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『I'm home!/真相』 第1話・突然の帰還

【あらすじ】
交通事故で記憶を失った作家の卵・新田綴にったつづるは、ふとした事から記憶の一部を取り戻し、再会を喜び合おうと部屋に戻るが、同棲相手・次野恋子つぎのれんこは、驚きの表情で〝綴の知らない事の真相〟を語り出す。
それは〝 綴が既に事故死していて、もうこの世の人間ではない 〟という突拍子もない話だった。
ショックと混乱、体調異変の中部屋を出た綴は、帰りのエレベーターで一人の男と出くわし、事故当日迄の忌まわしい記憶を一気に取り戻す。
押し寄せる死の恐怖の中で、綴が見た真実とは?
掴んだ光とは何か?

死にかけた男が、魂の声に導かれ、本当の自分へと還っていく物語。
(ミステリー+恋愛小説)

【本編】

「ただいま!」
 ドアを開けたまま凍り付いたようになっている恋子に、俺は言った。
「何もそんな幽霊見るような顔で見なくてもいいじゃないか。そりゃ、身体一つで部屋を出てから二年も経つけどさ」
「お…かえ・り」
 恋子が返して来た言葉は、まるで言葉を覚えたてのA Iのように強張った、ぎこちないものだった。
「うん。まさかこんなに時が経つまで、自分がこの部屋に帰れなくなるなんて、夢にも思わなかったよ」
 驚いて固まったままの恋子の脇をすり抜けると、俺は靴を脱いで、部屋の中に上がった。 久々に戻った部屋は、玄関の隅に猫のシルエットを象ったスリッパ立てが増えたのと、靴箱の上に投げ入れの花が活けてあるくらいで、あの頃と殆ど変わらないように見えた。
 廊下を抜けて、ダイニングキッチンとリビングが一つになったフローリングの部屋に入ると、俺は、ダイニングとの仕切り代わりに背を向けて置かれた三人掛けのソファに回り込んで、あの頃のようにドスンと腰を下ろした。「あー! 疲れた!」
 少し沈み気味にゆっくりと跳ねるブラウンのソファの座り心地が、やけに懐かしくて、俺は思わず泣きそうになった。
 それは、同棲を始めると決めた時に、家具屋で見つけた二人のお気に入りのベルベットのソファだった。 部屋の中は、あの頃と同じように、微かに、恋子の好きなお香の香りがしていた。
「何? 恋子、黙ってないで、お茶くらい淹れてくれよ」
 俺を見つめたまま、呆然としてソファの側に立ち尽くしている恋子に、俺は笑って言った。 恋子は、何か言おうと口を開きかけたが、言葉が見つからなかったのか、また口を閉じてしまった。
「何? 帰って来ちゃマズかった?」
 恋子は、やっと金縛りが解けた人みたいに、慌てて頭を振ると、言った。「ち、違うの!……、だって……、だって綴くん、突然いなくなったまま二年だもん……びっくりするの当然じゃない?」
 それから急に顔を曇らせたかと思うと、『ひどいよ!』と言って、顔を覆って泣き出した。
「えっ?! あ、ごめん!」
 俺は慌てて立ち上がると、恋子の両肩に手をかけて言った。
「ごめん! 心配かけた! ごめんな!」
 抱き寄せると、恋子は首を振りながら『いいの。いいの』と暫く泣き続けた。 頬に当たる恋子の長い髪は、あの頃にように甘いローズの香りがした。


 久しぶりの部屋で過ごす時間は、ゆっくりと流れていった。
 それは単に、俺の胸に溢れる感傷が、そう感じさせていただけなのかも知れないが、何故か恋子が、紅茶を淹れるのにやたら時間がかかっている、と感じたからだった。
「それにしても……綴くん、あなた一体、今まで何処にいたの?」
 恋子は、温かいハーブティーの入ったカップを、俺に差し出しながら聞いた。
「今まで?」
 ティーカップを口に運びながら、俺は答えた。
「実は、北の漁師町で暮らしてた」
「漁師町? 何でまたそんな所で?!」
 恋子は、鳩が豆鉄砲を食らったみたいに、キョトンとした顔で俺を見た。「綴くん、海も寒い所も苦手じゃない?!」
 俺は少し曖昧に笑いながら、
「それが……、俺もほんとはそこら辺がよくわかってないんだけど」
と言って、一口ハーブティーを飲むと、続けた。
「実はあの夜……、君と喧嘩したあの後、家を飛び出した君を追いかけて、俺も家を出たんだ」
 恋子は息を飲んで、
「それで?」
と聞いた。 俺は、急に喉が渇くのを感じながら、もう一口お茶を飲んだ。「うん。君を追いかけて、そこのバス通りまで来たら、通りを渡って駆けて行く君の姿が見えたんだ」
 お茶で潤した筈の喉は、またカラカラに渇いていた。 恋子は真剣な顔で頷いた。
「それで?」
「う、うん。そこで渡ろうとしていたとこまでは覚えてるんだ……」
 俺はまたお茶を飲んだ。
「え?」
 怪訝そうに首を傾げている恋子に、俺は言った。
「実は……、そこから記憶がない……」
「えっ? キオクが無いの?」
 首を傾け驚いた表情のまま、恋子が繰り返した。
「そうなんだ。どうやら俺はあの後、走って来た車の前に飛び出したらしいんだ」
「エッ?!」
 恋子は驚きの声をあげて、両手で口を覆った。
 俺は喉の渇きを黙らせるかのように、またお茶を流し込んで言った。
「そう! 危なかったんだよ! 本当に」
 恋子は、傷ましそうに大きく頷いて見せてから、空っぽになっている俺のカップに、ポットからハーブティーを注ぎ足した。
「ありがとう。あれ? 何だっけ……?」
 少し、ぼんやりとし始めた頭の中の靄を払うように、俺は二、三度軽く頭を振った。
「車の前に飛び出したって……」
 恋子が話を促した。
「あ、そう、そうなんだ! 思わず車道に飛び出した俺は車に轢かれかけて転倒した後」
 俺はそこ迄を一気に話すと、大きく息を吸ったが、勢いは続かなかった。
「気絶したらしい……。気づくと、知らない街の病院のベッドの上だった」「そう……。そうだったんだ……」
 恋子はジッと俺の目を見ていた。 俺は続けた。
「どうやら、俺を撥ねかけたトラックの運転手に助けられたらしい」
 またやって来た渇きに急かされるように、俺はまた紅茶を啜った。
「事故のショックで記憶を失くしてしまったみたいで、何も覚えてないんだよ。その時のこと」
 俺がそう話すと、恋子は、今度はさっきとは逆の方に首を傾げて言った。

「よく出来た話だね。綴くん……」

第一話・終わり

#創作大賞2024
#ミステリー小説部門


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