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【ギターと暮らす】ジャズは難しいからやめられない

 初めてギターを弾き始めたのは、小学校6年の冬。
 音楽は大好きで、クラシック音楽や歌謡曲のレコードをよく聞いていた。
 この頃、音楽好きな従兄弟や当時聞き始めたラジオの影響で洋楽やフォークソングなど様々なジャンルの音楽と出会う。
 当時は社会派とも言われたフォークの旗手たちのギターを弾きながら歌う姿は印象的で、今思えば米国のボブディランのスタイルであったか。
 私が知ったときにはもう解散していたビートルズの楽曲にも魅了された。歌番組やラジオのヒットチャートを追いかけるようになる。
 中学ではブラバンでトランペットを吹くも、練習するには音が大きいので、夜な夜な音楽雑誌を見ながらギターのコードを覚えた。
 ギターをFコードで挫折するという話は有名だが、これはバレーコードという人差し指で全弦を押さえ、そこに音を加えるという指に負担がかかるものだ。握力がないと奇麗に音が鳴らない。これはは30歳を超えてから使うようになった。実は押さえている部分だけ奇麗に鳴らせばよいのだ。ずるい。
 中学の文化祭でエレキバンドで演奏したり、高校では部活には所属してなかったがギターは続けた。ニューミュージックやロックが全盛の時代だ。
 大学では作詞作曲部に属し、オリジナル曲を作ったり、様々なユニットで人前でギターを弾くようになる。この時期にプロに付いてひと通り基本的な理論や技術を学んだ。当時はディスコの台頭期でダンスミュージックやブラックコンテンポリー、AOR、フュージョンなんかが流行っていた。
 大学四年時に周囲の強者たちを集めて、自作の曲でコンテストに出た。ポプコンというやつだ。当時渋谷にヤマハのスタジオ兼ホールがあって、そこで準優勝だった。優勝していれば合歓の決勝大会であったが、都内の準優勝組からのテープ審査による復活もならず、敢え無く終了。この時この楽曲の著作権の帰属について書類に署名捺印した覚えがある。才能が無かった。
 さて、就職と同時にバンド活動は諦めた。田舎に戻って仕事の合間にパソコンをバンド代わりに音楽制作などもしたが、以前のような音楽に対する情熱は冷めていた。
 その頃、昔は興味がなかったジャズに再会する。これって年とっても続けられる音楽だ。そう思ってジャズを聴き漁ったが、とっても難しいことを思い知らされる。改めてジャズを先生に付いて習い始めるが、即興演奏を可能にするには和音やリズムや楽曲に対する理解や訓練が必要となるのだ。
 仕事はどんどん忙しくなるが、気分転換にジャズやギターは続けてきた。色々あっても音の中に飛び込むと忘れてしまう。いいバランスだった。
 今でも仲間とライブをしたり、セッションしたりしている。
 しかし、いい演奏をするための準備や勉強はこれからも続く。
 これが楽しいのだ。
【REG's Diary    たぶれ落窪草紙   1月31日(水)】

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