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いつかはレトロになる日々よ


私は過去という言葉があまり好きではない。
「過ぎ去ったこと」にしてしまうのは今から切り離してしまうようでなんだか悲しい。

最近よく耳にする「レトロ」。
レトロってなんだろう。
古きよきものを懐かしむ。愛好する。

なるほど、だったら今が過去になるんじゃなくてレトロになればいいなと思う。
レトロになった今をいつの日にか
ポケットから取り出して愛おしく思えますように。
1st. 作字album「紙の上で踊ってたい」2022.01.23


「いつかはレトロになる日々よ」
私にとって「レトロになる」とは必ずしも「いい思い出になる」ということではない。
「いつか笑えるようになる」ということでもない。
笑えなくてもいい。だけどその「いつか」が来た時に、当時のどうしようもなかった私を認めてあげたい。なかったことにするのではなくて、あの時の私がいるから今があるんだと愛おしく思えたら……という気持ちでいる。


昔から私は、いわゆる「普通」ではなかった。
重度の食物アレルギー持ちで、みんなと同じものが食べられなかった。
先生は給食の時間になると私を特別扱いする。
それは仕方のないことだった。
でも私はこどもながらに気づいていた。それをよく思っていないクラスメイトがたくさんいたことを。

だからこそ、給食以外はみんなと同じを目指そうとした。同じがよかった。一緒という言葉に憧れた。共通点がほしかった。
だから、同じものを持っている友達を見つけたらお揃いだ!なんて喜んだ。できるだけみんなと同じものを好きでいたかった。
それが多分鬱陶しかったんだと思う。
みんなに合わせていたはずがなぜか、独りになっていた。その時にはもう遅かった。
負のループから抜け出せない。

気づけば「みんなと一緒」が私のアイデンティティになってしまっていた。
一緒がいい一緒がいいそう思っていたら段々本当の自分が消えていくのがわかった。
今思うと全部全部本当に好きなものではなかった。
自分のようで自分ではない。驚くことにそれが大学1回生の頃まで続いた。

だからこそ私は今、心から好きだと言えるものがある今この瞬間を噛み締めている。
何がきっかけで変われたのかは正直覚えてない。覚えていないけど、大学時代に出会った友達が、私の好きな人達が、私を一人の人間として認めてくれたおかげで今があるんだと思う。

実際、つい最近まで「好き」だと言葉にすることに抵抗があった。
だから今の私にとっては、「好き」って言うだけで精一杯で、それ以上の言語化は難しい。
それでも心の底から「好き」だと言えるようになった自分はとても幸せだと思う。

これからは、今まで言えなかった分、たくさん好きって言いたい。
できることなら私の好きなものをもっとたくさんの人に知ってほしい。

そんな気持ちでデザイナーをやっています。


まあでも残念ながら、今がよければ全てよし!とは言えない自分がいる。
別に誰かを恨んでいるわけじゃない。というより、今ならわかる。誰も悪くはない。
みんなみんなわからなかっただけだ。
それに、みんなそれぞれ傷ついてるんだと思うし、私も誰かを傷つけて生きてきたんだとも思う。

でも、昔の友達と集まるとみんなして全部「いい思い出」にしようとする。
全部全部笑い話に変えようとする。
だから同窓会のような集まりは苦手だ。
いつも断ってしまって申し訳ないとは思ってる。
思ってはいるけど私は傷ついたあの頃の私を笑いたくはないのです。
そんなみんなのことをもう恨みたくも嫌いになりたくもないのです。

レトロになっただけでいい思い出になったわけではない。実際たくさん傷ついた。
その傷は、隠しているだけで完全に治ったわけではないんだなと最近思う。
会ってしまうと元の自分に戻ってしまう。
だから、もう会えないかもしれない。ごめんね。

それよりも私は今を大切にしたい。今そばにいてくれる大切な人達との縁を大事にしたい。
こんな私の言葉を、お守りのように大事にしてくれる人達を大切にしたい。
自分の本当の「好き」を大事にしたい。
そんな気持ちでいます。いつもありがとうございます。

今ではもうレトロになった日々ですが、私は傷つき続けた12年間をこの先も美談にはしない。

なかったことにも笑い話にもしないよ、ずっと。

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