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過去のおれよ、どうか笑って手を振り返してくれ。

 2023年はオンオフが激しかった。上半期はずっとエンジンがヴヴンとかかっていたけれど、秋に入ってからすっかり燃料切れを起こしてしまっていた。そこからは惰性。ただただ転がるように過ごしていた。しばらく元に戻ることはないだろうな。

〇今年書いたものたち 
・戯曲『カルペ・ディエム』1月 noteにて公開
・エッセイ「脚本か、小説か、あるいは別の「何か」か」1月 noteにて公開
・戯曲『光の速さで生きて』5月 noteにて公開
・戯曲『マキナ・ハートビート』第一部 6月 未公開
・エッセイ「メランコリーの彼岸」 6月 noteにて公開
・戯曲『冷たい熱視線』12月 noteにて公開

 映画と音楽と無期迷途にギリギリ助けられた一年だった。「演劇を「続ける」から「やめない」という考え方へのシフト」(2021年2月)という記事でも書いたように細く長く続ける活動を心がけていたけれど、けっこう限界かもしれない。イヤ、すでに限界は来ていたと思う。それに気づいていない振りをしていただけだったのだ。実際に演劇(何かを上演するというプロセス)には長いこと関わっていない。ここ数年は、初めから上演するつもりのない作品を書き、「読ませる」ことに特化した戯曲を書いていた。コロナ以降の小劇場に対するわたしなりの闘争=逃走だった。
 そして、今年の11月、とうとうコロナに感染した。もしかしたら世間では5月頃からコロナは「終わった」ことになっていたのかもしれない。しかし、感染して思い出したのだ。わたしとコロナは演劇を介して「因縁の相手」だったということを。そしてわたしは負けたのだ。半年遅れたコロナの感染は、そのことを象徴している。今年に入ってから分かったことだったが、Zoom演劇はわたしにとって「エルピス」だった。「希望、あるいは災い」。舞台上に在るものがすべて、カメラに映っているものがすべて、それでいいじゃないか。カメラを通せば、それしか見えなくなるんだから。

もしおれが死んでしまって別人に生まれ変われば、
そのときおれは、前のおれが書いたものを、
読んでくれるだろうか、感動してくれるだろうか
そうであってほしい、
一目見たらわかるはずだ、これは前のおれだと

生きるべきか、死ぬべきか、
それが問題なのではない
死にたいのに死ねないことが問題なのだ、
未練はないといいつつも、
人に執着してしまう そんなことを考えながら、
今日もおれは布団をかぶるのだ

 よく「チャンスの神様は前髪しかない」と言うが、それはホントウのことなんだよ。そうでなければ、こんなに後ろ髪を引かれることはない。でも、何に対して未練がましく思っているのか、それがまったく思い出せない。
 イヤ、違うなァ、思い出せないのではない。問題は過去ではない、将来にあるのだろうな。「ぼんやりした不安」とでも言おうか。昨夜、こんな夢を見た。「黒い群れを踏み殺す夢」だ。『ハウルの動く城』に登場する「荒れ地の魔女」の手下、どろっとした、ぬめっとした質感のすばしっこいナメクジ、それを探して、一匹ずつぷちっと踏んでいくのだ。

 今年の3月に『ぼっち・ざ・ろっく』、4月に『累』を観た。偶然の取り合わせだったが、両者ともに「欠点を圧倒的才能で乗り越える」というテーマがあったように思えた。『犬王』にも『水星の魔女』にも、それに近い何かを感じた。感じてしまった。どれも好きな作品なのに。あとはみなまで言うまい。

 観た映画、聴いた音楽、読んだ本、こういったものはよく覚えているのに、今年あったことはほとんど覚えていない。だから目の前から去っていこうとするものをちゃんと捕まえてできる限り永遠のものにしたい。だから映画はいい。来年はいい年になればいいなあ。


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