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ずっと継承されてきた天皇家、それを守って来た日本国民

 日本の歴史は天皇という古来より血統を受け継ぐ君主の下に語られる。この君主という言葉に違和感を感じる方も多いだろう。国のトップ、国の実権を握る存在かというと、歴史を振り返ってもそうでない時期もある。
 古来オオキミと呼ばれた時代より奈良時代までは政治においてもトップだったが、平安期には藤原摂関家、武士の出現による平氏・源氏の台頭、鎌倉期の執権北条氏、室町期の足利将軍家、信長・秀吉の戦乱の時代、江戸徳川将軍家、明治維新では復権するのだが、敗戦後はまた立場が変わる。
 現在は日本国憲法において「日本国及び日本国民統合の象徴」と規定される。天皇は国事行為のみを行い、君主や元首という規定は現憲法にはない。

 現徳仁天皇は第126代、初代の神武天皇の即位が紀元前660年なので、2700年の間天皇家は続いていることになる。しかし、この計算だとつじつまが合わないこともありこれに関しては諸説存在している。古代は一年の長さが短かったとか、諸国に日本の歴史を長く見せたかったとか、初期の天皇は存在していなかったとか。歴史に諸説はつきものだ。真実はわからない。

 第25代武烈天皇には子供が無くて一旦血統は途絶えるが、第26代継体天皇は応神天皇の5世の孫とされ、皇后は武烈天皇の姉若しくは妹なので、血統は引き継がれたとされる。これより男系天皇の血統は現在まで続くことになる。継体天皇は507年の即位とされるので、少なくても1500年は血統は確実に続いていることになる。男系天皇とは簡単にいうと父親をたどれば神武天皇に行きつくということだ。継体天皇のような稀なケースもあるが。とにかく皇室や国のトップとして世界一の長さである事には違いはない。これだけの長きに渡り天皇家が続いていることには改めて驚かされる。

 天皇は実質的に政治を行わなくても、祭祀をつかさどり、和歌などの日本文化の継承も担っており、史上ずっと日本国民の守り神のような存在ではなかったかと思われる。第32代の崇峻天皇のように臣下(蘇我馬子)に唯一暗殺された天皇もいるし、院政や南北に天皇が二人いるなど特異な状況もあるのだが、誰も天皇家を滅ぼすことはしないのだ。

 天皇家をずっと守ってきたtこと、島国であるがゆえに殆ど外からの侵略を受けなかったこと、この二つは他国とは異なる今の日本の精神の基礎を築く大きな要因ではなかったか。

【REG's Diary   たぶれ落窪草紙  3月23日(土)】


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