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[実録]神仏との対峙 - 最終章 神を超える力☆後編

前回の記事はこちら👇

前回から大変時間が開きました。

本業が忙しかったこともあるのですが、実はこちらの記事は早くに書き上げていたのですが、なんとなくしっくりこず、公開をすることを躊躇っていました。

ここから天界にいる存在よりもっと古い存在が降りてきた話を書こうと思っていましたが、しかし書き進むことが難しく感じていました。

書き進むことが難しい理由を色々と考えてみたのですが、この古い存在たちの問題というのは、自分の中で未解決な部分が多い、現在進行形の問題であるからではないかと思いました。

ここに書いている体験記も、きっと2年前だったらほとんど書けなかっただろうと思います。自分が体験して数年の時を経て、やっと客観的に捉えられるようになって始めて文章で表現することができるものなのだと思いました。

今、自分が置かれている状況というのは、本当に一寸先がわからない、五里霧中であると感じます。

これからいい方向に向かっていくのか、悪い方向に向かっていうのか、正直行方がわかりません。

ただ今の理解をざっくりと書くと、この三千世界は、創造主が作って育成してきた盆栽だということです。

創造主よりも古い存在もたくさんいる。4つか5つくらい上からはもう人間の理解を超えるような存在のあり方になってくる。

三千世界は創造主の私有地だから、創造主の考えが絶対であるということ。創造主がイエスといえば全てがイエスとなり、ノーと言えば全てがノーとなる。創造主が存在することを認めなければ消されるし、創造主が存在することを認めれば、どんなにやばいものでも存在することが許される。それがこの世界の根本的な仕組みであると理解しました。

天界にいる者たちを生じさせたのは創造主で、元御霊たちまでを生じさせました。そこからどんどん神々が繁殖していき、その神々が作ったのが人間の魂であり、霊界であり、現世であると。

この現世は、元々は天界の者たちが遊ぶために作ったゲームの盤面で、少し前までは東西に分かれて陣取りゲームをして遊んでいて、今はシミュレーションゲームの真っ最中だとか。

この現世は8つ目だと言ってました。

でもこの現世が最も物質が発達していて、エンタメも楽しいし、食べ物も美味しい世界だから貴重だと。

それで他の育成不良の三千世界もくっつけてどんどん大きくしていき、その結果、三千世界の外側からも古くて大きな存在たちが降りてこれるようになったと。

俄には信じられませんが。

そして師匠の肉体は、今、大きな存在たち用の人生ゲームのコマになっていると。あの人生ゲームです・・・その存在たちは、「コマは他にもいくつもあるよ」というのです。

その話を聞いた時、いつも明るい師匠はとても悲痛な声で、「そんなことのために人生をめちゃくちゃにされたのか」と呟きました。それを聞いて私も悲しくなりました。

師匠と私は毎日のように電話して霊障の処置のついでにあれやこれや楽しい話などをしていますが、思えば師匠がこれまでどのように生きてきたのかを知りません。

少し聞いたのは、今思えば子供の頃から霊障が起きていたと。そこから大人になって気功から入ってここまできたことくらいでした。あるときに上の意識が降りてきて、次に上の、さらにその上の、と、どんどん古い意識と記憶が降りてきたのだと、そのように仰っていました。

知っているのはそれだけ。

でも、私には師匠の苦痛がわかるような気がしました。

上の意識が降りれば、体だってしんどいし、普通の人ができることができなくなる。

霊にたかられ、神仏にもよってこられて、日夜、霊障が引き起こされる。

その苦痛を人に訴えれば白い目で見られる場合もある。

私は師匠や先輩方のおかげで守られていて、自分の人生を歪められることもなく、普通の仕事をして、普通の家族や友人に囲まれ、恵まれた人生を歩めている。でも師匠はきっとそうではなかったのではないかと思いました。師匠は、自分の身に次々に起きる苦悩をどうやって乗り越えてきたんだろうか。教えてくれる人や守ってくれる人はいたんだろうか。

以前の記事でご紹介した出口すみさんの手記を読んだこともあり、神がかりの苦悩は嫌というほど私の心にも刻み込まれていました。

でも師匠はそんな辛さは微塵も見せず、私の身に起こる霊障に毎日毎日対処して、「大丈夫、問題ない」と声をかけ続けてくれました。これは何年も続きました。とにかくいつも師匠は明るくて楽観的な人で、どんなに助けられたことか。そしていまはすっかり健康で、普通の人の5倍くらい元気で仕事に励めているのはこの師匠のおかげです。

だからなのか、私は、師匠の「そんなことのために」という呟きが、ものすごく重く悲しく感じられました。

師匠の人生が犠牲になってしまった分、わたしには元気で普通に暮らしてほしいと願ってくれているのかもしれない。そう思いました。

そんなある日、私は自分の人生が神仏によって歪められてしまっていることに気がついてしまいました。何日、何時間も師匠と話しても解けない問題でした。師匠を毎日長時間にわたって拘束してしまい、本当に申し訳なく感じました。諦める方向に自分の気持ちがどんどん向かっていました。でも師匠は私が諦めようとする中、「何がんなんでも元に戻すから!」と力強く励ましてくれました。

師匠は、私の人間としての幸せを我が事のように願ってくれている。師匠の心の叫びを聞いているような気持ちにもなりました。

またあるときに、自分の寿命をたまたま知ってしまったことがありました。その寿命はあと生きられて9年というものでした。

でも、それに対して自分は何も思いませんでした、寿命を書き換えてやろうと取引をもちかける神仏に向かって「生きるのも大変だからいい」と断りました。

実際そう思いました。師匠だってそう思うに違いないと。

しばらく黙っていましたが、何かの話からその話になりました。

師匠の反応は意外でした。それは大変だから「寿命を書き換える」と師匠が言い出しました。私がいいですと断ったら、師匠は「でも家族仲はいいんでしょ?」と聞いてきました。「はい。」と答えると、「食べることに困ったり、住むところに困ったりしたことないでしょ?」と。「はい。困ったことないです。」と答えると、師匠が「それって人間として一番幸せってことだよ。だから少しでも長く生きられるなら生きた方がいい。」

そうなんだと思いました。私はすごく恵まれていたんだと。

だから自分は、何がなんでも普通に生きたいんだと思います。師匠の気持ちを無駄にしないため、健康で幸せで少しでも長く生きたい。

災害だって今まで興味もなかったけど、それでもやっぱり避けれる方法があるなら避けるべきなのだと。

人間の心を失ってしまったけど、自分が肉体を持った人間であること、頑張って生きなければならないこと、そんなことを毎日毎日心に言い聞かせながら生きています。

一方で、創造主からは「お前は人間のように生きてちゃいけない。人間とは違うんだよ。」と叱れ続けています。

あの人間だった頃の気持ちはどこへ行ってしまったのか。創造主に尋ねたところ、「お前が人間だったことなんて一度もないじゃないか。」と言われました。

そうなのだろうか。

わかりません。

伸ばされた寿命の先にはまったく何の人生の計画が書かれていないのではないかと思うくらい、ただの空白を感じます。自分のこれからの人生をどう生きるべきか、頑張って生きた先に待ち受けるのは天国なのか地獄なのか、全く未知数です。

そんな中、ある知人を介して知り合った霊能者の方がいました。その方の霊視能力に興味を持ち、霊視合わせをさせていただいたことがあります。

「霊視合わせ」というのは複数の霊能者が同じものを同時に霊視し、自分の見え方の特性や強弱を知る一種の訓練です。

霊視合わせが終わったあと、その方が私に向かって「あなたは神仏に自分の人生を明け渡してしまった人。」と言いました。

たしかに自殺霊に憑依され急死に一生を得たそのときから、全てが余生であるような感覚に襲われていました。そしてさらに寿命が延ばされてしまい、ここからどう生きたらいいのだろうかと途方に暮れていました。

もう余生なのだから、私の体は神仏が好きに使うだろう、そう思っていた節があります。

だから自分の人生設計やこれからの夢や希望など抱くことはできないでいました。

「私があなたに真っ白な画用紙をプレゼントします。そこに自分の人生を描き直してください。」そのように言われました。

私はその画用紙に、未だ何も描けないままでいます。

また少しずつ先が見えてきたら、この続きは書いていこうと思います。

ひとまずこのシリーズは終わりにして、また個別の記事を時々書いて行こうと思います。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました!

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