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何が心の安定に繋がるのかは人それぞれ、という話

多分これからも、モヤモヤしながら上がったり下がったりするのだろうと思う。それでも、少しだけ呼吸ができた気がするので書いてみる。

シンガポール国内がコロナの脅威を認識し、生活やビジネスに規制をかけ始めてから既に1年以上が過ぎた。私はイベントオーガナイザーなので、このコロナ禍においては言うまでも無く仕事に大きなダメージがあった。最初の半年はまだふわふわとした気持ちで過ごしていた気がするが、その後の半年は本当にしんどかった。

きっとプチ鬱状態だったのだと思う。それでも、何をするべきなのかはちゃんと分かっていた。コレとコレとコレを、生き残るためにやろう。やってみよう。やらなければ。だけれどもやる気も気力もどこかへ行ってしまって、身体も心も全く動かない。デスクに長く向かえない。向き合ってしばらくすると頭痛に襲われ、眠気が襲い、息が詰まる。そんな症状に苦しめられていた。

環境にも恵まれずに苦しんだ。いつまでこんな状況が続くのか全く不透明だったので、リビングコストは極力抑えなければと前々回の部屋とその次の部屋はシェアハウスを選んだ。もともとシェアは嫌いではないし部屋も気に入っていたが、前々回は私の後から日本人男性がフラットメイトとして入って来た事で状況が変わってしまった。これまでの海外生活でも日本人とのシェアを頑なに避けてきた私にはそれは大きなストレスとなり、半年で引っ越すことになった。次の部屋では引っ越した翌日からすぐ隣の土地で建築工事が始まり、100%自宅勤務の私は朝目が覚めた時から仕事終わりの時間まで常に工事音に晒される事になってしまった。結局ここも、部屋は気に入っていたが騒音問題に合わせ別のフロアに住む住人のマナーが悪く、これまた大きなストレスとなり再度半年で引っ越すことにした。

こうなるともう背に腹は変えられないので、結局単身者用のフラットに引っ越した。引っ越してまずは自炊を再開した。最後のシェアハウスはキッチンの使い勝手が悪く、自炊の習慣から大きく離れてしまっていた。食事は近所のローカルフードコートかデリバリー、または外食という生活を送っていたが、もともと料理は気分転換にもなり好きな方だったので、引っ越して再開したい1番の事柄だった。

次に、家具を買い足すなどして自分が快適且つハッピーに過ごせる部屋にすることにお金を使った。海外に来てからは引っ越しも多く、更に言えばいつ帰国を余儀なくされるかも分からないと常に頭の隅に置いている。なので物を増やす事を長年避けていたが、ここで絶対に快適に過ごして生活も仕事も盛り返すのだという思いを胸に、本当に久しぶりに家具を買った。大きな部屋ではないので限界はあるものの、試行錯誤しながら好きなものを丁寧に並べた。

快適な空間ができたので、一旦全てを放り投げて自分の回復を優先させた。思い返せば半年間くらいは落ち込んだ状態だったと思う。でも自分が正常ではないと自分で認識したのは多分後半2か月くらいだった。これはまずい状況だと理解した時、そのままお金を節約する事に集中するか、環境を変えて盛り返しを狙うかでしばらく悩んだ。悩んだ末、いつまで続くか分からないこの現状は、お金を節約しているだけでは乗り切れないと判断し引っ越しを決意した。引っ越したら一度我慢せずに好きなように環境を整えよう、そして回復に集中しようと決めていた。

気持ちが重い時は平日でも夕方まで寝て過ごしたりもした。起きてデスクに向かってみても、苦しいようならずっと好きな動画などを見て過ごし、洗濯して、食事を作って食べて、またひたすら寝るといった生活を「もういいや」と思うまで続けた。本当は、もう1日も1時間も無駄に出来ない。今すぐ成果を出していかなければいけない状況だった。会社の資金が尽きたら…そう思うと恐ろしくなって眠れない事も多かった。でも、数ヶ月鬱々と過ごした上で「これは無理だな」と分かっていた。だから一旦全てを諦めて、腹を括って、いけると思うまで休もうと決め、全てを放り投げた。ダメな時は仕方がない。死にはしないから大丈夫だ。そう諦める事にも勇気は必要だった。

新しい部屋に引っ越して来て1か月も経っていなかったと思う。回復の兆しはふとした瞬間に訪れた。ある日タスクに取り掛かってみると、まあまあできる。「お、いける。」と思ったらもうこっちのもので、これやったらお昼食べよう、これ見たらあれを片付けてしまおう、コーヒー入れたらこれに取り掛かろう、という具合に、合間合間に自分を甘やかしつつ着実にタスクをこなせるようになってきた。

何がきっかけだったのか。

会計士さんと年度末締めの話をしたのと、仕事の話の電話を数件終えた後くらいからだった。

前から分かってはいたが、やっぱり私は仕事をしていないとダメな人間なのだ。休みたい気持ちもサボりたい気持ちも人並みにはあると自覚している。が、基本的にはコンスタントに仕事をしていて、更に言えば少しキツイくらいが1番精神的に安定する。常に3速か4速くらいで走り続けているのが楽なのだ。一旦1速なんかに落としてしまうと、また加速させるのが本当につらい。これはもちろん、自営業という形で全て自分の責任において収入を得ているからという事からの影響も大きいと思う。仕事が無ければ全てを失ってしまう。会社も、お給料も、今の生活も、何もかも。海外にいる事も含め、私は自分のやりたい事をやる為、生きたい形で生きる為に仕事をしている。その仕事も自分が好きで楽しいと思えるものを選んで働いている。だから仕事を失うという事は、私が楽しいと思っている事の多くを失ってしまうという事に繋がりかねない。

自分の責任において自分が好き勝手生きるためにその道を選んでいるので、親身になってくれる人や支えてくれる友人はもちろんいるけれども、現実のところ全ては自分次第で誰も私を助けられない。私が自分で自分を生かすしかない。パートナーがいてもそこに絶対の安心を見出す事ができない私にとっては(自立を失う事への恐怖参照)安寧はのんびりとした生活にではなく、安定した仕事のもとに成り立つのだろうと、今回のことで穏やかに確信を得た。

まだまだビジネスの方は厳しい現状だけれども、とりあえず自分自身のピンチは脱したように思えた。危ないと気づいて環境を変える決断を早めに出来たのは本当に運が良かったと思う。休むより働くほうが安定するなんて、楽に死ねなさそうだな。でも、自分に何が1番必要なのかが分かったならそれでいい。これが変わる時はきっと、私自身のプライベートや心情に大きな変化をもたらすような何かが起きた時なのでしょう。それもまたいいと思う。柔軟に変化しながら、好きなことをして、好きな人に囲まれ、そこそこ苦労もしながら退屈せずに生きたい。ただそれだけ。


最後に

自分しか自分を救えない、と書いてはいるものの、心の部分では周りにいてくれる友人にこれ以上ないくらい救われています。何かしてくれるからでもないし、気の利いた言葉をくれるとかでもない。ただそこにいてくれて、私を受け入れてくれているだけで本当にありがたいし、感謝しています。大切な人がいると自分の行いや思考を振り返るきっかけになる。だから大切にする事で自分も守られていると思っています。


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