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"言語の壁"は"信頼の壁"?

チェスターのレストランでキッチンポーターの仕事を始めて、早くも3か月が経とうとしています。

仕事にはすっかり慣れ、通常業務は一通りこなせるようにはなっているのですが、たまにシェフたちからイレギュラーな頼まれごとをすることがあります。

「何々を持って来てくれない?」

とか、

「どこどこを掃除しておいて」

とか、

「ちょっと、どれそれ運ぶの手伝って」

とか。etc.

イレギュラーな頼まれごとなので、やはり私はシェフたちが何を言っているのか聞き取れなかったり、調理器具や食材、レストランの設備に関する新しい英単語が登場すると「それ何?」となってしまうことが多々あります。

そんなことを約3か月も繰り返していると、一部のシェフたちは、私に頼みごとをするのを止めてしまいました。

私のほかに英語がわかる誰かがいると、みんなそっちにイレギュラーな仕事を頼んでいます。

信頼して仕事を任せてもらえない…

これが最近本当に、辛くて、悔しくて、たまらないのです。

もちろん、彼らの気持ちはものすごくわかります。

忙しい環境の中、言葉を理解できない人間に何度も同じことを繰り返して説明したり、相手が理解できていない単語をいちいち説明するのも面倒ですし、指示を正しく理解できず、余計なことをされたりしては返って仕事が増えてしまいます。

私も彼らの立場だったらきっと同じように接してしまうと思います。

でも私の立場からすると、

「あ、私は相手にしてもらえないんだな…」

と感じてしまうのです。


でもその一方で、私に仕事を投げ続けてくれるシェフたちもいます。

彼らは、私が何回聞き返しても、わからない単語についてたずねても、忙しい中時間をかけて、根気よく説明し続けてくれますし、仕事が暇な時間には、私に話しかけに来てもくれます。

(いつも奇声で意味もなく私の名前を連呼している)ヘッドシェフからは、先日「俺達にはお前が必要なんだ!」という熱い言葉もいただきました。


果たして、私が会社や組織で働いているとして、言葉のわからない相手に積極的に関わりに行くことが出来るか、さらには温かい(熱い)言葉をかけてあげることが出来るかどうかと言われたら、自信がありません。


そんな彼らがいるからこそ、私は退屈な仕事でも楽しく働くことが出来ていますし、何より自分が必要としてもらえること=自分の居場所があるということに小さな喜びを覚えます。


彼らに優しくしてもらったこと、言葉の通じない相手でも"信頼"してもらえたことは、今後の私の人生の中でも一つの忘れられない記憶になるでしょうし、私自身、彼らのようなとことん優しい人間にならなければいけないなと思います。


外国でマイノリティになってみて、はじめて感じることはいっぱいあります。


この経験は、将来日本に帰って、日本の社会で活躍する際に絶対活かさなければいけない、そして、少しでも日本や地元の社会をより良くするための力になれたらいいな。

そんな風に感じます。


それにしても、早く一人前に英語を操れるようになりたいです…。



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