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【長編】奇しき世界・十話 二月の再生(前編)

1 語り・巽


 アナザーの事はレンギョウに聞いてるだろ。お前達人間にも分かりやすく例えるなら『ドッペルゲンガー』が近いかもしれないな。
 都市伝説では、自分と同じ容姿の人間を前にすると不幸が続いたり死を迎えるとされるが、アナザーは同一の容姿ではない。同じなのは性別のみだ、後は全く違う赤の他人同然の存在だ。

 アナザー自体、何か特別な害を与えはしない。出会ったところで何をするでもなく、出会わないという事も当然ある。
 では、『なぜアナザーを意識していかなければ?』か? そう言いたそうな顔だな。

 アナザーが出現すれば、本体となる人間の運が良ければ双方に小さな幸運が舞い込み続ける。反して、不幸も人一倍だ。
 また、アナザーが出現しているのに特別変わった変化が無く、平々凡々に人生を歩むという事は、本体がアナザーを残して死ぬ前兆だ。

 アナザーはこの世に生きようと、人間の体と存在感を得た奇跡だ。そこに魂や生気などを取り入れようとする意志が無意識に働いてしまい、本体からそれらを奪う。

 アナザーも言い換えるなら『半人間』だ。つまり、人間として生きている。そんな奇跡が本体から魂を引き込んでまで生きようとするには、それ相応の強い思いを本体の人生で投影されているのかもしれない。
 どちらも死なず、共生できる方法は未だに見つかっていない。まあそうだろ、つい最近はっきりと存在が分かった奇跡だからな。

 とはいえ、もしアナザーと遭遇した場合の方法はちゃんとある。お前はただ単にリバースライターで書き換えて消せばそれでいい。
 対処方法だけを取り上げるなら、お前は運がいい。ただ力を使えばいいだけだからな。

 ん? アナザーを消したら本体はどうなるか? ああ、そこは重要だな。
 アナザーを消した場合、本体の記憶も書き換わる。現状、その記憶がどのように書き換わるかは分からない。
 参考になるかは分からんが、レンギョウの受け持った件を例に上げれば、アナザー出現時から消えるまで、その間の記憶が消える。全記憶ではなく凡そ半分程と思われる。
 他のアナザーの例では、一部の記憶が消えたり、記憶が混ざるといった例もある。

 もし、アナザー関連の事件に遭遇した際、共生する方法を考察するのもいいが、状況を見誤ると本体が死ぬ末路を迎える。それだけは気を付けておくといい。

 とまあ、一方的に忠告ばかりだが、今のお前はそれどころではないだろ。この前の進化時を経て、時間や成長など、色々と狂いが生じてると聞いたぞ。

 その様子だと支障はないようだな。お前も人間だからそれなりに修正の流れに馴染んでいるという訳か。
 いや。生活に支障が無いなら今の言葉は忘れてくれ。お前の力も健在なままだから、奇跡関連の仕事も熟せるだろ。

 未だ修正の流れが終わっておらん。何かあったらまた来るといい。

2 奇跡の芽


 巽から進化時の変化についての話を終えた斐斗は、応接室で岡部と話していた。
 二人の席には紅茶の入ったカップがそれぞれ置かれている。斐斗が淹れた紅茶だが、こういった趣味も進化時の変化で身についたものなのかと、ふと考えながら淹れた紅茶である。

「まったく意味が分かりませんよ。一体何が変わって、不具合とかあるのかとか」
「難儀だな。お前、巽の呪いでもかかってるんじゃないのか? 事あるごとにあいつと会ってるだろ。もう、体中の毒が取り返しのつかないとこまで来てるぞ」

 岡部の巽嫌いは斐斗の記憶にもある。

「岡部さん、実は巽さんと仲良かったりとか」
「無い!」
 声を大きく否定された。
「断じてない! 奇跡の進化時だろうが何だろうが、この思いだけは変えられんぞ! あの毒蛇とワシの相性は最悪なんだ!」
 岡部の興奮具合から、冗談でも言ってはいけないものが一つ増えたのは容易に想像がつく。

「俺は静奇界と接点があるからとはいえ、人間だから進化時の影響が少しあるけど、岡部さんは純粋に静奇界の住人ですよね。違いが何か分からないんですか?」
 岡部はぬるくなった残りの紅茶を一気に飲み干した。
「ああ~。ワシがどれだけ力の弱い下っ端か知らんのか? んなもん、しっかりがっつり影響受けちまってるに決まってるだろ」

 自慢気に堂々と胸を張って言うが、威張れる内容ではない。

 レンギョウから得た情報は五つある。

1 月日や時間のズレが生じている。
2 今まであった奇跡の形が変わっているものが多い。
3 スズリは大して変わっていない。しかし、レンギョウからは見つける事が出来ない。
4 斐斗の身内も奇跡が変わっているが、本質が不明な者ばかり。
5 アナザーが身近にいる。現在捜索中で誰かは不明。

「お前の身内で力使える奴って、叶斗だけだろ」
「俺のリバースライターと叶斗のヘブンぐらいしか。他に奇跡絡みの事は無いし。あったとして、まだ本質不明なものがチラホラあるぐらいで」

 広沢美野里、双子の真鳳、凰太郎の奇跡。
 耀一の書き換えられた奇跡。
 叶斗の妻・光希の人体透明化の奇跡。
 斐斗の恋人・陽葵の奇跡不干渉体質。

 全員の進化時以前からあった奇跡は完全に消えているが、何か別の奇跡が燻っている。
『奇跡の芽』
 進化時を経た世界で生まれた言葉である。

 奇跡の芽を宿した者は、力が開花することなく消える場合もあれば、ある日突然、何かの力を得たりする場合もある。
 静奇界の情報で分かっている事は、その芽が成長しても斐斗のリバースライターで詰むのが可能という事。

 現在、何も手を打たないのは、つい先日再会したスズリの言葉が関係している。

 スズリは、新しい世界で変化と成長を繰り返す奇跡の流れを無理やり変えようとすると、歪な進化を引き起こしてしまい、ルールを司る奇跡よりも面倒で悪質な奇跡に変化する危険があると告げた。

 岡部との話中、部屋の扉が開き、一人の少年が入って来た。

「斐斗兄ちゃん、宿題教えてぇ」
 年齢十歳の広沢凰太郎が算数の教科書を持って入って来た。
「今仕事中だ。仕事の時は入ってくるなって言ってるだろ。それに、宿題なら耀一に訊けばいいだろ」
「耀一兄ちゃん、夏澄姉ちゃんに呼ばれて出てった。斐斗兄ちゃんに教えてもらえって」

 斐斗は溜息を吐いて、時計を見た。

「あー、じゃあ、あと二十分したら行くから。それまで自分で考えてろ」
 凰太郎は「分かったぁ」と言って部屋を出て行った。

「おかしなもんだな」
 岡部は凰太郎を見て呟く。
「レンギョウの話じゃ、進化時前の凰太郎と真鳳ちゃんは五歳っていうじゃねぇか。たった一日で五年分もの月日がすっ飛んじまってる計算だぞ」
 斐斗は紅茶を一口飲む。
「考えられませんね。保育園に小学校、チビ達の世話で苦労した記憶も、感覚も残っているのに、それが進化時の影響だって言われてもしっくりきませんよ。それに、当時が二〇二〇年とか。近すぎる近未来を言われてもって思います」
「でもまぁ、知ってる奴は皆まで語らんし、ワシらはワシらなりに覚えてる事や経験してる記憶を信じて生きて行きゃいいだけだろ。害があるってわけでもねぇんだし」

 話の区切りとばかりに紅茶を飲もうとするも、もう空っぽであると気付きカップを戻した。

「そんじゃ、向こうから引き受けた仕事の話をしようか」

 これからも、同じように斐斗は静奇界の仕事を受け持って生活するのだと思っている。
 変わらない関係、変わらないひと時。

『進化時より以前の、取り残された運命の選択は、すぐ貴方の前に突き出されるわ』

 スズリの言葉が思い出されると、何か重要な事を忘れている気がしてならなかった。

3 二つの忠告


 進化時を終えて数日後の事。

 斐斗は突然スズリの声に呼ばれ、家を出ると途端にどこかの崖へと訪れた。その場所は、ルールを司る奇跡のゲーム開始時、斐斗が飛ばされた場所であった。

「久しぶりね、千堂斐斗君」
 相変わらず、品位ある女性の容姿、態勢を築いている。
「お前、こんな事出来たのか?」
「まさか。ルールを司る奇跡の力が少し私に流れたからかもしれないし、進化時の影響で得たとも言えるわね。私の知る由の無い話よ。どちらにせよ、こういった力が使えるようになった事は確かね」

「進化時以前の事も覚えているのか?」
「ええ。記憶に関しては寸分の狂いもないわ。とはいえ、何がどう変わったかを教える事は出来ないけどね」

 斐斗が理由を求めるも、”教える人物に対して運命の試練とならないから教える事が出来ない”と返された。
 どのような力を得て、稀少な変化を経たとて、『運命の決まり』は揺るぎなく頑なであった。

「それで、俺に会いに来た理由は何だ?」
「あら寂しい事を言うのね。共に苦難を乗り越えた間柄なのに、こうやって再会しても宜しいのではなくて?」

 どこか、レンギョウに似た印象を受けた。これも進化時の影響かと考えるも、すぐに無駄だと察した。
 どちらにせよ、正解は分からず、スズリも有耶無耶にするだろうから。

「一応暇じゃないし俺にも恋人がいる。浮気めいた事をしたくはない」
「あらあら、お熱い事ね。……まあいいわ、今回は貴方に話があって連れてきたのよ」
「まさか、ルールを司る奇跡に関係する事か?」

 スズリは頭を左右に振った。

「彼は大きな流れによって贄となり、新たな形を得たかもしれないわね。けど、もうああいった事は起きないはずよ。そうではなくて、二つ忠告しなければならないの」
「二つ?」
「ええ。今、貴方達が奇跡の芽と呼んでいる奇跡があるのはご存じよね」

 奇跡の芽は前々から知っている事だが、レンギョウからは進化時の影響によるものと教えられている。

「貴方のリバースライターなら、容易にその芽を摘むことも、書き換えて新しい奇跡に形作る事も可能かもしれない。けどね、新しい世界で変化と成長を繰り返す奇跡の流れを無理やり変えると、歪な進化を引き起こしてしまい、ルールを司る奇跡よりも面倒で悪質な奇跡に変化する危険が生まれるわ」
「つまり、何があってもリバースライターを使うなという事か?」
「さあ、私が話せるという事は、運命の試練が生じている証拠。今の忠告が、貴方の力の使い所を選ぶでしょうね」

 斐斗は頭を掻いた。

「やっぱり試練か。だが、今の忠告は肝に銘じておこう、奇跡の芽を摘むのにも重い責任を負うという事が分かった」
 斐斗の理解を聞き、スズリは温和な表情になった。

「二つ目はなんだ?」
「アナザー。貴方達がそのように呼んでいる存在について」
「その口ぶりでは、本当の呼び名とかあるのか?」
「いいえ。あったとしても、『進化した新しい奇跡』が妥当でしょうね。長い名前でもいいならそうするけど」

 斐斗は即座に拒んだ。

「進化時以前から起きていたアナザーだけど、貴方の身のまわりでそれが残ったまま今に至っているわ。アナザーを放っておいたらどうなるかは聞いてるかしら?」

 一つは極端な幸福と不幸を繰り返して共生する。
 もう一つは、アナザーが残り、本体が死ぬ。

「どうするかは貴方の判断に任せるしかないわね。けど貴方の身近にいるアナザーは確実に後者の奇跡よ。だから、本体は確実に死んでしまう」
 まるで斐斗の動揺に呼応しているかのように、強めの風が吹いた。
「……アナザーについて、他に知ってる事はあるか?」

 少しでも、解決の足しになる情報を求めるも、残念とばかりにスズリは頭を左右に振った。

「これは運命の試練ではなく、本当に知らないだけよ。万能な奇跡なら知り得てるのでしょうけど、新しい奇跡の情報はこれからコツコツと知っていくしかないみたいね」
 話を終えたとばかりに、周囲の輪郭が歪みだした。

「じゃあね千堂斐斗君。また縁があればどこかでお会いしましょう」

 告げると、一瞬にして千堂家の正門前へ戻った。

4 正体


 スズリと再会を果たしてから半月後。
 斐斗は突然レンギョウに呼ばれた。
 夕方の無人の神社へ招かれた斐斗は、賽銭箱に腰かけるレンギョウを見つけた。

「どうしたんですか? そちらから接触してくるなんて珍しい」
「いやぁ、久しぶりだったんでねぇ。ここいらで落ち着いて話でもしたいと思っちゃ悪いかい?」

 そんな思いは更々無いであろうことは、昔からの付き合いで理解している。
 スズリとレンギョウの関係が、本体とアナザーなのかと疑いを抱いてしまう。しかし奇跡にそんな分別が無い事は、アナザーの説明を聞いた時に教えられているから、無駄な疑念でしかない。

「俺、立て続けに仕事終えた後です。だから大した用事じゃなかったら帰りたいんですけど」
「もう、冷たいねぇ。ちょいと進化した運命を司る奇跡とは長話に感けてたのに、あたしはそんな時間も与えてくれないのかい? 寂しい男になったねぇ」
「あれはスズリに捕まっただけです。それに、二つの忠告を受けただけって岡部さんから聞いてませんか?」

 その情報をレンギョウはちゃんと聞いている。ただ、この面倒な絡みは挨拶代わりのようなものである。

「やれやれ、冗談もここまでにしとかないと、本当に伝えたい事を聞いてもらえなくなっちまう。じゃあ、早速本題に入ろうか。あ、雑談がしたいなら」
「いえ、本題お願いします」

 間髪入れず、本題を望んだ。

「んもう、少しは変化して真面目が緩めばいいのに。まあいいさ。さて、斐斗を呼んだのは他でもない、アナザーについてだ」
「またですか。アナザー関連の話は色んな所で」
 レンギョウは手のひらを向けて前に突き出した。
「おっと、勘違いしなさんな。今回は斐斗の傍にいるアナザーが誰かを伝えに来たのさ」

『本体は確実に死んでしまう』
 スズリの言葉を思い出し、緊張する。

「今回のアナザー、斐斗には初めてのアナザーだ。そいつは、紛れもなく人間の姿で現れていた。これからもずっと人間の姿のままなんだろうね。けど、運命を司る奇跡の話だと、本体が死ぬんだよね」
「ああ。スズリはおそらく嘘は吐けない。運命の奇跡がそれをさせないだろうから、本当の情報だろう」
「覚えてるかい? 去年の夏頃、丁度こんな神社で奇跡の問題を解決した事を」

 それは、夏澄の友人が怪談じみた奇跡に憑かれ、危うく神隠しに遭いかけた件である。

「あの日以降、あたしはアナザーの問題に着手していった。まだ奇跡の進化時を迎える前だったから、アナザー自体の変化が乏しくて大変だったよ」
「それで、約半年がかりで解決した問題と今回のアナザーとどういった関係が?」

「あたしが請け負った問題は、アナザーが勝手に消えた結末を迎えたのさ。切ない恋物語のようだったよ。二人の少女が一人の少年を好きになったのはいいけど、片方がアナザーであり、思いを伝える事無く自らの素性を知って消えていった。儚く消えるシャボン玉のようだったのさ」
「その問題に半年も?」

「いんや。正確には二か月でこの結果に至ったのさ。いや、それよりも、その一件のおかげでアナザー自体の波長を理解したよ。あまりに特殊すぎる波長だったよ。例えるなら、温泉と水風呂位のすぐに分かる波長だったよ」

 レンギョウが風呂に入れるのか疑問に思うも、岡部が人間界にしっかり干渉しているから、入れるのだと思った。

「ここからが重要だ。その波長をもつ存在が斐斗の周りにいたのさ。その人間と会った時、不思議な奇跡に憑かれてると思ったんだけど、波長を知ってからはそれがアナザーと理解した。その人間は、誰がどう見ても人間にしか見えない。勿論、静奇界の住人の誰が見てもって意味さ。あたしはその人間の動向をコッソリ監視し続けた。あたしが受け持ったアナザーのような顛末を迎えないようにって意味でさ。斐斗にはすまないと思ってるよ。色々苦労していただろうが、私は監視に徹しなくちゃいけなかったから助ける事が出来なかった。まあ、可愛い子には旅をさせよって云うからいいだろ?」

 なぜか良いように纏められてしまったが、それよりもアナザーの話が気がかりで、先を求めた。

「それで、誰がアナザーなんだ」
「その人間は、ずっと斐斗の近くにいた。とは言え、時々会うというようなもんだった。陽葵ちゃんが以前、奇跡不干渉体質という話はしたね」

 斐斗は俄かに信じられなかったが、奇跡と干渉できない体質を陽葵が備えていたらしい。

「その人間は、陽葵ちゃんの事を気に掛けてはいても、自らが人間の奇跡であるが故に近づくことも出来なかった。それが不自然でなく、自然に会えない展開だったため、尚更アナザーと認識しずらかったんだけどね」

 レンギョウは真剣な表情を斐斗に向け、その名を告げた。

「清川夏澄。彼女がアナザーなんだよ」

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