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面接つらのすけの巻

専門学校に通っているときに、人生で初めて就職活動というものを経験した。人は就職するするとは聞いていたが、実際に自分がするとなると、やることすべてが地獄だった。
「どうしたうちを志望したの」と聞かれ、『あ、俺志望してんだ』『俺ここに就職したくてたまらんやつになってんだ』と心がクシャっと鳴る音を聞いた。それはもう、向こうからすれば、当然に尋ねなければならない内容で、今にしても、当時にしても、この質問以外に何か適した質問はないんだろうな、と納得はしていた。たとえシステム会社の二次下請けで、夢も希望も金も名誉もやりたいこと一つも実現できなさそうな会社であったとしても、「どうしてうちを志望したの」と聞くことは、いろいろな手順をすっ飛ばして就活生を測るのに便利な言葉なんだろう。
仮に「どうしてうちを志望したの」ではなく、何か便利な言葉があったとしても、そんな言葉浸透しなかったのが現在なんだし、俺がこのように心に石をドンと落とされたように感じるというのは少数派であったり、とにかく何かそれらしい理由によって落ち着いてきたのだ。考えることに意味がない。

そうやって、名前以外はほぼ嘘の内容を話し、金のためとか、卒業して無職ってわけにはいかんでしょとか、近かったんだよボケがとか、お前んとこ俺の耳に届くような仕事一つもしてへんはずですけどねえらい自信おありでとか、言わないまま不採用通知が折り重なっていった。
面接うまくいかないです、と面接対策をやっているという専門学校の講師の話を聞いたが、「『どうしても通りたい』というモチベーションになれない」という僕の悩みをそもそも理解してもらえなかった。自分はわりと深刻に悩んでいるつもりだったのだが、もしかしたら理解したうえでかかわりたくなかっただけかもしれない。

積みあがった「社会からの不採用」を見て、また乗り倒している地下鉄代と減らしたバイトで薄くなった財布を見て、なるほど俺はこの世に生まれたということが間違いだったのだな、と殺意が湧いた。
ある日、「本気で俺を殺しにいく」と心に決めた日の面接で、愛想よくないのに愛想を全開にして、行きたくないのに行きたさのトップギアを入れたら、内定が出た。俺という人間を面接で見抜けていない、ともう一回殺意が湧いた。
自分の本気を恨んだ。

そこに就職して2年で辞めた。
それ以降も就活や面接は通ってきた。通ることはできると思った。
どうしたらよかったのかはわからない。

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