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連載「意味の流れとしての世界」

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「意味の流れとしての世界」0~5 拙いところもありますが、自分の中でかなり重要な内容を繋げて書いた記事たちになります
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記事一覧

⓪ 記憶と記録は不可分【Coheeerence】

絵を描きながら書いたメモと、そのあと考えた内容を載せました。右脳・左脳 融合型の記録として残しておきます。 記憶はフィルムの連なりのように繋がっている。 映画を体験するときは過去から未来へとコマをたどるが、 フィルムは未来から過去に向けて創られている。 【記憶と記録は不可分】「記録」。それは経験を語るプロセスのことであり、また技術技能を伝えていくプロセスであり、アートを創るプロセスでもあり、表現をありったけ行うプロセスでもある。 「記録」すると同時に人は体験の「記憶」を

⑤ "モノ"はストーリーと共に展開する。

前の記事 モノはストーリーと共に展開する。 完全に人間の内面だけでは内面の話は一切完結しない。 つまり、モノは意志も象徴するし、関係性も象徴する。モノの方に、つまり人間の"外側"に自分の心がある。とまで捉えてみるとしっくりくる。 あるモノをどう配置し、どこに置き、何を置き、誰と置くのか?そこにすべて端的に内面世界で展開されてきたストーリーが現れるように思う。 モノを通して、人と人の尊重と和解、狂気と冷静さの揺れ動きが現れる。 人と人がうまくいかないのは、お互いの共犯

④ 集団内の物語は、集団の「外」に支配されて展開される。

前の記事    集団の対立はまず内部のいがみあい、責任はどちらにあるのか?そんな話から始まる。しかしまず、あの人と比べて自分は優れてる? 劣ってる?そんな話は置いておく。ではどうしたら良いか? まず自集団が集団の"外"の世界の長期変化(外環境変化)に対応できてゆくか?に目を向ける。 長期的な 人・モノ・場所(街) の変化や自然現象の変化を読み、そうした"外"への対応を考える。"内”の違いや対立を考えるのはそれからでも遅くないのではないか。 先に"内部"から始めると、本質

③ 象徴としての"モノ"

象徴としての"モノ"モノ(物質)は本来「奥行き(物語)」を含んでいる。  言語化できずともなんらかの理由が存在して手に入った"モノ(物質)" / 買って得られた"モノ"はその役割が終了するまで使われ続ける。 手に入れる理由は明示的でなくても、潜在的でも良い。むしろ潜在的な理由であることの方が多いと思う。 そうして、潜在的な理由をもって 買われる / 手に入った モノは、ある意味で"象徴"として機能する。"象徴"としてのモノには隠れた物語や前提という「奥行き」が存在する。

②"奥行き"の世界

前の記事 人がどう現実を認識しているか?が、現実を形づくる。おそらく、逆も然り。 前提・過程・物語などにより物理的に目に見える外面世界が著しく秩序化されていることを考えると、外面世界には、目に見えない"奥行き"として"客観的な"内面が存在する、と捉えられる気がした。 人々が現実をどう認識しているか?(前提・過程・物語)は、現実世界に実際に現れる物理的な作用に反映される。そして、物理的な外面世界の中で、人は現実の認識を新たにしていく。日々更新する。この相互作用そのものが『

① "記憶( 個人の物語 )"が語られ、"記録"され、物語が織り合わさる。

2022/01/14 〇シンプルで面白い物語には"自然"な展開しかしない。自然な一手は、自然な物語を描くところから。 〇意味の流れ(ピュアな思いの接合)は、人をチームにし、未来を創る原動力となる。目指す未来像の一致、感覚の『共鳴』とも呼べる。 こうしたことを元に考えを深めていった。 今までは、この社会を根本から作り替えるような「巨大システムの調整」というトピックに興味があっていろいろと思索していたけど、最近は「無数の物語の、文脈の糸を織り合わせる」が自分の探求するテー