見出し画像

【香川県のワニ信仰】高松市屋島の鵜羽神社近くの 八坂神社訪問! 御祭神: スサノオノミコト (出雲系国津神、大国主命の先祖? 徐福? 饒速日? インド神話のインドラ神の化身 牛頭天王?)

🟣八坂神社

画像1

訪問日: 2022/6/1

住所: 香川県高松市屋島西1331

祭神: 建速須佐之男命 (スサノオノミコト)


●高松駅から来られる方は、高松駅近くのコトデン築港駅→瓦町駅で乗り換え→志度線潟元駅→潟元駅から徒歩11分

画像12


●八坂神社から塩竃神社 徒歩9分

画像13


●塩竃神社から鵜羽神社 徒歩23分

画像14



●八坂神社は、屋島半島の西側付け根の辺り、屋島小学校の西200m程の住宅地の中に鎮座。境内、拝殿は比較的最近、建てられたようで整備されさっぱりしている。境内はわりと広い。


●境内由緒書


🔷🔷🔷🔷🔷🔷🔷🔷

屋島西町が昔西潟元村と言われていた頃は、讃岐国山田郡喜多郷に属していた村人は、木太村の郷社八坂神社の氏子であった。

この八坂神社については、「全讃史」によると次のような伝説がある。
承平六年(937)八月、海から甕を乗せた浮き筏が流れ漂って入江の里(木太の古宮)にやってきた。村人はあやしんでお上に報告したが、その夜、村人の夢に鬼のような頭に角が生えたものが現れて、「あなた達が私を祀ることができるなら、あらゆる病気は治り、その上長生きもできるであろう」と言った。翌日村人が集まってその夢を話合ったが、皆同じようなことを言った。そこで相談して祠を建て、浮き筏が着いた日を祭日とした。それが現れた地を影向塚と言い今もなお田の中に残っている。この時村人が建てたのか、牛頭天王祠でこれを後の人は八坂神社と呼ぶようになった。


又、牛頭天王は祇園精舎の守り神で、日本に来て速須佐男命に生まれ代わったとも言われている。
西潟元村の氏子が、氏神である木太村の八坂神社に行くには、春日川・新川という二つの大川があって、出水のためしばしば参詣できないことがあった。村人は相談して、其の御分霊を西潟元村浜畠のこの地に奉じ、当社を創建したのが屋島の八坂神社の起源である。


なお、当社は木太村より勧請以来明治維新までは、「天王はん」と呼ばれ村人に崇められていたが、明治二年3月社号が八坂神社と改められ、明治四十年十月二十四日神饌幣帛供進神社に指定されている。

🔷🔷🔷🔷🔷🔷🔷🔷


●スサノオノミコト

記・紀神話などにみえる神。
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)と伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子。

画像15

父神から追放され、高天原(たかまがはら)に姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)をたずね乱行をかさねたので、姉はいかって天岩戸(あまのいわと)にかくれたとつたえる。

のち出雲(いずもの)国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、すくった奇稲田姫(くしいなだひめ)と結婚し出雲の祖神となる。「古事記」では須佐之男命とかく。


【格言など】八雲立つ出雲八重垣妻籠(ご)みに八重垣作るその八重垣を(「古事記」)



●鳥居

画像2


●境内

画像3


●拝殿

画像4


●由緒

画像5


画像6


画像7


●本殿

画像8


●忠魂碑

画像9


●地神社

画像10


●境内にある牛の像。ヒンドゥー教の聖なる動物。


画像17


●牛頭天王(ごずてんのう)は、インド神話のインドラ神の化身。牛頭天王は、スサノオの本来の姿と言われる。

スサノオは、大国主命の先祖なのか? スサノオは中国の秦の時代(紀元前)にやって来たホアカリ(徐福、饒速日)なのか?

スサノオと大国主命の関係については更なる調査必要。


●牛頭天王を祀る京都の八坂神社は、もともと祇園神社という名前だったが、明治時代の神仏分離令によって八坂神社と名前が改められた。祇園という名前の由来は、インドにある祇園精舎という寺院で、釈迦はここで説法を行っていた。


●インドラ神の化身とされる牛頭天王

画像16


インドのヒンドゥー教は多神教で、三神一体を近世の教義としている。三神とは、ブラフマー(創造神)、ヴィシュヌ(維持神)、シヴァ(破壊神)。

シヴァはナンディンと呼ばれる乳白色(にゅうはくしょく)の牡牛(おうし)を乗り物にしている。そのため牛は聖なる動物とされる。


●シヴァ神と聖牛ナンディン

画像17



高松市屋島の八坂神社訪問記詳細




以上


#八坂神社 #スサノオノミコト #塩竃神社 #鵜羽神社 #出雲 #トリリンガル香川県PRオフィサー森啓成 #トリリンガル香川県PRオフィサー #森啓成 #もりよしなり #bizconsul #bizconsuloffice  #牛頭大王



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?