木のトンネル
僕が庭を作る時に、必ずと言っていいほど出てくるワードが、「木のトンネル」です。
家を新築した家族が、駐車場から降りて家の玄関まで歩いていくまでのアプローチ園路や、家の玄関を開けて道路に出るまでのわずかな空間、リビングから続くウッドデッキから庭に降りて行く小道など・・・
それは毎日仕事に行ったり、子供たちは学校に行ったり、週末に使ったり、日常的に歩く大切な通路。
そんな道をどういう空間にしていくか。
*歩きやすい道にしたい
*草は生えない方がいい
*水はけを良くしたい
など、お客さんのニーズを聞きながら、枕木や飛び石を敷いたり、固まる土で施工したり、それは予算的な事も含め色々とやり方はあるのですが、
僕が一番こだわっているところは、
「木のトンネルみたいな道にしたい!」
というところです。
特に家の玄関へのアプローチ園路は、雨の日も晴れの日も、暑い日も寒い日もどんなときもこの道を通って家に帰る。
そんな日常を共に過ごす空間は、とても大事なものだと考えています。
僕は1973年生まれですが、僕が子供のころは家の近くにも雑木林がけっこう残っていました。
小学校3,4年だったか、家庭用ゲーム機(ファミコン!)が出てくる前は、近くの雑木林に行ってカブトムシを取ったり、近所の神社で野球をしたりと自然の中、木々の中で遊んでいることが多かったことをよく覚えています。
そんな雑木林も今ではほとんどなくなり、現在は工場がいくつもつくられました。ただ、それはそれで働く場所ができたり、町は税収が増えたりと、たくさんの恩恵があることはわかるのですが、変わり果てたかつての遊び場を通る時には、何ともいえない寂しさと、昔の記憶がよみがえることがあります。
僕の住む場所の最寄り駅は、JR八高線の用土駅という現在は無人駅のとてもローカルなところです。
電車はいつも2両編成くらいで、線路も単線、これは子供の頃から変わっていません。
現在は近くにスマートインターチェンジもでき、交通の便も良いことから、かつての雑木林は次々に姿を消し、たくさんの工場が建ち並ぶようになりました。
そんな工場地帯の中、わずかにかつての面影を残す森と八高線の風景。
1時間に1本しかないスカスカの時刻表も昔から変わりませんが、ディーゼル車独特のエンジン音と線路の音、そして森の中に消えていく小さな電車は、子供ながらにワクワクした風景でした。
八国山緑地というのが東村山市と所沢市の一部にありますが、ここはとなりのトトロのモデルといわれ、映画の中では「七国山」という地名で登場します。
ここに大人になって初めて行った時に、何ともいえない懐かしさを感じました。
里山や雑木林と共に時間を過ごしてきた子供時代は、今思えばそれが僕の原風景であったのだと思います。
そんな森の中を歩き、どこまで続くかわからない曲がりくねった小道、夕暮れが迫り陽が落ちていく怖さ、一緒にいた友達や年上の先輩との苦い思い出など、今思えばとなりのトトロとスタンドバイミーが合わさったような、そんな経験をさせてもらったのかもしれません。
だからこそ、大人も子供もあの頃の風景を少しでも感じてもらえたらと思い、僕は木々のトンネルにこだわっています。
園路は直線ではなく蛇行させ、穏やかな風を誘導する。
園路の幅は90cmもあれば十分、
70cmでも50cmでも狭くてもそれはそれで良い。
植えていく樹種はコナラやヤマザクラ、シラカシなどの高木樹木をまずは点々と配置。
次にモミジやエゴノキ、ヤマボウシなどの中高木を添えていく。
3番手の中木は、ナツハゼ、ウツギ、マユミなどにするか、ミツバツツジ、ヤマツツジなどの定番のツツジ類にするか、組み合わせは無数にある。
さらにアジサイ、アオキ、ヤマブキなど低木類を植えて、下草類で仕上げていきます。
樹種は特に珍しいものは必要なくて、地域の直売所などでも売られているような在来種を中心とした植物で十分、その方が気候風土に合う。
モミジが好きだからといって、モミジだけを植えない。
雑木林の中ではモミジの上空には必ず直射日光を防いでくれる高木層がある。
大事なのは、雑木林の植生に沿って階層的に寄せ植えをする事。
無理をさせない。
そんな人にも自然にも優しい自分だけのオリジナルな小さな雑木林には、野鳥や昆虫も集まる。
エントランス前のわずかな空間であろうと、上空を覆う緑があれば、森の雰囲気は十分に味わえる。
広ければ広いなりにそれを点々と連続させるだけ。
たかが庭ですが、されど庭。
地域の在来種を庭に植える事で、失われてしまった森の機能とあの頃の原風景を庭の中に再生させていくのだ。
木のトンネルは、落葉樹が多く、冬の落ち葉の掃除は確かに手間がかかる。
でも、これから迎える暑い夏でも涼しい木陰をつくり、冬は葉を落とし陽だまりの庭となる。
建物やシェードの影と木陰は、全く質が違い、木陰は生きている涼しさがある。
それは体感として体に刻まれ、人々の記憶に残る。
木のトンネルは、我々にとって有り余るような恩恵を与えてくれる存在。
そしてそれは受け継がれていくのだ。