槇原敬之と『青い鳥』

今年に入ってからフジファブリックの「若者のすべて」を槇原敬之がカバーしている動画をヘビロテで聞いていた。
そこからいくらか懐かしい曲も聞いていた。

そしてニュースを騒がせた後で、改めてかつてとにかく聞いて聞いて聞きまくった10枚ぐらいのアルバムの曲を聞き直した。

とにかくテレビとゲームと、そして音楽とともに過ごしていた子どもの頃を思い返す。
懐メロも洋楽もいろいろ聞いていたが、その中でもマッキーは大きな存在で、自分の青春を作った一人であるのは間違いなかった。

そして気がついた。自分の中でも最も大きい本となった『青い鳥』で感じたことは、自分が中学生の頃から触れていたメッセージだった。

神様 ねぇ もし僕が
彼女といること
あたりまえに思ったら
力いっぱいつねって下さい
幸せの意味を忘れぬように
(『君は僕の宝物』)

半透明のゴミ袋を抱えながら
星空に口笛よひびけ
すばらしき毎日
今日も吠えるとなりの犬に
本気でどなり返す
すばらしき毎日
(『東京DAYS』)

大好きなナンバー
ラジオから流れれば
幸せはここにもあると
いつのまにか笑っている
I'm a cleaning man
(『cleaning man』)

他にもあげだしたらきりがないほどにある。
聞きながら涙が出てきたし、こういったメッセージを忘れて過ごしていた以前のことを反省もした。

自分の信仰は『太陽』以降の3枚のアルバムによって固められてもいる。
自分の汚さ、弱さ、ダメさを全てひっくるめて、自分だと認めて、受け入れることができたのはマッキーの歌のおかげであり、大切な人と信仰について話したい時には知ってもらいたい歌たちでもある。

自分の弱さを受け入れて、他の人にも寛容になれるようになってきたのも、マッキーのおかげだ。
おかげで今は生きやすい。

いけないと思っていても、してしまう。
続けてしまう。やめられない。

世間を騒がせる(というか勝手に周りが世間を騒わがせようとしている)ニュースがいろいろあるが、自分はそうしてバッシングにあう人に対して共感してしまうし、その弱さについては好感すら抱いてしまう。
もちろん行為自体はよくはない。ただ、自分もよくはないことをしてしまっている。

僕の背中はそうありたいと思うほどに正直ではない

人間はそういうものだし、それでいいし、その上で周囲の人を認めて許して生きていきたいと思う。

そして、ここは「認め合って許し合って」ではない。
「認めて許して」でいい。自分が許されることは求めない。

ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

これでいいと思う。

雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ
自分ニモ負ケナイ
そういう心を持つのは難しい
その事をまず僕は思い知るべきだ
(『雨ニモ負ケズ』)

そして、こうして自分の弱さを認めることが、周囲のものに対する批判や否定から離れることにつながっていくはずだ。
全て美しく、尊く、愛すべきものたちだと、大切にしていきたい。

2020年2月25日

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