異界から目薬/忘れ者の日記4
物忘れが激しいことに定評のあるわたしなのだけれど、その一方で物を無くしたと思い込むこともよくある。
今日はそういう日だった。わたしはあまりにも物忘れが激しいので、毎日使うものはいつも決まった場所に置くようにしてる。今日は、その「いつも決まった場所」になかったのだ。イヤ、正確にはそこにあったのだけれど、一回目に確認したときには、そこにはなかったのだ。わたしがそれをどこか他の場所に置くなんてことはほとんどありえなかった。だって、次の日に「ない!」と言って、朝からバタバタと探し回ることになるのは目に見えているから。わたしは朝から途方に暮れていた。結局、もう一度同じところを確認したら、そこにあったのだけれど、不思議なこともあるもんだねと、首を傾げていたら、乗るべきバスに乗り遅れてしまった。
コンビニでお昼ご飯を買うとき、いつも同じものを買うようにしてる。日常のこういう細かい違いがキャッシュように感じてしまうからなのだけれども、今日は朝から注意力が散漫になっていて、「梅干しおにぎり」だと思って買ったものが「鶏そぼろおにぎり」だった。セルフレジで会計をしていると、合計金額がいつも買っているものと比べて7円高くなっていることに気がついた。驚いたわたしは、そのままレジに傘を置いてきてしまった。エスカレーターに乗ってJR神戸線のホームに向かう最中、片手が何となく寂しく感じて、よく思い出してみると、家から持って出たはずの傘がない。慌てて戻って傘を回収した。そもそもレジをするときに、普段ならカウンターに傘を立て掛けるなんて絶対にしないのになあ。今日は少しおかしい。
「忘れる」と「忙しい」はちょっと似ている。忙しいことを忘れるために、別の忙しさを上塗りしている。まるで『星の王子さま』に登場する酒を飲んでいることを恥じているから酒を飲んでしまうと言った「酒飲み」みたいにね。相変わらずTo do リストは増えているし、もはやメモアプリのどこに書いたかも忘れてしまった。完全な記憶の外部化、記録からの疎外感。言葉も同じこと、文字として打たれた今この瞬間に、わたしの言葉はわたしの言葉でなくなる。書き言葉は漂うだけ。「われでありたい、ゆえにわれ思う」のに、わたしの中で渦を巻く言葉は、外へ、もっと外へ出たいとうねり、血飛沫をあげながらネット空間のシミになっていく。わたしは過去に書かれた、描かれた、引っ掻かれた、シミ=傷のマキアートを仰ぎ飲んで、明日も目を覚ますのだ。そして、また明日も「見つからない」とジタバタとのたうち回るんだろうね。
どこにも行ってほしくないから、写真の中に閉じこめた。もうどこへやったか忘れることはない。でも、明日から目薬を点したいときは、写真から出さないといけないのか。一休さんじゃん。思い通りにいかないなあ。
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