【第二夜】海と山の往復書簡 2022.08.29
僕も日々が溶けていくように過ぎ去っていきます。
環境にまだ慣れていないからか、目まぐるしく変化する一瞬一瞬にしがみついていくことしかできず、ふとした瞬間に訪れる余白に逢着して、なんとか筆を執っています。
そして何よりも、日常に余白をもたらしてくれるものこそが、自然だと痛感しています。
…ゆうさんは、海にさまざまな表情を見出しているんですね。自分には感じられていないことで、海で育ったからこその言葉だと感じます。
僕から見た海は、常に揺れ動いていながらも、全体としては泰然としています。海に会いたいと思うときは、複雑に絡み合いすぎた自分を解きほぐしたいと思うことが多いような気がします。水平線を埋め尽くす水面と、耳に潜り込む波の音は、自分の淀みを洗い流してくれます。だがそれは、海の猛威を知らないから言える悠長なことなのかもしれません。
対して山は、捉えどころがありません。色も音も匂いも、常に移り変わっている。海もきっと水面の下ではそうなのだと思います。
とはいえ、僕が山に来た最初から、その繊細さを感じ取れていた訳ではありません。最近になってようやく、森の中に自然と浸ることができて、些細な変化を捉えられるようになってきたような気がします。でもまだ分かったようなことは言えません。
山は、ありのままに佇んでいて、感じるままに生きているような気もしてきます。そういう意味では、山は子どもらしいかもしれません。海は生命の源、とも言いますし…。海の方が大人なのかも。
…今日はこの辺りで。
2022.08.29
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