奇跡のコースは悟りのコース?
ご訪問いただき、ありがとうございます。
前にもお話ししたように、私は「奇跡のコース」に影響を受けた先生たちから、心理療法や赦しのワークを学んできました。
そのときは、「コース」は人間関係を扱うものというイメージでした。
メインのコンセプトは「愛」と「赦し」で、さらに「愛か怖れか」「正しくありたいのか、平和でありたいのか」「正当な怒りなどない」「罪は存在しない」など…
いろいろなコンセプトを学びました。
そして、心理療法という文脈だったからだと思うのですが、私はそのすべてを、ほぼ人間的なレベルでしかとらえていませんでした。
だから、初めて「コース」の原著に触れたとき、訳がわからなくなってしまったのだと思います。
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「コース」の難しさにはいくつかの理由が考えられますが、、
一つには、解説者や影響を受けた人が大勢いて、最初にその人たちのフィルターを通して見てしまうと、逆に本質が見えにくくなってしまう点があると思います。
ある解説者は、デートのときにおしゃれをするのは、エゴのためではなく、彼を喜ばせるためだから、良いことだ、と言っていました。
私はそれが「コース」のどこにどう関係しているのか理解できず、かえって混乱しました。
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そんな説明を受けてから、ワークの第一日「この部屋の中で、私が見ているものには、何の意味もありません」をやろうとしても、自分がどこに向かっているのかサッパリわからなかったのです。
今ならわかります。
これは、マインドフルネスの訓練 と同じです!
まだ少しずつしか学習は進んでいませんが、このレッスン1が「コース」の目標を端的に表しているように思います。
「コース」は 悟り を目指していると思います。
少なくとも、視野には入っています。
もちろん、目標はそれだけではないだろうけれど…
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「コース」の原則を人間関係だけに当てはめようとする人たちからすると、最初のほうのレッスンはほとんど意味のないものとなるでしょう。
「コース」は人間関係も扱っていますが、それ以前に、聖霊や神との関係を説いています。
呼び名は何でもいいのですが、エゴである小さな自分より「大いなる意識」の存在を認めることは前提です。
「うさんくさい」と思う人もいるでしょうが、そこからはじめないと、「愛」も「赦し」も本質からズレた解釈がなされていくことになると思います。
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さて、
「コース」実践者の方のブログで知ったのですが、実践者の間で ネドじゅん さんが人気になっているらしいのです!
そうだよね。
本質的に近いところはあるよね。
そう思っていたのは、私だけではなかった!
他にも、改めて第一日のレッスンが重要に思えてきた、という方もいて…
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「コース」には確かにいいことが書いてあるけれど、いかんせん分厚い書物で、回りくどい言い回しも多いので、勉強し過ぎると思考沼にハマってしまう場合もあり得ます。
身体を重視して、思考をオフにするネドじゅんさんのワークは、バランスを取るのにちょうどよいのではないでしょうか。
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誰かとラブラブになるために「コース」を勉強する人は多くて、それも、もちろん間違ってはいないのだけれど、、
「コース」、それだけではありませんよ?という底力を、今さらながら感じています。
お読みいただき、ありがとうございました。
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