感じること

 頭で記憶し覚えることがよしという教育をずっと小さい頃から受けてきた私たち。

 今、やっと世の中が変わりだして、考える力をつける教育に変えようとしだしています。「遅くない?」と感じていますが、上の考えが下まで降りてきて、現場まで変わるには10年ほどかかるので、仕方のない現状で、「変わってきただけましなのよね」・・・とは思うのです。

 きっとこの「考える」の前に「感じる」ということをもっとクローズアップする時代が来ると思うのだけれど、その視点にいくには現場教育では「もうちょっと先なのかなあ」・・・などとも感じています。

 私は小さい時から直感型。何となくわかってしまうのです。共感力HSPのわかりやすい本が出だして、多分私は、直感エンパス。その中でもテレパシーエンパス、予知エンパス、ミディアムエンパス、地球エンパスその辺りにはいるのかなあと思います。はっきりと分類できるわけではないけれど、思い当たる節があるという感覚です。

 中学の時に歴史の勉強をしていた時、突然それが嘘だという感覚があって、それは自分感覚の中で絶対的なもので、嘘なのに覚え込まないといけないことが苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。立証できることは何もないのだけれど、自分の中の矛盾みたいな感じだったのです。

 また、何となくそう思ったことが実際に起きたり、人の表面的ではない本音の部分がわかってしまったり・・・そうこうしているうちに、私にとって覚えるということはすごく、苦痛でした。頭が悪いわけではないのに、記憶することにどうしても抵抗があるのです。しかし、直感的今目の前に起きていることをどうしたら良い方向へ向けることができるかがわかるのです。だからリアルタイムの現場に強いタイプでした。

 私にとっての教育の現場はまさにリアルタイムでいろいろなことが起きて即対応を求められるところだったので、合っていたと思うのです。ただ、だんだん教育現場もマニュアル化してしまって、その通りにやることが良しという型になってきたから、苦しくなってしまいました。

 しかし、どんどん下から入学してくるお子様達は型破りの新しいタイプで、現場のマニュアル重視と子供達のリアルタイムがあまりにも相反して噛み合わなさをずっと感じていました。

 そして、脳科学や量子力学、心理学などの研究がここ10年で飛躍的に伸び、いろいろわかってきたことで、私感覚で大切にしてきたことがやっぱり大事だったのだなあと根拠も何もないところだったけれど、「確かにそれはある」という感覚重視のフィーリングが正しかったことがわかってきて、生きやすくなりました。

 今、「感じる」ということをあまりしてこなかった人が、色々な意味で自分に「感じる」ことを許すことから始めていくことで、自分感覚の「感じる」感性が少しずつ少しずつ育っていくような気がしています。

 ワークショップでも「感じる」ことに気づくことはとても深く意味のあることでした。こうしたことを体感できる今は幸せです。

 

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