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「8歳で80年生きた天使」プロジェリア症候群の娘と生きた8年 No.2

生後2ヶ月からの入院生活
りさが入院した翌日から、午後2時から5時までの面会時間に病院に通い始めました。

先生からは「呼吸数が多いことで酸素は使いますが、予後は全くわかりません。
これから色々な検査をしていきます」とだけ言われていました。
「これから先、どうなってしまうのか?」
大きな不安と、この状況を受け止めきれない精神状態で、病院へ向かいました。

初めて入る小児病棟…
面会時間になると扉が開いて、まず白いエプロンをつけて、手を洗って消毒してから病室に向かいます。

りさは6人部屋の一番窓側のベットに寝ていました。
顔は、ケーキの丸い透明なケースみたいなものを被せられていて、その中に酸素が流れている状態でした。
だから抱っこもできなくて、ただベットの脇に座ってりさの小さな手を握りながら、泣いていました。

看護師さんや周りのお母さん達が私の様子を見て、気にかけてくれました。

隣のベットの2歳の女の子のお母さんも、

「大丈夫?こんなに小さな赤ちゃん、心配だよね…りさちゃんってお名前なのね。
仲良くしてくださいね!」と話しかけてくれました。

私にとって小児病棟は、テレビや本の中の世界でしかなかったので、自分がいることをすぐに受け入れることはできませんでした。

そして、重い病気の子供達が多いのに子供達もお母さん達も明るくて、
 
「どうしてみんな笑っていられるの?」

私には、無理だよ…と心の中で思っていました。
だから、病棟に馴染むまで少し時間が必要でした。

りさの病状はいろいろな検査を行いましたが、決定的な所見は得られず…
とりあえず治療は酸素を使うことと脂肪抜きのミルクを少しずつ飲ませながら様子をみることになりました。

どのくらいの期間、入院するのかも全くわからず、病名もわからず、毎日が過ぎていくことは本当に辛いことでした。
しかし、時が経つに連れて病棟の子供達やお母さん達、そして看護師さんに心を開くことができ、いつの間にか私は子供達に「赤ちゃんママ」と呼ばれるようになっていました。

そして、病棟内では明るいお母さんも、外の待合室では無言で泣いている姿を見かけたりして…

「みんな、とっても辛くても子供の前では明るく頑張っているんだ。私も頑張ろう」と、少しずつ心が変化していきました。


5階病棟は、重い病気のお子さんが多くてお別れをしなくてはならないことも多々あり、一昨日まで仲良く話していたお子さんが急変して突然逝ってしまったりして…

私は、このりさとの入院生活で、

「生きていられることはすごいこと」
「当たり前のことなんて何もない」

それまでの人生では考えたり思ってもみなかったことを感じていました。

そして「こんなにいい子達がなぜ病気で苦しんだり、短い人生を終えてしまうのか…」

子供の死と向き合う悲しみは言葉では言い表せない、そして死を身近に感じることで私の心は母親として強くなりつつも、いっぱいいっぱいになることもしょっちゅうでした。

次回に続きます



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