原爆慰霊の日に想うこと・今後の平和教育をどう行うか

こんにちは。あちゃちゃです。
普段の投稿テーマとは内容がガラリと変わりますが、
本日が長崎の原爆慰霊の日ですので、少し戦争の歴史について
考えてみたいと思います。

まずは、原爆でお亡くなりになられた御霊に哀悼の意を捧げます。

さて、私は大学時代に近現代の政治史・軍事史のあたりの講義を受け、終戦や本土決戦についての研究をしていたのですが、社会科の教員として勤務するようになって以降、特に戦争の時代の歴史というのは色々な意見を持つ人がいる時代ですから、私の伝えたかったことが誤って受け取られてしまっては困ると思い、私見を述べたりしてこなかったのです。

ただ、最近前任校でも現在の勤務校でも近現代史を教えさせて頂く機会があり、生徒の様子を観察し、教員として近現代史を見つめていく中で、大学4年間その時代を勉強した者として伝えたい事があり、今回ブログの1記事としてアップすることにしました。


①論文執筆時の奇妙な心境は何だったのか。

数字に支配される感覚と現実との乖離

私が大学時代、毎日卒業論文を執筆するのに戦史史料(戦史叢書など)を読み込んでいると、ふと、不思議な感覚に陥ったことを覚えています。その頃の私は作戦戦闘史(どういう作戦下でどういった戦闘が行われたのか、その上での政治決定はいかになされたのか)を研究していたのです。

ご存知のように、日本側の敗戦に近づくにしたがって、日本側の戦死者は増えていくし、各地における戦闘も激戦になっていきます。

1944年以降は、月単位で「〇〇の戦いで◯万の兵力を失った」→翌月には「〇〇にて◯◯万の兵力喪失」のような文字情報の連続なわけです。こうした文字を見ていると、私は不思議な感覚に陥ることがありました。

それは、

「Aの戦いよりもBの戦いのほうが戦死者が少なくて良かった。」

当時の考え

と思ったということです。
「そんなの当たり前でしょう?戦死者は少ないほうが良いに決まっている。」
みなさんもそう思うはずです。
しかし、戦争とは醜いものです。
では、
「戦闘Aでは1万人の戦死者が出たが、もしAの戦闘が起きず、さらに奥地のBの地点で戦争が起きていたら、戦死者は3万人になっていただろう。」
という情報があった場合、皆さんはどう思うでしょうか。

「Bではなくて、Aで戦闘しておいて良かった」
とまるでAでの戦闘が仕方のなかったことのように考えてしまうのです。
仕方のなかったことどころか、まるで被害を少なくした良い選択であったかのように感じてしまうのです。
でもAでも1万人もの人が亡くなっているのですよ?
人間は眼の前の数字に焦点を当てがちです。
これは、連続する戦闘の中では、常に迫られる判断だろうと思います。

しかし、数字に焦点を当て続けると、眼の前にいる1人の生命への気持ちが薄れてしまうのです。

私を現実へと引き戻したもの・・・

大学時代に奇妙な心境に陥った私を引き戻したのは、
大学の図書館で見た戦争の映像でした。

1人、また1人と機銃掃射で撃たれてバタバタと倒れて亡くなっていく人々、爆弾で建物ごと吹き飛ばされる人々、塹壕を火炎放射で焼かれる人々の映像・・・。

こうした映像を見て、途端に胸が締めつけられる想いがしたし、
文章の上で見ていた〇〇人死亡というのは、こうした1人1人の死である。そう突きつけられたのです。

②戦前の日本人を戦争に駆り立てたのは何であったのか。

見えないものなのか、見たくないものなのか。

 明治時代になり、最初の対外的戦争が1894年の日清戦争ですが、その際には戦争を起こすことに対して否定的な国民は多くいたのです。
知識人の中にも、非戦論を唱える者たちもいました。
しかし、10年後の日露戦争の直前になると、戦争を支持する主戦論がジャーナリズムの主流になり、例えば日清戦争時には非戦論を唱えた徳富蘇峰ですら主戦論へと転向するのです。

これは、当時の日本人も、①で述べた「奇妙な心境」に置かれていたのだと思います。

日清戦争の主戦場は朝鮮半島でした。
日本の本土では戦闘が行われず、海の向こうの戦場で戦争が行われている。海洋国家である日本ならではの事情かもしれませんが、戦地と内地が離れています。

新聞を見れば「勝利」だの、「陥落」だのという文字が踊っている。

こうした状況下で、戦争の本当の惨状を知らない国民たちの下に、
新しい領土・巨額の賠償金が得られたと騒ぎになるわけです。
本当は、日清戦争だって、日本人・中国人・朝鮮人と多くの人々の犠牲や死の上に行われた戦争だったわけですが、とうの日本人は感覚が鈍っていたのかもしれません。それは、眼の前で血を流す、死んでいく者たちを見ないままに戦争のイメージを持ってしまっていたからでしょう。

こうした状況下で戦勝した日本は、戦争を賛美する風潮が高まり、
対露感情の悪化や敵愾心から、日露戦争前には戦争を支持する声が
ジャーナリズムを覆うようになってしまった。

日露戦争後に起こった日比谷焼き討ち事件も国民の怒りは
「重い負担に対して賠償金が得られなかったこと」であり、
「戦争をしたこと・開戦の決定を下したこと」には
目が向けられていないのです。

 こうして戦争への美化された感情ばかりが優先されていきます。
もちろん、明治の教育が忠君愛国を目指していたこと、
軍部もジャーナリズムと結びついて軍国美談を喧伝したことが、
国民を煽り立てたのは事実でしょう。

しかし、それにしても、
あまりに当時の国民の戦争へのハードルが下がりすぎている。
そう私は思います。

その後も、第一次世界大戦への参戦など、日本は戦争の道へと
足を踏み入れていくわけです。
そして、昭和初期の恐慌の時代に、社会が行き詰まると、
政党政治の腐敗への国民の不満を吸収するように軍部が政界へと台頭して、戦争への道を突き進むのです。

当時の国民は何も知らなかったのではなく、
現実から「目をそむけていたのだ」と私は思います。
これは人間の弱さかもしれません。

③私は近現代史の平和教育で何を伝えたいか。

戦争を知らない世代と戦争への認識

生徒の多くは、私もそうですがいわゆる「戦争を知らない世代」であり、
多くの場合は歴史の授業を通じて、日本の歴史を学ぶことになるでしょう。歴史の教科書を読み、教員の授業を聞くわけですが、その教科書は
「残虐な画像」などは除かれたものとなっています。

そのような中で、文章だけで読む「◯万人死亡」などという言葉を見ていけば、私が大学時代に感じた①のような、1人1人の生死を伴う感覚の欠如に陥ってしまう可能性が大いにあります。

特に、現代の子どもたちはサバイバルゲームやテレビゲームにて「相手を倒す・殺す」ことを疑似体験しがちです。

こうしたゲームは、亡くなる人間へのフォーカスはしませんから、なおのこと生身の人間が戦っている、殺されたという感覚が失われていきます。

授業づくりの課題

また、教育現場にあっても課題は山積しており、
一部の教員の中には授業内で生徒にディベート授業をさせるときに、
「原爆を投下する必要があったか。」や、
「戦争をする必要があったのか」を問う授業を作る教員もいます。

まだ戦争に対する知識や歴史認識の薄い生徒たちであれば、
「原爆は戦争の早期終結のためには・・・」
というアメリカ側の主張する原爆正当化の議論や、
「戦争は自分の国を守るためには・・・」
のような自存自衛のような、誤認識を持つことも少なくありません。

「仕方がなかったのだ」という考え方は、私は戦争を考えるときに絶対にしてはならない思考であると考えています。
「仕方がなかった」というのは、その事実を評価しないことだからです。
・原爆を落とさなくても、戦争終結への別の方法は考えられたはず
・自分の国を守るためには戦争以外の外交交渉の道も取れたはず
そう考えれば、「仕方のない選択」などあり得ないのです。

もちろん、「原爆が投下されずに本土決戦になったら、さらなる多数の戦死者が」という意見もあるでしょうが、それは「戦争の継続」をした場合です。
「戦争を早期に終わらせること」をすればそうはなりません。
むしろ、「戦争しなければ、」そんな議論すら必要ありません。

むしろ、議論するなら、
日本は外交交渉で戦争を回避出来なかったのか。
戦争の早期の終戦を模索出来なかったのか。
こうした問いを立てるべきです。

こうした想いから、終戦史の研究を私は行ってきたのです。

戦争は被害と加害の両面から今一度平和教育で考えるべき


日本にいると、戦争を考える日はいくつかありますね。
・沖縄慰霊の日
・広島原爆慰霊の日
・長崎原爆慰霊の日
・終戦記念日
などが挙がると思います。
これらの記念日には、慰霊式典も多く執り行われていますし、
TVでも、戦争特集や被害の実態を描いたドラマなどがよく
放送されます。

もちろん、戦死者の御霊への慰霊の気持ちを忘れたことなどない私ですが、
ただ、想うことは、こうしたドラマなどでは、
「日本側の被害の側面」が強調されて描かれており、
「日本側の加害の側面」は殆ど描かれないということです。

前述のように、「戦争を知らない世代」である生徒たちは、
何気なしにこうした番組を見ながら
大きくなれば、加害の歴史への認識が下がります。

戦争の戦地の実態以上に、加害の側面は触れる機会が少ないからです。

近年、アジア諸国との間に、「歴史認識問題」は根深い問題として
日本の外交課題にもなっています。

こうした、問題の根本を日本人は知る必要があります。
それは、日本国民に課せられた歴史の十字架だからです。
こうした側面からも平和教育を行うべきと私は考えます。

だからといって、外交交渉などで相手国が政治カード化してきたときに
要求を鵜呑みにしろと言っているわけではありません。
卑屈になれと言っているわけでもありません。

歴史を直視し、2度と戦争なんて起こしてたまるかという姿勢を持ち、
相手国の人と意見を交わすこと
です。
それこそが、深い反省をしている人の行動です。
想いは行動で示すのです。

もし仮に相手国が政治カード化してきた場合は
「歴史問題に深い理解はあるが、政治カード化するのは話が違う」
と毅然と主張すればよいのです。

被害の側面と加害の側面を直視して初めて平和教育だと思います。

書店で、隣国を非難するような書籍が陳列されているのを見ると、
大変心苦しくなります。
加害の歴史を直視せず、相手国の言動ばかりに目を向けていれば、
「なぜ、あの国は日本に言いがかりを・・・」
というような発想になりがちです。
これでは真の国際交流など不可能です。

特に、これからの戦争を知らない世代が政治・社会で中心的な役割を
担う時代には、絶対に両側面からの平和教育は必要です。

私も若造の教員ゆえ、生徒に深く考えさせる授業はなかなか出来ていませんが、学び続け、授業を改善していきたいと思います。

賛否両論あるでしょうが、自らの歴史認識の浅さへの自戒をこめて

                            あちゃちゃ




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