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「ありがとう」よりも「ありがとう」

【#151】20211128

人生は物語。
どうも横山黎です。


作家を目指す大学生が思ったこと、考えたことを物語っていきます。是非、最後まで読んでいってください。


今回は、『言葉には限界があるけど、だからこそ燃えるよね』というテーマで話していこうと思います。



☆言葉は大人のおもちゃ


昨日、こんな記事を見つけました。福蔵さんの『言葉は、オトナのおもちゃだ。』という記事です。タイトルに惹かれて、読みました。詳しくはその記事を読んで欲しいんですが、



「おもちゃ」を、「感性を養うアイテム」、「閃きを生み出すアイテム」と定義し、そう考えたら「言葉」も「おもちゃ」だよね!という話です。確かに、言葉で遊んでいるとき、頭を使うし、発想力が鍛えられますよね。


僕自身、「言葉の可能性」にはとても興味があって、無限なる力を秘めていると信じています。言葉は有限。言い表せる範囲には限りがあるけれど、だからこそ目の前の対象をどう表現するのか、微妙な心の動きに何と名前をつけようか、そんな風にあれこれ考えるのが好きです。人生をかけて追求したいことでもあります。


たとえば、美しいものを二つ見たときに、両者に対する感情は少なからず違うはずなのに、同じ「美しい」という表現をしてしまいがちじゃないですか?言葉の顕微鏡があるのなら、二つの「美しい」を拡大して覗いてみれば、違いは一目瞭然だと思います。


この世の全てのものを言葉で表せないけれど、だからこそ、いかにして言葉で表現するか。手持ちの札をどう組み合わせるか、はたまた新しいカードを見つけるか、言葉の醍醐味はそこにあります。



☆『さくら荘のペットな彼女』を観た。


話は変わりますが、先日、『さくら荘のペットな彼女』というアニメを見終えました。僕の親友から観ろ観ろ!とさんざん言われまして、アマゾンプライムで今月末までだったので、数日に分けて一気見しました。


2012年のアニメで、ジャンルとしては青春群像ものです。さくら荘という天才かつ変人たちばかりが暮らす学生寮にひょんなことから一緒に暮らすことになった主人公の物語です。身近にいるのが才能のある人たちばかりで、そこに葛藤する姿に、ビターな青春を感じます。それでも、最後は良い感じのハッピーエンドでした。

僕は普段あまりアニメを見ない人ですので、あんまり期待せずに視聴していたんですが、個性的な登場人物たちのやりとりに面白さを感じ、また、物語の構成が僕好みだったこともあり、楽しんで最後まで観ることができました。



そして、泣きました(笑)

観始めた当初はそんな未来が来るなんて想像もしていなかったのに……。



僕はどこで泣いたかというと、最終回の一つ手前の話。お世話になったさくら荘の先輩の卒業式のシーンです。

その先輩が答辞をするんですが、それがめちゃくちゃよかった!!


そもそも卒業式というのは、思い出の伏線回収をする空間ですが、その答辞の中で、先輩は、さくら荘での日々を振り返るんですよね。良い思い出ばかりじゃなくて、ぶつかりあったり、苦しんだ日も少なくありません。


でも、どんな思い出にもちゃんと意味があって、どれほど尊く価値のあるものだったのか、卒業のときに知るんですよね。


そんなかけがえのない日々に、先輩は「ある言葉」で関わった人全員に感謝を伝えます。



「ありがとう」よりも「ありがとう」



個人的には、このセリフにぐっときました。「ありがとう」じゃ伝えきれないくらいの感謝を伝えるために、先輩はこの言葉を選んだんだと思います。


⭐︎言葉には限界があるからこそ

まだ名前のないものを表現するとき、僕らは言葉を探します。伝え方を探します。


言葉には限界があるけど、だからこそ、僕は燃えます。正解は無いし、それを誰も認めてくれないかもしれないけど、自分の伝えたいものを伝えるために努力することを、僕は放棄したくありません。


言葉以上のものを伝える手段。これからも探っていこうと思いました。



その術の一つが、「物語」かなあなんて。

さくら荘の先輩の答辞から、ぼんやりとそんなことを思いました。




ということで、最後まで読んでくださりありがとうございました。
横山黎でした。

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