいる最中も、おおくぼけいには頭の中をかき乱された。独特な言い回しが多く含まれた、複雑なパズルのような文章が何度も心に引っかかった。そしてその中に見え隠れする彼の真意にぐっと惹かれた。
松永天馬と浜崎容子の間に挿入された、彼の一見おかしくも熱い文章が、どういうわけか私の心を掴んで離さなかった。
ここから更に何かを読み取りたい、彼について考察してみたい。という気持ちが膨み、今キーボードを打っている。

本稿では、課題図書『水玉自伝』を読むことでわかった彼のことを「音楽、活動」「人間性、内面」この2つに分けて論述していき、「おおくぼけい」という存在、そして彼がアーバンギャルドに入ったということについて、他のメンバーとのことも踏まえながら考察していく。
またおおくぼけいを中心に据えてはいるが、結果としてアーバンギャルドの音楽と、メンバー3人の共通点や魅力について論ずることにもなった。

そのため、これは決しておおくぼけいに興味がある人のみに向けたものではない。
アーバンギャルドを好きな人たちに向けて、アーバンギャルドが大好きな自分のために、そしてその大好きなメンバーに届けるために書いている。

以降、ネタバレを含む。そして長い、ごめんなさい。


「音楽、活動」

おおくぼけい史

彼の音楽と表現活動は実に多岐に渡る。
四歳でピアノを始め、中学校では吹奏楽部に入り、トランペットを担当した。また三年生の頃に初めて曲を作る。
高校生時代も同じく吹奏楽部に入り、ここではサックスを担当した。そしてこの頃から打ち込みやバンド活動を行っていた。
その後、大学では作曲コースに加入。授業には参加せず後に中退するものの、在学中にその実力が認められ市の合同ミュージカルの作曲家に指名される。

また同時に映画や演劇にも関心を持っていた。中学生の時には自ら脚本と絵コンテを書いて映画を作り、高校では映像制作部の部長を務めた。大学ではミュージカル研究会の会長になり、作演出と出演、作曲までもした。
大学中退後は新宿フォークというバンドを結成、メジャーデビューも果たす。それからはGOING UNDER GROUNDをはじめとした様々なジャンルのバンド、アーティストのサポートを経験する。
そしてザ・キャプテンズに加入し、ライブではその個性的なキャラクターと破天荒なパフォーマンスが注目を浴びた。

そんな彼だが、アーバンギャルドとのファーストコンタクト(バコンバコン)について、音楽性の乏しさやメンバー間の精神衛生面がよろしくなかったという理由から、「バコンバコンの印象はよくなかったというのが結論」としている。
しかし、自分の好きなものがこれでもかと詰め込まれていたバンドに、羨ましさや嫉妬心を抱いたともあり、心が惹かれたのも事実であろう。
そして運命の悪戯か、神様の悪ふざけか、いやもしかしたらただの偶然なのか。そんなことはどうでもいいが、なんと数年後そのバンドにサポートで参加することになる。
改めて内部からアーバンの音楽的な弱さを知り、気に掛けるようになった。そして自らメンバーになることを希望するのだ。

おおくぼは自伝の中で、サポートとメンバーの違いを、

「サポートは提示されたものをより良くするために手を尽くすけど、メンバーは作品自体を提供する側ということ、そして今ある状態を壊すことも出来る立場ということ」

だとしていて、全く異なる立場であることがよくわかる。
彼が自らアーバンギャルドのメンバーとして作品を作り、今ある状態を壊すことも出来る立場になりたいと思ったのにはどのような理由があったのだろうか。


アーバンギャルドは実に様々な要素を含んでいるバンドであり、それは自伝の松永天馬の部分を読んでいるとよくわかる。
「トラウマテクノポップ」バンドと謳っている通り、中毒性のあるテクノポップサウンドが特徴的なバンドだ。ロックとテクノポップの中間にあるニューウェーブ的なサウンドも魅力の一つである。
加えてバンド活動の枠に留まらず、メディア的・文化的な側面も持っている。それはライブの際に盛り込まれる詩や演劇的な要素、そして音楽外の活動等に見られる。
実に幅広く、とても自由な「バンド」だ。

また松永天馬が指摘しているように、バンドとしてみた時にキーボードを主体としたサウンドなのである。自伝の中でも、

「谷地村がいたときに、僕のアイデアを彼が具現化するという連携プレイによるところが大きかったから、キーボーディスト不在の状態だと、どうしてもバンドの根幹の部分が弱くなった」

と述べている。アーバンギャルドというバンドにおいて、キーボーディストというのは特に必要不可欠だ。

数々のバンド活動を経験し、多様なジャンルの音楽に触れてきたおおくぼけい。またそれだけに留まらず、一般的なバンドマンやキーボーディストと違って、アーバンギャルドと共通した世界観をホームに幅広いフィールドで活動をしてきた。
この、他に例を見ない自由なバンドのキーボーディストという場所は、彼のスタイルを発揮することが出来る格好の場であったと考えられる。

アーバンギャルドはおおくぼけいがそれまで歩んできた音楽と活動、その全てを生かせる場所だったのだ。
メンバーが次々と抜け、バンドとして機能していなかったアーバンギャルド。それを再びバンドに出来るのは彼しかいなかったと断言できる。ただのキーボーディストには絶対に務まらないであろう。

おおくぼけいが加入までに行っていたアーティストのサポートやザ・キャプテンズのメンバーとしての活動は、どれも一つ一つ素晴らしいものである。
しかし、全てはアーバンギャルドへ入るためのプロセスであり、そこに直結していたという風に思えて仕方がない。


彼の音楽遍歴や活動、歩んできた人生は、まさにアーバンギャルドに加入するためのものであったと考えた。そのようになる運命だったと言っても過言ではないだろう。
なんとなくだが、運命という言葉をおおくぼけいはあまり好まないように思う。しかしこれには「人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。」(『デジタル大辞泉』)という意味がある。何かの巡り合わせによって今に至り、その結果人に幸せを振りまいているために、やはり運命だと言える。絶対運命だ。


加入後
おおくぼけいが積み重ねてきたものは、様々な形で昇華されていった。
加入後すぐに『少女KAITAI』を発表して新たなアーバンを見せつけたとともに、今後に対する良い予感をもたらした。
2017年のフラッシュバックワンマンの際には膨大な量の過去の曲に手を加えた。総点検し、音を差し替え加えることによって、過去から変化のなかった打ち込みを大きく成長させた。
また、外からアーバンを見ていたおおくぼけいだからこそできたこともある。
彼がアーバンに感じていた面白さの一つである演劇的要素。それが存分に生かされた朗読劇『詩劇』を提案し、実際に行われた。またこれが、強い衝撃をもたらしたコンセプトアルバム『昭和90年』のモチーフに繋がったと松永は指摘している。
これ以外にも、挙げたらキリがない。

このように今までのアーバンギャルドを踏まえつつ、新しいアプローチを組み込み、彼の持つ音楽的器量を余すことなく用いることによってバンドに良い変化をもたらした。その無限の広がりを持つブラックボックスから様々な物を取り出し、アーバンギャルドに生かしてきたのだ。

そして2019年には3人編成での活動もスタートし、2020年にはこのメンバーだけで全国ツアーを開催することが決定した。
打ち込みを主体として構築し、3人だけでライブを行う。更にこの編成で過去最大の19箇所を巡るツアーを行うだなんて、過去に誰が想像しただろうか。「アナログを愛しデジタルに泳ぐ呪術師」であるおおくぼけいがいなけば実現しなかっただろう。
悔しくもコロナウイルスの影響で中止となってしまったが、いつか絶対に見たいと思っている。


救い、救われ
おおくぼけいの影響でアーバンギャルドは確実に成長を果たし、次の段階へと進むことが出来た。アーバンギャルドはおおくぼけいに救われたといっても過言ではないし、メンバーやファンの間でも救世主的存在として語られることが多い。

だがしかし、それはおおくぼけいにとっても同じで、彼を救ってくれたのもアーバンギャルドだったように思える。
本当にやりたい音楽をしてこなかった、それが出来る場所を見つけることが出来なかったおおくぼけい。
そんな彼はある時、今までの活動を生かして好きな音楽が出来るバンドを見つけた。サポートとして活動をしていたけれど、自らメンバーになることを望み、「人生を賭けたい」とまで思うようになった。

彼はアーバンギャルドの音楽を救ったとともに、アーバンギャルドの音楽に救われたのである。


「人間性、内面」

「概ね男」ということ
スラっとしたしなやかな細身の身体に、肩まで伸びた髪、そして化粧。
加入当時、その中性的な見た目から、「男なのか?女なのか?それとも…」とファンを動揺させた。
そんな人たちに対し彼は、「概ね男」と答えた。

彼は男性としてこの世に生を受けた。だがしかし、一般に「男性的」だとされるもののみならず、「女性的」だとされているものも身に着けていた。
小学校に全身ピンクで通ったり、高校生の時にはバンドでスカートを履いて歌った。青い部屋で活動をしていた頃にはメイクをしてセーラー服やボンテージ姿でピアノを弾き、ザ・キャプテンズ時代には女装姿で活動していた。アーバンギャルドに加入してからも、メイクをしてセーラー服姿で演奏することがある。
そして2016年には、まったく新しいタイプの女の子を発掘し育てるオーデョション、ミスコンである「ミスiD2017」に応募した。男性である彼だが、なんと書類選考に通った。ふんどし姿やSNSでの活動が注目を呼び、ファンからの声援を受け、ファイナリストにまで選ばれた。(ミスiD 2017 おおくぼけい) 

一見、女装が趣味なのか、それか女性になりたい願望があるかのように思える。
しかしインタビューやラジオなどでそのように聞かれると、いつもそうではないと強く否定する。そして口下手で上手く説明できないためか、それ以上に語ることはない。
上記のような行動はどこから来るものなのか。

まずプロフィールにもある、「概ね男」という部分、そして彼の性や内面について掘り下げていきたい。
自伝や過去の発言と読み合わせ、おおくぼけいという存在について考察をし、おこがましいが彼の代わりに提示してみたいと思う。


以前彼はTwitterで、

「女装という単語は好きじゃないし、最早女装という概念は古い。」
(おおくぼけい公式Twitterより)

と発言をしていた。また、ミスiDの自己紹介PRでも、

「かわいい女の子」という存在は僕にとってそれをも越えた「希望」であり、性別を超えて挑める「夢」なんです。僕はこの世でひとつの僕の「女の子」を自分自身で表現したい、新たな「かわいい女の子」の価値をこの手で創り発信していきたい。

と言っている。女装が好きだったり、女性になりたいと望んでいるのではなく、唯一無二の自分になりたいという意思が感じられる。
そしてここにある「かわいい女の子」とは、ただの普通の「可愛い女の子」を指しているのではなく、「誰でもない自分」を言い換えた言葉なのではないかと考えた。

また、自伝の中でも、

このバンド(ザ・キャプテンズ)では女装をしていた。しかし自分からすると女装とか男装とかいう概念はなく、たまたま自分に似合うものとしてドラァガクイーン的服装、グラムロック的服装を選んだのだ。

と書いている。

これらのことを踏まえると、彼は別に女装が趣味な訳でも、女性になりたい訳でもない。その時に似合うもの、自分が着たいものを着て、それに合うメイクをしているだけなのだと考えた。
では何になろうとしたのか?それは「誰でもない自分」なのではないだろうか。
本人がこのことについて言及をしてこなかったこと、ミスiDに参加した際にその意義をちゃんと消化出来なかったために、あまりこのことが理解されていないように思える。
彼はいつでも、唯一無二の「おおくぼけい」という存在を模索し、示そうとしていたのだろう。そしてそれは今でも変わらない。

幅広い音楽活動と併せて、彼はきっと「おおくぼけい」という一つのジャンルを確立しようとしているのだと考えた。


一見引っかかる「概ね男」という言葉。しかし、男として生まれたが、その性に捉われることなく、赴くままに身に付けたい物を身に付け、幅広い活動を続けてきた彼を表すには適している。
おおくぼけいの表現活動や思想は男として語るには説明不足であり、「概ね男」とプロフィールに書いているのにも納得が行く。「おおくぼけい」という一つのジャンルを語る際に、「概ね男」という言葉は重要な要素なのである。
これからも本人がこのことに関して話すことはあまりないかもしれないが、きっと作品や活動を通して示してくれるだろうし、それが楽しみだ。


おおくぼけいには心がない?
彼はよく「心がない」と言われる。それはライブのMCやFCラジオでも指摘を受けるほどだ。自伝の中でも、自ら「他人に興味が薄い」「人のことに興味がない」と発言しており、ドライな一面が伺える。
だがしかし、本当にそう言い切れるのだろうか。


自伝を読んでいると、彼の長い音楽遍歴がよくわかる。そしてそのように歩みを止めることなく音楽を続けていた背景には、音楽が好きだという気持ちと、自分のやりたい音楽が出来る場所を見つけたいという願望があったからだということも伝わってくる。なんとも熱い男だ。

またおおくぼけいは、ザ・キャプテンズに所属していたにも関わらず、アーバンギャルドに加入したいと望んだ。自伝の中ではこの経緯が詳しく述べられている。所属していたバンドを抜けて他のバンドに入るというのは、相当な覚悟と決断のいることだっただろう。
けれども、自分の表現したい音楽をやっていきたいという強い気持ちが彼の中にはあり、それを実現することが最終的に周りの人々にとっても納得のいくものになるだろうと考えた。

そして、アーバンに加入したいということを松永天馬に伝える手紙の中で、彼は「アーバンギャルドに人生を賭けたいです。」と書いた。
アーバンに対する覚悟と思いがどれ程のものなのかが伝わってくる。松永天馬もそこに胸を打たれたのであろう。

一見心がないように思われがちだが、その根底では熱い炎が燃え滾っている。確かに他人に対する興味関心は薄い…というか無いに等しいように思えるが、好きなものに対する情熱や思いは凄まじい。
そしてこれが、彼の魅力であると考えた。


浜崎容子と松永天馬とおおくぼけいと
またこの熱意は、浜崎容子と松永天馬とも共通しているのではないだろうか。自伝を読んでいると、この二人のアーバンギャルドに賭ける思いがどれほどのものなのかがよくわかる。

浜崎容子は自伝の中で、

「辞めていった人たちは、アーバンギャルドのことを人生を賭けるほど好きじゃなかったんじゃないかなと」

と書いている。言い換えると、人生を賭けるほどアーバンギャルドを好きじゃないと、このバンドは続かないということだ。
メンバーは皆一見ドライに思えなくもないが、内面が熱く、アーバンギャルドに人生を賭けたいと思っている。だからこそこうやって活動を続けることが出来ていると考えた。

そして更にメンバーに共通しているのは、アーバンギャルドに出会うまで、同じくらいの熱意を持って、同じ方向を向いて活動が出来る人に出会えなかったということだ。自伝の各メンバー部分からは、そのことへのフラストレーションが節々から伝わってくる。
またそれと同時に、今のメンバーと出会えたことに対する喜び、そしてこの皆でやっていきたいという気持ちがよくわかる。

浜崎容子と松永天馬は、互いに絶望を味わっていた時に出会い、救われたのだ。浜崎容子が書いた自伝のあとがきからは、それが愛おしい程に伝わってきた。
浜崎容子は嫌悪感を示すかもしれないが、私はこの2人の出会いに運命的なものを感じる。ここからアーバンギャルドの本格的な活動が始まっていったことを踏まえると、アダムとイブの出会いを想起してしまう。

それから何年か経った後、おおくぼけいが加わった。やっと、自分の持っているものを生かし、やりたい音楽の出来る場所を見つけたのだ。
またそこには、バンドに人生を賭けている最高のメンバーがいたのである。


終わりに

以上が、水玉自伝を読んだ私のおおくぼけい及びアーバンギャルドに関する一考察だ。ほんの少しだけ、おおくぼけいという存在への理解に近づいたように思える。
また、彼のことを扱ってはきたが、それは結果としてアーバンギャルドの音楽と、現メンバーとの関りや共通点について考察することにもなった。


論文形式を採ってきた本稿において感想的なことを織り交ぜるのは少々不適切かもしれないが、書かずにはいられない。
水玉自伝を読み、おおくぼけいについて考察したら、彼のことで頭が侵食されてしまった。そして何より3人が出会ってくれたことが嬉しくて堪らなくなってしまった。
私はこの3人が大好きである。私の人生を救ってくれた、この3人の出会いと全てに心から感謝している。


幅広い音楽遍歴を歩み、狭い枠に囚われず、赴くままに興味深い活動を続けるおおくぼけい。
そんな彼は、30も後半になった頃、やっと自分のやりたいことが出来るバンドを見つけた。そしてそこにいた個性が強過ぎるメンバーは、皆同じ「アーバンギャルドに人生を賭けたい」という燃え滾る情熱を持っていたのだった。


今後「おおくぼけい」という一つのジャンルをどのように私達ファンに提示してくれるのか、アーバンギャルドがどのように活動を展開していくのかが楽しみで仕方ない。これだから生きるのをやめられない。

今後も引き続きおおくぼけい、そして私の青春であるアーバンギャルドに関する考察及びファン活動を熱心に行っていきたいと思う。

引用・参考文献
・ロフトブックス編集部『水玉自伝~アーバンギャルド・クロニクル』
・アーバンギャルドオフィシャルホームページ bipgraphy
https://www.urbangarde.net/biography
・おおくぼけい公式Twitter
「女装という…」
https://twitter.com/keiookubo/status/1135919642176774144?s=20
・「運命」小学館『デジタル大辞泉』
・ミスiD 2017ファイナリスト おおくぼけい
https://miss-id.jp/nominee/2297


読みにくく、わかりづらい箇所が多かったかと思いますが、長い文章をここまで読んで頂きありがとうございました。

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