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【歌詞を読む】逢田梨香子『花筵』論。


「花筵」/逢田梨香子
作曲:小倉しんこう
作詞:逢田梨香子
編曲:市川淳

声優、歌手の逢田梨香子さんの
2nd EP.『フィクション』収録のバラード曲で、
バラエティ豊かな、このEP.の最後を飾る、
「映画のエンドロール」のような一曲。

逢田梨香子さんは、
1stアルバム『Curtain raise』収録の「Lotus」。
そして、配信シングル「ブルーアワー」。
2nd EP『フィクション』の表題曲「フィクション」。
そして、この「花筵」の合わせて計4曲、
自身での作詞をしています。

その中でも今回は、「花筵」の歌詞を読み解いていきたいと思います。

1.登場人物

「花筵」は、逢田梨香子さんの作詞された楽曲の中でも珍しい形式で、歌詞内に明確な「登場人物」が出てきます。

「愛を呟いてくように
優しい声でそっと
私の名前を口ずさんでる」
花筵

まずは、「花筵」の主人公である「私」。
そして、その「私」の名前を口ずさむように呼ぶ「あなた」。

この2人の物語が、「花筵」です。
「私」は作詞、歌唱をする逢田梨香子さんと捉えてもいいでしょうし、
「あなた」は、逢田梨香子さんの「大切な人」と捉えられます。

「私の名前を呼ぶ」という言葉を
「愛を呟くように優しい声で」「口ずさんでいる」と比喩に比喩を重ねるような表現、
「口ずさむ」は通常、歌を歌ったり詩を詠む時にしか使われない表現ですが、それを「名前を呼ぶ」という文脈の中で使うことで、
「私」を呼ぶ「あなた」との関係性の暖かさや、優しさがより伝わってきます。

2.時系列

「花筵」において、もう一つ重要なのが、
歌詞内での「時系列」です。
「花筵」はある一点の時間での「私」と「あなた」ではなく、
歌詞が一番、二番と進むごとに「私」の時間も流れていく、「小説」のような歌詞になっています。

幼少期の頃を思い出しながら書いたんですけど、だんだん曲が進むにつれてその登場人物が大人になっていく様を描いた楽曲なんです。
【インタビュー】逢田梨香子「ありのままの自分を」
アーティストとしての姿勢

幼少期の「私」がだんだん曲が進むにつれて、「大人」になっていく歌詞。
通常、楽曲というのは、
Aメロ、Bメロ、サビ、2番Aメロ、2番Bメロ、2番サビ、Cメロ、大サビといった風に同じメロディが繰り返されて出来上がるもので、
メロディに合わせて、歌詞も、同じフレーズが繰り返し出てくるものです。

ですが、「花筵」においては、「同じメロディに同じ歌詞」が当てはまる部分は、印象的な「一部」を除いて、ほとんど出てきません。

小説のように、歌詞の中で時間が、物語が進んでいく作りになっているため、同じシーンの繰り返しはないのです。

作詞4作目にして、このような作りの歌詞を生み出せる逢田梨香子さんの作詞家としてのセンスの高さに、「すごいな…」と唸らされつつ、
この小説的な「時間の進み」こそが「花筵」の核になっています。

3.「私」の幼少期の想い出と、
「あなた」との別れ

愛を呟いてくように
優しい声でそっと
私の名前を口ずさんでる
花筵
そっと雨が降るように
散っていくこの花びらが
いつか来るその時を
知らせるように
花筵

「愛を呟くように」、「優しい声で」、
「私の名前」を呼ぶ、「あなた」。
そんな2人を分つ様に
降る「雨」と散る「花びら」。
いつか来る「あなた」との別れの時を予感させます。

伝えたかった言葉も
2人過ごした時間も
優しく連れ去っていく
花筵

大切な「あなた」との想い出すらも、
「別れ」は連れ去っていくような、
そんな心境に「私」は陥ります。

生きていく中で、抗えない別れというものがあると思うんです。
恋人が離れていってしまうというのは引き止めようと思えばできると思うんですけど、
そうではない死別だったりとか、そういったイメージで歌詞を書きました。
【インタビュー】逢田梨香子「ありのままの自分を」
アーティストとしての姿勢

ここでいう「別れ」とは、
逢田梨香子さんは「生きていく上で、抗えない別れ」と定義されています。

ここで「"優しく"連れ去っていく」って言葉を使う逢田梨香子さんの、「死別」への想いが見えるような歌詞になっていますが、絶対に「抗えない別れ」は訪れてしまいます。

いつだって今だって
時は無常に流れ
もう重なることない
2人の影
花筵

「時」はこの今という瞬間も、「無常」に流れ、
「あなた」と「私」を永遠に割いてしまいます。

「無常」、「無情」。

1番では、
いつか散る「花」を限りある人間の「いのち」、
流れていく「時」を「人間を"無情"にも分かつもの」として表現しています。

4.「ひとり」になった「私」

何かがこの手のなかで
ひとつふたつと消えていくような
笑って誤魔化したって平気なわけないよ
まだここにあるの
花筵

2番では「別れ」を経験し、時間が経過をしていますが、大切な人を失った喪失感は、依然として「私」の中にあります。

「別れ」の寂しさに、確かに胸の中にあった思い出さえも消えていくような、
そんな想いに笑って誤魔化すこともできない。
そんな「私」が描かれます。

「寂しさ」は心の中に残るのに、
「思い出」は心から消えていくと思っている。

そんな矛盾にまだ「私」は気付けていません。

夢が叶って 景色も変わって
なぜだろうこんなに寂寞霞む
花筵

「あなた」がいない世界を生きる「私」。
夢も叶って、環境も変わりますが
その報告も直接できない「あなた」への寂寞の想いが心に霞のように立ちこんでいきます。

明日には忘れゆくそんな日々もいい
冷たい夜も一人で眠れるように
花筵

こんな「寂寞」を抱えるのならば、
いっそ忘れてしまうそんな日々も良い。
忘れてしまえば、一人寂しい夜を過ごさなくても良い。

「愛してる」その意味も知らなかった なのに
どこか懐かしい想い胸に残る
花筵

それでも、忘れたくても、
「愛してる」の言葉の意味すら知らなかった幼き頃の記憶。
「愛を呟くように優しい声でそっと私の名前を口ずさんで」いた「あなた」の記憶が蘇ります。

5.「花筵」

そっと折り重なった
広がっていく花模様
きっと誰かの道を
彩っていくのでしょう
花筵

「花筵」。
草花などが一面に咲きそろったさま、また、花の散り敷いたさまを筵にたとえていう語。

ここでいう「花筵」は、後者の「花の散り敷いた様を筵に例えた」の意味を借りるのが正しいでしょう。

「散ってしまった花」、命を終えた花ですが、
その花々も、散ってしまった後に、人々が歩く道を彩り、果てはその人の人生をも彩っている様子を「私」は目撃します。
「散ってしまった花」を大切な「あなた」に重ね合わせ、その「花筵」を見つめます。

今岐路に立って
足が少しすくむよ
怖くてもいい
あなたの待つ方へ
花筵

その「花筵」を見た「私」は、「前に進む」ことを決意します。
時は無常に人を割き、押し流していきますが、
その時の流れに、身を任せ、
「あなた」の待つ方、「未来」へと歩き出します。

悠遠に果てしなく続いていく道
柔らかな風に一人背中押されて
花筵

「私」の前に悠遠と広がる、「花筵」に彩られた未来への道を、「柔らかな風」に背中を押され、
一人で歩いていきます。

「風」は「花を散らしてしまう」ものでもありますが、
「散ってしまった花」もこれから先の未来を生きる人々の人生(=道)を彩ることができると知った「私」は、それを受け入れ、「柔らかな風」に背中を預けてます。

いつだって今だって
時は前に進み
またいつの日にか重なる
2人の影
花筵

時は「前に進む」。

いつだって今だって
時は無常に流れ
もう重なることない
2人の影
花筵

時の流れを「二人を分かつ」ものとして捉えていた過去の「私」。

「花筵」に気が付いた「私」は、
時の流れは「またいつか会う日まで私の背中を押してくれる」前向きなものであることに気が付きました。

ここで1番と2番の歌詞の反復(リフレイン)が行われます。

あえて同じ言葉を最後に反復(リフレイン)させることにより、「私」の心境の変化を力強く感じさせます。

「もう重なることない二人の影」が「またいつか重なる」日まで、「私」は歩き続けます。

愛を呟くように笑いかける
花筵

最後のフレーズは、最初の歌詞の反復(リフレイン)。

「愛を呟いてくように
優しい声でそっと
私の名前を口ずさんでる」
花筵

最初は
「あなた」から「私」への呼びかけでしたが、
最後は
「私」から「あなた」への微笑みにかわります。

進み続けて歩んだ「人生」の果てに、
知らなかった「愛してるの意味」も分かった「人生」の果てに、

今度は「私」から「あなた」に、
「愛を呟くように、笑いかける」。

6.最後に

一冊の小説を読み終えたような読後感がある、
逢田梨香子『花筵』。

その歌詞には彼女の作詞家としての才能も垣間見える、そんな素晴らしい詞であると思いました。

「花筵」という言葉自体を辞書で見つけたという逢田梨香子さん。
「大切な人に何を送りたいか」と言葉を探していた中で見つけた「花筵(はなむしろ)」という言葉。
もしかしたら「餞(はなむけ)」(旅に出る人などに贈る、品物・金銭や詩歌など。餞別(せんべつ)という言葉が辞書で前後にあったため、偶然見つけた「花筵(はなむしろ)」だったのかもしれません。

「餞(はなむけ)」の「はな」は「馬の鼻」の「はな」ですが、
「旅に出る人に贈るもの」としての「餞(はなむけ)」から同音異義語としての「花(はな)」にたどり着いたのであれば、それもすごく面白いですし、辞書を使った作詞ならではのインプットだったのかもしれません。

「Lotus」、「ブルーアワー」を経ての作品で「死生観」という人生そのものとも言うべきテーマを描き切った逢田梨香子さん。

「永遠の中にある切なさ」だったり
「美しいほどに切なさ連れて」であったり、
今までの作品で印象的な「切なさ」を描いてきた逢田梨香子さんの、新たな、そしてどこか背中を押してくれる優しい力強さのある「切なさ」。

「花筵」では、そんな「切なさ」を抱かせる、
素晴らしい作品であると思います。

今回は、作詞家:逢田梨香子さんについて話させていただきました。

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