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one day photo_19

CO-CO PHOTO SALONさんで開催していた清水哲朗さんの写真展「轍」を先日見てきました。ルールは乗り物で物語は生まれてから死ぬまでと時の流れっていう感じで構成されていて、展示がとても親切なうえに「え、これ何?何?」って聞きたくなるような好奇心をくすぐる作品が多くてとても楽しっかったのです。
寄り添ってくれるような展示はやっぱり楽しい。その前に見た残像ももちろん楽しかったけども。

今週はアーティゾン美術館で開催中の柴田敏雄と鈴木理策のジャムセッションを見に行きたかったのです。どちらも風景写真を楽しむうえで理解したほうがより楽しい作家と思うのではよ見たい。あれ、セザンヌを通してっていうのが凄い。
鈴木さんは写真集見たときに大判でボケた写真撮っててなんじゃこりゃ?という感じだったんだけど、印象派が求めたのと同じく自然科学的なものの見方というか、レンズ的な見た目を再現するみたいなものなんだなと色々見るうちに解釈。見たままに写したいは見たままに描きたいと通じるところがある、早く見たい。

と書いてて思ったけど、フィルムって自然科学で世界を見る方法としては自然と地続きの感じが強いよね。反射した光を捉えてそれを化学反応で浮かび上がらせるその行為との比較でデジタルを考えたとき、デジタルはまさしく虚像というか、コピーですらないのではないかとも思っちゃう。
最近デジタル写真をL判で1000枚以上出力し続けていて、「この紙にインクが吹き付けられてできた絵」って何なんだろうとよく思う。
センサーが記録した情報、モニターで見る絵、現像してからプリンターから( ゚д゚)、ペッと吐き出される絵、なんか自然科学的な反応でその時の情報を掘り出そうとするアナログに比べると何かないような?
デジタル写真ってスワンプマンみたいだなって思った。

こういうことを考えると登山していてもフィルム使ったほうがいいのかなぁと考えることが最近多し。でもこういうのは中二病の走りなんだと思う、ちょっと美術を勉強して写真の枠の中の話ですか、枠の話ですか、情報の話ですかみたいなところを考えてみたいだけな時期なんだと考えていたら、風邪をひいてしまった。登山始めてから風邪とは縁が遠い7年間だったのに……とほほ。

忙しいのでたまーにしか撮影いけなくなったけど、夏の間は「Uncommon Places」な気持ちで歩こうと思います。35㎜と40㎜、40㎜はあれ、プラウベルマキナなんだこれはと思い込んで撮ると楽しい。


登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。