完璧な秩序は正義か

この世にはルールがある。
それは何故か、悪いこと と 良いこと を区別する為
しかし正義と悪、白と黒、2択しか無い世の中で人間は生きるのが難しい。

白がいつでも誰に対しても100%正しいとは限らない
正論で人を傷付ける、それは正義なのか?
私には正直よく分からない。
ただ、白を盲信している人間は真っ黒な人間よりも無自覚で人を傷付けることがある。それはタチが悪いと思ってしまう私は黒なのか。

完璧な秩序、規則、ルール、それに1mmでも反したら悪。それは頭が固すぎやしないか?

きっと法律や秩序、規則等をキッチリ、ピッチリと守る様な人からしたらレールから外れた人間は全員イエローカードを言い渡されるのだろう。

心が病み不登校で昼夜逆転している少年に
白は容赦なく、善行だと信じて疑わずに
朝起きて学校に行こう、だの、なぜ学校へ来ないのか
言ってしまう。悪いことでは無い、傍から見れば確かに善行だろう。だが善行とは受け取った本人が一番それを感じなければいけないのだ。どれだけ自分や周りが良かれ良かれとこれが普通だ、これがルールだと笑顔で押し掛けても少年にとっては苦痛かもしれない。
救われる人も居るかもしれないが、そっとしておいてほしい。そんなときは誰にだってある。学校は毎日行かなければいけない、そんなルールや規則正しい生活よりも自分が今一番安定出来るリズムならそれがきっと一番の白だと私は思う。

もっと極端な例を出せば夜遅くの公園のベンチに老人が座っていたとしよう、そこに正義と秩序の番人は声を掛ける。こんな夜遅くに危ないですよ、さぁお家に帰りましょう!、老人にとっての家は公園のベンチなのだ。正義の中に家が無いという当たり前は無かった。皆、明かりの着く屋根のある家があると思っていた。

だからと言って悪を賞賛する訳では無い。悪人は悪人。それ以上でもそれ以下でもない。

だけれども根っこからの悪人の悪意よりも
聖人の真っ直ぐな無自覚どころか善意の悪意の方が
私は何倍も鋭く切れるナイフだと思っている。

正義や秩序に頭を雁字搦めにされている人は
色んな種類の人間を見よう、極悪人でもいじめられっ子でも沢山の人を見てその人その人に対する正義がきっと変わるはず。

出過ぎた正義はただのエゴ。ただの自己満足。
でなければ人間は気を付け前ならえ休めしか許されないだろう。
正義感が強いことは大変立派である。しかし、その正義も元を辿れば同じ人間が作ったものだ。所詮同じ人間なのだからそもそもが完璧なわけが無い。

本当の正義と秩序とは困っている人に手を差し伸べ、無理強いしないこと、だけど、助けを求められたら自分の出来る範囲で支えてあげるとことではないか。
私はそう考えている。
私たちは人間だ、チェスの駒でもオセロでもない。

白黒ハッキリ?その時その時でどっちに足を入れても良いじゃないか。何なら右足は白に、左足は黒に突っ込んでおけ。バランスが取れるだろ?

自分の思想や心情は何よりも大切なものだが
それを他人へ押し付けて共感を求めるのは欲をかきすぎだ。同じ人間でも私たちはロボットじゃない、他人のこと、ましてや家族のことさえ全ては理解が出来ないのだから正義感強しもほどほどに。

だが周りが素通りするなか困っている人に声を掛け
手を差しのべられる貴方はとても立派な人間であることを忘れてはいけない。早々出来ないことだ。

白と黒が混濁する世の中で上手く生きるのは難しい
それでも歩かなければ明日に置いていかれるから。

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