【短編】湖の女神?
湖に現れたのは
ここはとある村の近くの林にある湖。
兄・イグス(十九歳)と、妹・エレシア(十七歳)の兄妹はこの湖近辺の草むらをかき分け、何かを探しています。
というのも、昨日山菜取りに来た時、エレシアが大事な髪飾りを落としたからなのです。
二人の住む村では不思議な言い伝えがいくつもある。その一つに、あの有名な童話『金の斧銀の斧』に似た伝承です。
内容はほぼほぼ同じで、鉄の斧を落とした際、二択ではないが、現れた女神の質問に答え善良な者だと判断された際、質の良い斧か売ると金になる斧に変えてもらえる。
言い伝えは所詮言い伝え。
誰もそんな伝説を真に受けておらず、子供に訊かせるおとぎ話程度にしか扱っていませんでした。
しかし数年前、イグスとエレシアが幼少時、女神の恩恵を受けて斧を新品の物と交換してもらったという者が現れました。
それから暫くの間、湖は崇められる事となり、供え物や小さな祠が建てられたのです。
神聖な扱いを受けた当初は参拝者が多かったものの、年数が経つごとに参拝者が特別な日でなければ訪れなかったり、過去の奇跡は実のところでっち上げの作り話だという噂が広まり、湖の信仰心は薄れていきました。
今では祠も手入れがされず風雨にさらされ、随所にひび割れや塗装の剥がれが目立つ有り様。
イグスとエレシアは僅かながらその奇跡を期待してはいるが、今はそれどころではありません。
エレシアの無くした髪飾りは、彼女が仕事の初任給で買った大事なモノなのです。完全になくしたとなれば、彼女の心の負担があまりにも大きい。
気づかったイグスは妹の為、探す手伝いをしているのです。
この兄妹、イグスはエレシアの事を大事に思う反面、彼女が時折吐く暴言が他人を傷つけまいか心配しています。
一方のエレシアはイグスが好きで……。いや、好きすぎる程の困った面が御座います。
さて、二人は無事に髪飾りを見つけるのでしょうか。そして、運良く女神様に会えるのでしょうか。
◇◇◇◇◇
「エレシア、見つかったか?」
「いいえ。きっとこの辺にあるはずなんだけど」
そう言い合って探している最中、突然湖が光りだした。
唐突な出来事に、二人は湖に視線を向け、言葉を失った。
伝承どおりなら、柔らかな陽光の様な光が湖から発せられ湖の中央から泡が吹き、静かに純白の衣服を纏った女神がゆっくり昇って現れる。
しかし、湖の状況は違った。
湖は全体が青と紫の光が混じって揺らめき、中央から白い霧の様な煙が溢れ、湖を覆いそうであったが、風の流れにより三分の二が覆えなかった。
「すごいわ兄さん。私達、奇跡の体験者になるみたい!」
まだ何も出てきていないが、そうなるであろうとエレシアは予見した。冷静な彼女の姿にイグスは感服したが、言葉に反し表情の変化がなく、そこが微妙に恐怖心を煽った。
やがて、湖の中央から『それ』は現れた。
女神であれば、どんな頭か色々想像できるが、大まかには髪の毛ふさふさの頭。土地柄から髪色も地元住民の一般的な髪色・黄土色というのがこの地方の昔話では通例である。
もし、髪飾りや冠、法衣姿なら頭巾をかぶっており、伝承通りの白色衣装なら当然頭巾も白色に違いない。
それぐらいの想像を膨らませ、いよいよ姿を現す『それ』を眺めた。
しかし現れた『それ』の姿を見て、二人は無表情のまま絶句し、呆然と眺めた。
頭の部分は頭巾であり、色は古びた赤銅色。そして見えた途端、余韻も情緒もなく一瞬にして『それ』の姿が現れた。
「……え?」
イグスは突然の事で思考が上手く働かない。そして、『それ』の姿を認識すると、恐怖のあまり逃げようとした。
すると、『それ』が持っていたモノ。その弧を描いた刃が首に回り、無言で動くなと指示する威圧感に包まれた。
「あ、待って下さい」
丁寧に制止した『それ』は、赤銅色の古ぼけた法衣姿の、法衣から覗かせているからだ部分が骸骨の、まさしく【死神】であった。
言いにくい仕事
「驚きです。まさか女神様が死神に職を変えていただなんて」
「エレシア違うよ。女神様は死神様になったりしないから。ってか、死神様を前にして"様"無しはいけないよ」
湖の傍の、腰かけて話すのに適した場所で、三人、いや、二人と一柱は向かい合って腰掛けた。意外と死神も正座をするのだとエレシアは思った。
「いやぁ、驚かせて申し訳ない」
イグスは恐れながら訊いた。「あの、女神様はどうしたのですか?」
「ああ、結構前からどこかに行ったなぁ」
二人は驚き、詳細を求めた。
「君たちは知ってると思うが、一度ここで女神が力を使ったのは知ってるだろ?」
「ええ」イグスが答えた。「一度というか、その前にやって頂いたみたいで、十数年前以前は童話程度の伝説にはなってましたので、正確な回数は……」
「ああ、その一度がまずかったんだよ」
「どうかしたんですか?」
「恐らく君たちの伝説は、金と銀、二本の斧を出す女神の話だろ?」二人は頷いた。「ここにいた女神はそれを実践したんだけど、斧の時間を戻すのが限界で、自分の力不足を痛感して修行の旅に行ったままなんだ」
修行、力不足。あの子供向けのほのぼので、嘘つき者は痛い目を見る話しの裏に、そんな出来事があるなど考えも及ばなかった。
エレシアが手を前まで上げ、死神が「はいどうぞ」と言った。
「神様側って、修行どうこうで金や銀を錬金出来るんですか?」
平然と訊く様に、イグスは肝が冷え、息がつまる思いであった。そんな兄の心中を他所に、話は続けられた。
「ああ無理無理。女神も死神もそうだが、神側は君らから見たらなんでも出来る用に見えて実は規制が厳しいんだよ」
「規制とか、ってあるんですね……」イグスが返した。
「まあ、全てを説明するのは大変だから、今回の件に関して言えば、金銀銅、更には宝石など高価なものをむやみやたら出現させたり人間に贈与しては駄目だ」
理由をイグスが訊くと、死神は楽しそうに『考えてみろ』と返してきた。
一方、真剣に考えているエレシアは、ある結論を導き出した。
「社会の摂理を崩すって事ですか?」
「どういう事だ? エレシア」
「例えば、私達が死神から金の斧を贈与されて、喜んで持ちかえったとするでしょ? 当然、父さん達は喜んで、またもこの湖は信仰の対象となる。まあそれは置いといて、純金の斧を貰った私達はそれを換金しにいって大金を手に入れるけど、奇跡の力で出来た金が世の中に回ると金の株価が変動し、さらに金に目が眩んだクソ野郎どもが金を手に入れた方法を聞きに来るし、近所の優しかったおじさんおばさん達も下衆野郎、外道になり下がってしまう」
これまた平然と暴言を吐く妹の姿に、恐怖を覚えた。尚、死神はなぜか頷いて聞いている。
「その通り。大金を奇跡で作り人間の世に流そうものなら、その価値と同等かそれ以上の悪辣な仕打ちが待ち構えている。そうなれば、ブームのようなものだが、人々は長い間奇跡に縋る時期を迎える。邪な信仰心はどの神の糧にもならず、弱ってしまうからな」
それで金の斧が出来ない事を知り、二人は納得したが、ではなぜ、死神がこの湖に居るのかが気になった。
「あの……どうして死神様がこの湖に? あと、どうして僕たちの前に現れて下さったのですか?」
死神は言いにくそうな様子を滲ませた。
「それ程言いにくい事でしょうか?」
「ああ……ええ。死神界隈では、少々言いずらく……」
何をそれ程躊躇うかを謎に思ったエレシアは、変わらず平然とした表情で訊いた。
「それ程怯える必要は無いのでは? 私とお兄様は極々一般の人間です。貴方は死神であれ、神じゃないですか。私達が暴言を吐き、癪に触ったのならその鎌で首をはねて殺せば済む事ですし」
妹のとんでもない発言にイグスは恐ろしく思い、エレシアはそんな兄の心配を他所に話を続けた。
「最悪、心配なら呪いの一つでも私達にかけ、秘密を話した時点で死なせればいいじゃないですか? 死神なのですから」
「エレシア落ち着こう」イグスは必至である。「無理に死神様の実力を発揮させる言葉を発しては駄目だ! 慎む事は大事だぞ!」
平静なエレシア。
必死のイグス。
二人を見て死神は豪快に笑った。
「ははははは――……。先ほどから気の強いお嬢さんだ。まあ、秘密にしてほしい事もあるけど、……まあ、君たちになら話してもいいかな」
二人は真剣に聞く姿勢をとった。
「さっきお嬢さんが言ったような、死神がむやみやたらに人を殺してはならないのだ」
「え、そうなんですか?」訊いたのはイグスである。
「人だけではない、動物も魚も、生を受けている者を死神個人の独断で殺してはならないのだ」
「へぇ、事あるごとにそういった鎌でばっさばっさと斬り殺してると思ってました。神話を描いた小説とか、死神が登場する童話の裏話とか、そういう表現ばかりですよ」
エレシアの一言一言の発言に、イグスの冷や汗は止まらない。
「人間が描く死神は、結構前の死神の先祖がやんちゃした結果だろうけど、最近はこれまた規制があるから。それにこの鎌は人の命を刈るものではないよ」
「では、その鎌の役割は?」
「一応、ボロボロの法衣と鎌が死神の基本形態だから。死神業で現世に行くときはこの格好でなくちゃならない。ほら、これ脱いだら私はただの骨だろ?」
そういってフードを取り、骸骨顔と胸部の骨まで見せた。
エレシアはたいして動揺していないが、イグスは恐怖で抵抗があった。
「現世では死神として現れるが、あの世では死者を誘導したり、罰を与える手伝いや環境整備などが主な仕事内容です」
あまりに人間染みた内容に、二人はどう驚いていいのか戸惑った。
「で、では、死神様が、今現世に出て来た理由ってのは何ですか?」
「一応、現世で命絶えそうな人の寿命の記帳、犯罪者の名前記載とランク付け、あと、突然死した者の臨時対応など。恥ずかしいだろ? なんか期待壊しそうで言いずらくて」
照れているが、何をどう恥ずかしがるのか、二人はさらに戸惑い、エレシアに至っては拍子抜けしていた。
イグスも多少なりとも死神関連の小説や宗教本を閲覧している為、死神に関し気になる事があった。
「では、一部の生者と契約する事で、何かしらの力と枷を与えるのではないのですか?」
「そういったのは担当があって、ワシはそこまで専門的な資格を持ってないのだ」
「資格とかあるんですね……。じゃあ、簡単な契約とかも無理って事ですか?」
「出来る事が限られるなぁ。日数限定契約で相手を呪って苦しめたりとか、不幸を続けるとか。けどこれも規制が掛かって、相手や契約者の命が失う危機に瀕した際、即時終了。終了後に死んだ場合、死神としての厳罰対象としてランクが一気に落とされる。這い上がるまで苦労するんだよ」
エレシアは相槌をうった。
「それは残念ですね。死神冥利に尽きないじゃないですか」
「お嬢さん、もしかして不幸にしたい人がいるのかな?」
ふざけて訊いたつもりが、エレシアは神妙な顔つきで視線を落として考え、その様子にイグスと死神は焦りを露わにした。
「……ないと言えば嘘になりますね」
「それ、いるってことだね、エレシア」
イグスの言葉に返答はないが、彼女の様子から、いる。と答えている印象を受けた。
一応、建前を尊重したのか名前は上げられなかった。
「そんな事より、さっき呪った相手と契約者が死んだ場合と仰ってましたが、どうして契約者が死ぬようなことが?」
「ワシの様な専門でない死神と契約すると、契約の代償を支払わなくてはならない。ああ、ちなみに専門死神との契約時、契約者は一生かけて課せられる呪いが強制的に付加されるから気をつけてくれよ」
一生かけてやりません。と、イグスは心底思った。
「ワシの様な奴と契約した者が支払う代償は、その者にとって大切な者との縁。まあ、何らかの理由で離れたりする、運命変換や縁断ちなどだよ」
機転の利くエレシアは、必死な表情でイグスに抱き着いた。
「いや! 私、兄様と離れるなんて嫌よ!!」
その行動を見て、エレシアの大切な者が誰かが判明した。
「ははは安心したまえお嬢さん。何も無理に契約をしようとはせんし、ワシも危ない橋を渡る気は無いから、せがまれても契約はせんよ」
安堵し、落ち着いたエレシアはイグスから離れた。
選択とお礼と後日談
くだらない話をしている最中、イグスは本題を思い出した。
「あの死神様、話がすごく変わるのですが、ここに髪飾りが落ちてませんでしたでしょうか。エレシアが大切にしている物なんです」
ああ、それなら。と言いながら、死神はローブの内ポケットから何かを取り出した。
「ここは伝承っぽく振る舞わせてくれよ」
死神は楽しそうに立ちあがり、真剣な面持ちで両手に二種類の髪飾りを持った。
「其方達が落としたのは、こっちの【悪夢の髪飾り】かい? それとも、こっちの【呪いの髪飾り】かい?」
有難みが欠片も感じられない選択肢に、イグスは即答で両方違いますと答えた。
一方で口元を手で押さえ、真剣に悩んでいるエレシアの意見を死神は求めた。
「エ、エレシア? どうしてそんなに悩んでいるんだい?」
「お兄さん、これは千載一遇のチャンスよ。何の効果も無いただの髪飾りより、こういった特殊効果があるであろう髪飾りの方が、後々喜ばしい結果を齎(もたら)してくれます」
「齎さない齎さない! 持ってるだけでこっちが苦労するだけだから!」死神の方を向いた。「どっちも違うし、どっちもいりません! ただの髪飾りを返してください!」
死神は拍子抜けし、同じ内ポケットからエレシアが落とした髪飾りを取り出して渡した。
「一応訊くが正直な君たちへ、この二つの髪飾りも――」
「いえ! 全然必要ありませんので!」
必死に拒むイグスの傍らで渋るエレシアに向かって「いらない!」と念押して、悍(おぞ)ましい髪飾りを拒んだ。
要件が済んだ死神は、鎌を持ち上げた。
「さて、楽しい時間を過ごさせてもらった。これからワシは仕事に戻るが、君たちへのせめてものお礼として良い事を教えてやろう」
イグスは望んだ。危険が及ばない事を。
エレシアは心底望んだ。死神らしい特殊な言葉を。
「もし嫌な事が続いたら、この湖に来て硬貨を一枚投げて厄が祓われますようにと祈るといい。一応、女神の湖だから、厄除けの御利益はあるからな」
なんとも有難い教えにイグスは喜んだものの、エレシアは素っ気ない表情でお礼だけを述べた。
そして死神は去っていき、二人は何事も無かったかの様ないつも通りの泉を見ると、今の出来事が嘘の様な不思議な感覚に陥った。
しかし、髪飾りはエレシアの手元にある。それは死神がいた証拠でもある。
そう二人は思い、帰路についた。
以降、この泉で女神を探す者はいなかったが、曖昧だった泉の言い伝えをイグスとエレシアがそれとなく嘘を交えた。
死神の教え通りの言い伝えに変え、自分達の実践を用いる事により徐々に参拝客を増やしていった。
◇◇◇◇◇
五年後、泉の傍に修行から戻った女神と死神が湖の傍らの岩に腰かけ、満月を眺めていた。
「しかし凄いですね死神様。どうやって湖の信仰を取り戻したんですか?」
「ああ、色々と口八丁で。まあ大変だったよ、まさか湖の信仰を取り戻してほしいって依頼を先輩が受けて、無理だからって匙投げてこっちに振られたんだから」
女神は両膝を揃え、両手を膝に乗せ、畏まって頭を下げた。
「誠に有難うございます」
「で、修行の方はどうだったんだ?」
聞くまでも無かった。
女神がやろうとした修行は成果を得るものでなく、やっていること自体を上級女神に咎められ、暫く傷心を癒すための一人旅に出ていたらしい。
「まあいいじゃないか。信仰も戻り満月も綺麗だから。今はこの一時を堪能しようではないか」
「そうですね」
静かな、雲一つない満月の夜、月光は湖の水面と点在して沈む銀貨を輝かした。
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