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痛風地獄

私の知人の話です。彼はいわゆるアラフォー世代。
奥さんと、高校生・中学生の娘さんとの4人暮らし。
仕事も波に乗り、絶好調の働き盛り。
学生時代は、山岳部に籍を置き汗を流しました。
社会人になってからも、登山、マラソンとなかなかの、
スポーツマンであります。
成人病とは無縁とは思いつつも、やはり寄る年波には勝てません。
ある日そんな彼を突然の悲劇が襲いました。

成人病の代名詞?痛風です。

その日の彼は、数カ月ぶりの定時帰宅でした。
普段から車通勤です、通勤時間は15分程度です。
「それじゃ、お疲れ。お先です」なんていって車にのりこみました。
普段は早朝から遅くまで業務をこなし、休日出勤も当たり前の日々でした。

ひとつのプロジェクトが終了した充足感、
気の緩みもあったのかもしれません。

運転し始めて10分位過ぎた時、左膝になんとなく鈍痛を感じました。
疲れかな?

そんな思いはその2分後にはスサマジイ痛みの中にかき消されたのです。
彼の言によれば、「信じられないだろうけどさ本当に2分くらいだった」。

我が家は目と鼻の先です、到着しました。
すでに左膝はすさまじく腫上がっていました。
決して誇張しているわけではありません、最初の鈍痛からすさまじい痛みを感じるまでわずか2~3分程度でした。
そのうえ信じられないほど腫上がる始末。
痛みは感じていましたが、余りの痛さに感覚が無くなっているほどでした。

この日から彼の痛風闘病記がはじまります。

痛みに耐えつつも帰宅した彼は、恥も外聞もなく、家人と隣人の手を借り、近所の主治医へ駆け込みました。
とうてい自分で歩くことなどできません、抱えられながらの訪問です。

診察室で患部を診せるなり、
主治医には「あ~通風だね。」だと言われたのです。
「通風?」普通は足の指が腫上がるのでは?そうも思いましたが、
彼のように膝や足首、ごくまれにですが、手の甲に発症することも
あるのだそうです。
さっそく、痛み止めの注射、湿布、投薬と処置が施されました。
その後、主治医からの説明を受けます、合併症が云々、食生活が云々、
飲酒が云々、生活サイクルが云々。
処置はしてもらいましたが、とても聞いていられる状態では有りません。
いまは、タダタダ痛みを抑えたい、横に成りたい。それだけです。
いろんなプリントを見せられてもどうしようもありません。
痛みは増すばかりです。

普段はめったなことで感情をあらわにしない彼が
「先生!いまは何を言われても聞ける状態ではありません。
この痛みをなんとか抑えてください、お願いです、お願いです!」

と涙ながらに訴えたとのことです。普段から温厚な彼の顔が苦痛にゆがみ、涙でくしゃくしゃになっていたとは後の奥さんの言でした。

病院から帰宅した彼の手には、たくさんのシップと、痛み止め、
座薬までが握られていました。後に家人に言わせるとスーパーに買出しに
行った帰りみたいな量だったとのことです。でも、買い出し袋にいれられた薬は何の役にも立ちません、とにもかくにも、何をやっても痛みは消え去りません。

気が狂うほどです。

彼の家は俗に言う「2世帯住宅」なのですが、臥せる自分をみた母親がこうも言ったとか、

あの子の親を永くやってきたけれども、あの子が「痛い!」って云ったのをはじめて聞いた。小さいころ血がとまらない位の怪我をしても、学生時代運動部にいてどんなギブスのお世話に成ったときにも云わなかったのにね。

彼に言わせれば笑い話ではありません、それくらい本当に痛かったとのことです。とにかく発作が治まるまでは一人唸りながらも耐えるしかなかったようです。痛み止めも無いよりはましなのでしょうが気休め程度。
痛みは2~3日ほど続いて、その間は彼にとって地獄があるのならこの世界だろうと感じさせるほどの思いを垣間見せました。

痛みがひどくて意識が遠のいたり、逆に痛みで我に返ったり。
そんなことの繰り返しです。
左足は全体に普段の倍近い太さにまで腫上がり、一番の患部の膝にはさらに拳一つがくっついて居るようでした。
ホラー映画にある呪われたデキモノが現れたようだったとのことです。

彼は兎に角耐えました、ホラー映画のような痛みに耐え抜きました。
意識がもうろうとしたり、大声をあげて叫んだりしたり、伏せっているすぐそばの壁を痛みに耐えきれす叩いたりしながらも耐え抜きました。
痛みもどうにか我慢できるようになりやっと一安心と思っていた矢先、
その喜びも束の間であることがその後直ぐに発覚するのです。

左足の感覚も戻ってきたころ、今度は右足になんとなく嫌らしい鈍痛が。

そうです、今度は右足にも発作が出たのです!左足と同じ痛みが彼を襲ったのです、、、、、

二度目は左足で経験済みですので痛みだけではなく精神的な苦痛がプラスされた地獄が襲って来ました。もうお解かりいただけたと思います。
その後の数日間の彼の苦しみを・・・・

奥さんと、娘さんは初めてみる彼の狂ったような姿におびえたとのことです。そんな中でも奥さんは、彼を気遣い献身的な看病を夜、昼となく続けたそうです。その甲斐あってか下半身全体の感覚が戻り、立ち上がれるように成るまでに結局都合一週間を要しました。

地獄から解放され久しぶりに出社した朝、
周囲からは「鬼の霍乱!」と笑われました。
病気を理由に休んだことなど無かった彼でしたので、よっぽどの事であったのだろうと。おまけに「松葉杖」のお世話にまで成っていましたから。

一週間の地獄に耐えた彼は、やっと出社できるようにはなりましたが、
やはり精神的には参っていました。重圧ですね。
どうにか仕事はしていますが、腫れはまだ残っていますし、
動くのも侭にはなりません。痛みは鈍痛が続いています。
結局は、経口薬の痛み止めと、湿布薬。
動きによってはグキッとくる事もあるのでテーピングを施していました。
そして、万が一強烈な痛みに襲われた場合にと座薬も用意していました。

先にも述べさせて頂きましたが、肉体的な痛みもさることながら、
精神的な痛み?

あの痛みがまたいつ襲ってこないかとの、重圧に脅かされた日々が
続いていたのです。ほんのちょっとの変化にも「もしかしたら?又?」
普段の彼には到底似合わない言葉ですが必要以上にナイーブに成っていました。気休めとは思いつつもこのときに施していた湿布&テーピングは精神的にも、肉体的にも効果があったようです。

一か月もすると、鈍痛はもとより、腫れ、何よりも精神的な重圧からも
開放され「堅気!」の生活に戻れていました。
但し、服用しなければならない薬の種類には辟易としたとのことです。

症状が落ち着き、その後の血液検査の結果も正常な状態に戻りました。
もっともこれは彼自身も気をつけて生活もしていましたが、膨大にもらったあの薬の力によることが多分ですが。

いつまたあの痛みが。そんな精神的な重圧からも落ち着いてきたところで、医者からの改めてのアドバイスを受けました。
そのアドバイスを基にネットでもいろいろと調べたりもしました。
その結果。
食べ物、飲み物、全てにかなりの制限があることを知りました。
彼は正直「酒呑み」です。晩酌を欠かしたことはありません。
今の彼では本当は酒なんか呑んでいる場合じゃないのでしょうが
そこは「喉もと過ぎれば」です。

都合よく彼自身での解釈をしました。人間好きなことへの執着心はある意味鬼気迫るものがります。彼は、必死になって調べました。その結果、酒の中にも影響の軽いものから、問題のあるものがあることを知りました。
俗に云う「プリン体」の含有量ですね。
ところが問題の有る酒ほど彼の嗜好に合っていて手に負えません。
そして、食べ物に至っては晩酌の際の「酒菜」、三度、三度の食事の際の好物、ETC・・
色々なものに制限がありました。
これでは、なんだか「生きる望み」が失われていくようで。
彼の悩みの種は増えていったようです。

通風の症状も千差万別です。極く一般的に言われているのは、
「足の親指の付け根に炎症を起こし腫れ上がり、痛みを伴う」
これが定説ですね。しかしながら、彼の場合は膝に発症しました。
又、極まれにですが手の甲や、手の指にも炎症を伴うことがあるようです。

このように症状も個人々、千差万別であれば、人間のライフスタイルも千差万別です。病の最大の薬は「安静・無理をしないこと」です、そんな事は彼にもわかっています、でも時には多忙な仕事で無理をしなければ成らないこと、いや、日常生活では無理ばかりしているのかもしれません。

患者だって一日も早く快復したいと思っているはずです、痛みを知っている分医者よりもその思いは強いですね。医者のアドバイスと自分で調べた結果にすがり、対応し、薬を服用し日々戦っています。好きな酒や食生活にも気を付けています。

彼は営業職に席を置いています。職業柄「接待」が附いて回ります。
そんな席には「酒」は潤滑油という重要なツールになってくれます。
あの痛みを思えば痛飲して再度苦しみたくないとは解っていてもどうにもならないこともあります。
酒席で興に乗ったとき、「自分、痛風持ちなので」なんて言ったら一気に雰囲気が悪化する得意先さんだっていらっしゃるのです。そんな、つらい時もあるのです。

彼の最初の医者は、痛風改善のために「酒・食事・生活サイクル」全てが
俗に云う医学書通りの処方を患者自身で対応しなければ受け入れない人物でした。彼がいくら仕事の状況・立場を説明し、時には医学書?その医者の言うとおりの対応が出来ないこともあり彼自身も困っていることも相談しました。それでも彼の立場を受け入れてもらえない頑固者でした。

通風は一生の病気です。合併症をも引き起こす怖い病気です。
理解はしていますし普段は最大限に気を付けて生活をしていること、
でも時には、飲酒・食生活・静養にままならぬ時もあることなど、包み隠さず状況を報告し、相談をしましたがNGでした。受け入れてもらえません。

このような人物と信頼関係を築けるでしょうか?
永く付き合う病気だからこそ
お互いが信頼し合えないと病気の改善はできませんね。

教科書通りの対応であれば先生は要りません、彼の経験からでた言葉です。

彼をみていて、筆者が感じることは、我侭かも知れませんが、患者個人々のケースによりアドバイスをするのが医者では無いかとおもいます。
彼らだって商売のはずです、売り手、買い手の市場原理があるはずです。
医学をすべて商売とは申しませんが、信頼関係が構築されてこそ人間関係が始まると思っています。安心して任せられれば快復も早いと思うのですが如何ですか?

彼は我侭だと思いつつも「セカンドオピニオン」を求める意味でも
病院を変えてみました。もちろん世話になった主治医には他の病院へ
行くことはきちんと伝えカルテのコピーも出させました。
主治医は可也渋っていましたが、患者としての当然の権利を主張しました。

セカンドオピニオンを求めた医者の見立てには若干の差はありましたが、
通風ということに変わりはありません。当該の病院でも一通りの説明は頂きました。
彼は新しい医者に、自分の職種、生活サイクル等全てを伝え、
又酒、食べ物等に制限があることは熟知していて、極力守ってはいるが
時には守りきれない現状も正確に伝えました。

すると、新しい主治医の言葉は

「確かに、影響を及ぼす酒や、食材は控えるべくは確かですが、
ビールだって毎日1リットルも2リットルも呑まないでしょう。
レバーだって2キロも3キロも食べないでしょう。
要は、自分が通風患者だと云う事を忘れないことです。
最初はビールで乾杯しても2杯目からは薄めのウーロン杯にするとか、
気をつけることです。
人間は喉もと過ぎれば・・・・ですからね。薬だって服み忘れるはずです。でも自重することは忘れないで下さい」

彼自身は我侭と知りつつ求めたセカンドオピニオンでしたが、
今までの主治医とは真逆でした。
自分の現状を理解して下さる、そう思えたことにより新しい医者の彼に信頼が置けると確信しました。

彼は普段の生活では「摂生」を試みました。
飲酒量も減らし、食生活にも気をつけました。
宴席では無駄な抵抗とは思いつつもビールはやめて焼酎に変え、
自宅で摂る食事は奥さんの言う事を聞き、外食の際は油物を控え、
野菜を大目にする等、バランスにも気を配りました。
帰宅後は少しの時間でも静養できるよう早めに床に就くようにもしました。

食生活だけでは有りません、適度な運動をと、
今までは好きな登山やマラソンのにためにとなんとなくやっていた
早朝のジョギング、簡単なウエイトトレーニングを日課にするようにしました。学生時代を思い出し体に鞭を入れ直します。
モチロン、サボることもありましたが
「ささやかに、無理をせず、続けられる範囲」
という、自分への甘やかしの中でも試みを続けてゆきました。 
薬も服みました、三度の食事ごと、就寝前。
いろいろと服み合わせがありましたがきちんと守りました。
するとどうでしょう、多分に精神的要素が多いかもしれませんが以前より体も軽くなり、肌の張りも良くなってきました。

ささやかな注意を続けてみると、今までより体も軽く感じ、朝もすっきり起きられるようになりました。彼は、模範的な患者かもしれません。
毎月受けていた血液検査の数値も基準値に戻っています。
痛風に限らず、彼の年代では本来なら気を付けなければならない各種の成人病の影もありません。

もっとも彼だって、薬に助けられた数値であることはわかっていましたが、喉元過ぎれば熱さを忘れる。面倒くさいのと、色々と理由を付けて、
通院・投薬の期間が1ヶ月以上空くこともありました。

そんな「ヤク切れ?」の状態で久しぶりに受ける検査数値でも基準値以内であることがしばしばでした。そんな状態がある程度続くと・・・・

人間は弱いですね?彼が特別であるわけでもないのですが、
あの痛みを忘れたように再度の暴飲・暴食、ビールも揚げ物もガンガン!。トレーニングのサボタージュはもちろんのこと、通勤鞄にしっかりと忍ばせていた薬も忘れるようになりました。
「もう俺は大丈夫だ!自重すればいいんだ!」
まるで天使に囲まれ、神に魅入られた特別な存在であるかのように勝手な解釈をし始めるのです。
そう「悪魔」の存在はまるっきり忘れたように・・・・

食事・飲酒・運動・薬いろんなことにささやかに挑戦し、
彼は頑張り、ある時までは維持してきました。

もう俺はもう大丈夫だ!天使としっかりタッグを組んだんだ、悪魔さんとはおさらばしたんだ! のはずでしたが・・・・・
やはり悪魔は忍び寄っていました。悪女の深情け?彼は、悪魔に再度好かれていました。

調子に乗ってきた見返り?報復でしょうか、きっちりと再発です。
そして以前にもまして重症です。

傷みは以前より醜くく。
人間は勝手ですね、痛みさえも過去は美しいのでしょうか?
痛みだけでは有りません、発作も前回以上です。

「痛風」とはよく言ったものです。
「風が当たるだけでも痛い」
いや、彼の家人が心配し寝室を見舞うのですが
「その空気の動きだけでも痛い」のです。

経験者の方でしたら頷いていただけますね。

又、その時の発症箇所は点在しました。最初の発症は両膝でした。
前回は代わる々左右の膝に変移しましたが、今回は同時に発症。
又、その後に「お決まり」の親指の付け根も・・・・

当然、彼が寝床に押さえつけられた期間は永く、症状も悪化の一途を辿るものですから用便も侭ならず恥ずかしながら「オシメ」のお世話にも成る始末だったとの事。
「いやー、あなどってはだめだよ」彼の金言です。

 彼の最初の発作から10年の歳月が経ちました。
 現在は平穏にくらしています。
 でもこの10年感も相変わらずのようです。
 
時々は思い留まったり、猪突猛進=不摂生、忘れたり、
痛めつけられたりしているようです。

しかし、少しは前進しているようです。

あの発作が来そうなことがなんとなく解るように成っているとのこと。
「もうそろそろヤバイカナ?薬、薬!!摂生しよう!」とか。
仲間や、後輩なんかには飲み屋で通風講釈したり
「お前たちも危ないぞ、自重しろよ!」なんて偉そうな
助言もしばしばです。
小生もまた始まったと講釈を聞くちの一人です。 

現在の彼は痛風を、一生の病気と理解して仲良く付き合っています。
病院にもしっかり通い、血液検査も受けてます。
でも時々忘れることは隠せませんが、自重しているようです。

彼を見ていて思うのですが、 
「時限爆弾」はいつ爆発するかをあらかじめセットできますね。
でも通風という時限爆弾は「いつ爆発するかわかりません。

その時限爆弾を知らずに持っていて、時間が経てば経つほど、自分の体は老いてゆきます。
年齢を重ねてからの発症では症状も悪化するでしょうし、快復にも時間が必要になってきます。

ですから、小生は彼を反面教師として言を戒めて気を付けています。

 痛い思いは誰も代わってくれませんからね。

  





















  







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