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【男と女】お家の繁栄のための昔の婚姻、幸せの形の違い

 大河ドラマ「光る君へ」の第三話を見た。藤原摂関家の中でも繁栄を極めた藤原道長と紫式部が恋愛モードに突入していく。紫式部も貴族の生まれではあるが、藤原北家右大臣の御子息とはちょっと身分が違う。この二人が付き合うのなら身分の差問題にぶち当たるのは必須だろうなと推測する。
 この当時から日本において婚姻が男と女の幸せな形であったのかはきわめて難問だ。そもそも本人たちが婚姻を決められなかった。家の繁栄や存続が重視されていた時代は、家同士の結びつきが人々の関心事であり、伝統や権威のある家ほどその傾向は強かったと思われる。特に戦国時代は戦を有利に戦うための重要な戦略でもあった。それは近世まで割と当たり前のように続いてきた。婚姻はお家のステイタスを安定させ、子孫を沢山残すことによってお家の存続を保証する、その目的を成しとげるための手段となってきたように思う。
 まるでそれは不幸だと言わんばかりではあるが、案外立派なお家と縁ができて、子孫が沢山生まれ育ち、お家を次の世代へ引き継げれば、その夫婦はとても幸せだったのかもしれない。

 人が一生おいて家族や友人と多くの時間を過ごす。友人は選ぶことができるが、家族は独り立ちするまでは選べない。独り立ちすると、自分の伴侶を探す。今の社会ではここで選択する伴侶ととても長い時間を一緒に過ごすことになる。穏やかな時間を送るためには、自分と気の合う伴侶を選ぶのが大切だ。自分の住み家は寛げる場所であって欲しいので、できるだけ仲良くやっていきたい。
 かと言って自由恋愛が可能な現代において、皆が幸せな結婚生活を送っているのかは、また別の問題ではあるが。
 昔は自分の一番好きな人と結婚することは難しかったのかもしれない。史実の上では藤原道長と紫式部は結ばれていない。人を慕うこととお家を守ることはフェーズの異なる想いだったのかも。
 いずれにしても、気になる異性ができて、ドキドキしながらその人のことを考える時間はいいものだと想う。単純に。
【REG's Diary      たぶれ落窪草紙   1月22日(火)】

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