見出し画像

心の美しさ

 小さい頃から母によく言われたことがあります。そんなに裕福ではなかった家庭の中で、お金にまつわる問題はいろいろあったのですが、母からは、「お金はできるときは一夜でも大金持ちになることはあるけれど、心の美しさ、所作は一夜では決してできるものではないのですよ。」と躾けられていました。

 一夜で大金ができないこともわかってきましたが、確かに心の美しさ、所作は自分自身の動きの中で知らず知らずに身についたもので、一夜には到底無理だと言うことがわかってきました。母は「わかってきた時には遅いから、小さい時からが大切なんです。」という力説の中で、私は結構古典芸能をさせられていましたが、確かに所作という意味ではありがたいものがあります。

 私にとっては、所作という外見上のものより、心の美しさの方が小さい頃から関心がありました。なぜなら、大人の会話の中で、言っていることと思っていることが違うことを小さい頃から、はっきりとわかってしまうタイプでしたから、本当に心美しく思っていることが清らかで言葉にも行動にも出している人にほとんどお目にかかれなかったので、心の美しさはとても貴重で大切なことだと感じていました。

 とても疑問でもありました。こんなに所作が大切だと思っているのなら、人間として、目に見えない心の美しさはもっと大切ではないかと思っていたからです。しかし、高度経済成長真っ盛りに育った私の環境は、モノモノモノ、何を持っているかがその人の価値のような時代でしたから、正直者がバカを見るような感じで、心の美しさの話を表面的には誰でもするけれど、誰もそれを本気で思っていなかったし、ことさら実行している人にお目にかかれるのは稀でした。

 我が子を育ててみて、私が特別な親だなどと言うつもりは少しもないのですが、自分がこれだけは!と思っていることを子育て実験のようにしながら育てました。外見だけを磨いても裏でひどいことを言っている大人たちを直近で見て育ち、誰も少しも幸せな感覚になっていないので、心教育を中心に育てました。

 結果、二人の女の子は、どちらも特性はあるものの、美しく育ちました。特に下の子は、小さかったときは確かにぷりぷりして存在が可愛い子でしたが、この子らしいどこにでもいるような子供の純真さの可愛さを持った子でした。特別小さい時から目をみはるほど外見的に美を兼ね備えていたようには私には映りませんでした。しかし、心の美しさは群を抜いていてい、ともかく優しいのです。そして人への気遣いが成長するに連れて増していき、内面の美しさが外面にどんどん現れてきました。今ではそのにいるだけで、その場の華のような美しさを放っています。これは心の美しさが外面の美を表しているのだという感じがしてなりません。もちろんお年頃なので、それなりのお手入れもしているのですが、小手先のそれだけの美しさに留まらない人としての輝くような命の輝きが感じられて、一緒にいるだけで幸せな気持ちになります。

 もしかしたら、私たちが美しくなりたいと外見上の手入れに目先が行ってしまっていますが、小さい時から自分自身の肉体の土台をしっかりと愛して、周りもそれを受け入れたなら、誰でも大人になったら美しくなれるのではないかと感じています。

 頭、マインドばかりが先行してしまっている現代に少しずつハートの部分い気づき始めた今、心の美しさが、現象化して全てを創っているという感覚を研ぎ澄ませて行く時が実際に来ているのではないかと思うのです。

ありがとうございます。サポートいただいたお金はワークショップ開催等の費用に充てさせていただきます。