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連載「意味の流れとしての世界」

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「意味の流れとしての世界」0~6 拙いところもありますが、自分の中でかなり重要な内容を繋げて書いた記事たちになります。 時間論、モノ論、生成論、人間関係論、精神と物質の関係 …
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⓪ 記憶と記録は不可分【Coheeerence】

絵を描きながら書いたメモと、そのあと考えた内容を載せました。右脳・左脳 融合型の記録として残しておきます。 記憶はフィルムの連なりのように繋がっている。 映画を体験するときは過去から未来へとコマをたどるが、 フィルムは未来から過去に向けて創られている。 【記憶と記録は不可分】「記録」するという行為。 それは経験を語るプロセスのことであり、 また技術技能を伝えていくプロセスであり、 アートを創るプロセスでもあり、 表現をありったけ行うプロセスでもある。 「記録」すると同時

① "記憶( 個人の物語 )"が語られ、"記録"され、物語が織り合わさる。

2022/01/14 〇シンプルで面白い物語には"自然"な展開しかしない。自然な一手は、自然な物語を描くところから。 〇意味の流れ(ピュアな思いの接合)は、人をチームにし、未来を創る原動力となる。目指す未来像の一致、感覚の『共鳴』とも呼べる。 こうしたことを元に考えを深めていった。 今までは、この社会を根本から作り替えるような「巨大システムの調整」というトピックに興味があっていろいろと思索していたけど、最近は「無数の物語の、文脈の糸を織り合わせる」が自分の探求するテー

②"奥行き"の世界

前の記事 人がどう現実を認識しているか?が、現実を形づくる。おそらく、逆も然り。 人が内面的に抱いている、さまざまな前提・そこに至る過程・そこに至る物語により、外面世界(物理的に目に見える世界)が著しく秩序化されていることを考えると、外面世界には、目に見えない"奥行き"として"客観的な"内面が存在する、と捉えられる気がした。(人の内面が、これほどまでにこの世界を構築しているとは!) 人々が現実をどう認識しているか?(前提・過程・物語)は、現実世界に実際に現れる物理的な作

③ 象徴としての"モノ"

象徴としての"モノ"モノ(物質)は本来「奥行き(物語)」を含んでいる。  言語化できずともなんらかの理由が存在して手に入った"モノ(物質)" / 買って得られた"モノ"はその役割が終了するまで使われ続ける。 手に入れる理由は明示的でなくても、潜在的でも良い。むしろ潜在的な理由であることの方が多いと思う。 そうして、潜在的な理由をもって 買われる / 手に入った モノは、ある意味で"象徴"として機能する。"象徴"としてのモノには隠れた物語や前提という「奥行き」が存在する。

④ 集団内の物語は、集団の「外」に支配されて展開される。

前の記事    集団(これは国家の規模から、小さなコミュニティまでを指します)の対立は、まず内部のいがみあい、責任はどちらにあるのか?そんな話からたいてい始まります。 対立の解消に向けては、 まず、あの人と比べて自分は優れてる? 劣ってる?そんな話は置いておくことが重要です。しかし、それすらも難しいのが、対立です。では何をしたら良いのか?どう考えたら良いのでしょうか? まず自集団が集団の"外"の世界の長期変化(外環境変化)に対応できてゆくか?に目を向けることで、あらゆる

⑤ "モノ"はストーリーと共に展開する。

前の記事 モノはストーリーと共に展開する。 完全に人間の内面だけでは内面の話は一切完結しない。 つまり、モノ(物質)が、人間個人の意志も象徴しうるし、人間同士の関係性も象徴する。 モノの方に、つまり人間の"外側"に自分の心がある。とまで捉えてみるとしっくりくる。 あるモノをどう配置し、どこに置き、何を置き、誰と置くのか?そこにすべて端的に内面世界で展開されてきたストーリーが現れるように思う。物を通して、精神の「相」が現れる。 モノを通して、人と人の尊重と和解も現れる

⑥奥行きのあるものづくり

ものづくりの際に、森羅万象やこの世の神秘も包含した概念としての「自然」、これを代表しているものが、「素材」 。 素材の断片一つ一つの多様な表情、その「個別性」はこの世界の ゆらぎ に依るところが大きい。 この「個別性」は、種々に異なる現実の微細な違いのことを指す。その微細な現実に「素材」の「自然」がある。     素材を活かすという発想により、丈夫で長持ち、壊れにくく、なおかつ肌触りなどの”質”も良く、その結果として美しい、というような洗練された "機能性" が生じ

モノと関係性 / 創造について メモ

22年1月メモより 1. モノと関係性 おそらく、ヌーソロジー関連の何かのレクチャー動画を見て、それをもとに考えたこと です。   記憶・物語・ストーリー・プロセスによって、バラバラの(一瞬一瞬の)"現在"がつながりあわさり、"むかし"としてありありとした過去になる。それは過去と現在の同時存在、となる。 これは、純粋持続の空間から眺めた、時間と出来事のグラフの再編集が起きているから。線形だったはずのグラフが融解して、すべてが同時に存在する。 ※補足: 純粋持続とは