歴史の中の真実には辿りつかないが・・
歴史学者の方々は次々と多種多様な新説や検証を発表されている。歴史は新たな資料が発見されると今までの常識がひっくり返ることもある。鎌倉幕府の成立年号とか源頼朝や足利尊氏の肖像画とか聖徳太子の名前とか教科書も書き変えられていく。人物そのものや事件の存在そのものを怪しむ案件も出て来た。
今の時代に対する情報は後世にかなり真実を伝えることができる。音声、画像、映像もしっかり残っている。ところが昔の話となると史料が残っているものしか手掛かりはない。ドラマの影響もありあまり脚光を浴びることがない平安時代だが、女子を中心にブームを巻き起こしている。平安期は物語や日記が結構残っていて、貴族社会の様子は千年経った今でも意外と伝わってくる。祟りや穢れを恐れる慣習は何となく日本の生活の底に残っている。
鎌倉、室町、戦国時代になると勝者の論理で、残っている史料にも権力を手にした者への忖度や配慮も感じられ、随分と誇張された内容や黒歴史ははっきりと描かれないこともあり、真実はあいまいで謎も多く残される。
江戸以降の近世、近代になると結構史料が残されているので、世の中の動きや生活の様子なども以前に比べると伺い知る事ができる。それでも資料の管理保存は今のような訳にはいかない。
昔は火災や天災のダメージが今よりずっと大きく、歴史を知るうえで重要な資料が多数失われている。戦乱の影響も大きかったに違いない。いったん火災が発生すると消火は困難で、延焼を防ぐために周囲の建物を破壊するなどの処置が精いっぱいで、この状況は近代まで続く。
奈良時代より前に至ってはそもそも史料が極めて少ない。古事記、日本書紀でさえ、天皇家の正統性を知らしめる役割が主で、真実をありのまま伝えているとは思えない。卑弥呼や出雲の真の姿もはっきりと見えてこない。
古墳時代より前は異国の書物に頼らざる得ないという始末だ。
それでも日本はまだましで、大陸の様に次々と侵略者がやってきて王朝がそっくり入れ替わるようなことはなかった。もちろんその度に破壊と殺戮は繰り返されるのだから、日本の島国という環境はありがたいものだった。
歴史の中に知りたい真実を追い求めても、到底たどり着く事もできないだろうが、あれこれと祖先たちの足跡に思いを巡らせる時間も楽しい。
【REG's Diary たぶれ落窪草紙 7月29日(月)】
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