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【中編】 レンズと具現の扉-②

3 浜辺の女性

 扉を閉め、周りの風景が何一つ、隣の刑事の姿さえ視認出来ない暗黒の中に立たされた。
 このような摩訶不思議な体験は初めてで、不安になりながらも周囲を見回すと、暫くして前方から物凄い勢いで風景が迫ってきた。
 それは二人を通り過ぎ、後方にも風景を現した。
 その現象は、まるで元々あった風景に自分達が到達したかのようであった。

 どのような場所に立たされたかと思いきや、特に変わり映えの無い、普通の浜辺であった。
 潮風に運ばれる匂いは、薄ら生臭さの混ざった、しかし、嫌な想いのしない、海の匂いと誰しもが判断できる匂い。
 靴で踏み込むと少し沈む、ザクザクと音のする砂浜。
 近くの防砂林が騒めかせる葉音。
 不自然な所が一つも無い、まぎれもない砂浜。ただ、何処かが分からないだけである。

「刑事さん。どこ行くんですか?」
 刑事は、所々開けた場所のある防砂林内へ踏み込んでいった。
「俺はここの全容を調べるから、お前さんは浜でも歩いてろ。何かあったら叫べ」

 とはいえ、初めて扉を通り抜け、何のことやらまるで分からない現状において、バルドの出来ることなど、考えても仕方ないくらい不明である。
 命令に従うつもりはないが、バルドは自然と波打ち際まで歩み寄った。

 空は雲の形が分かりにくい程に、一面薄い灰色が混ざった白色の空。
 彼方は濃い灰色をしており、水平線から足元までの海一面、青と言うより、濃い藍色に黒が混ざり、波も少し強く迫っている。その証拠に、所々白波が拝見でき、波の形も横に広く、揺れの上下動もはっきりしている。

 呆然と海原を眺めていると、視界の端。砂浜の一角に人影を捕らえた。
 バルドは視線をその人物へ向けた。
 白い服に白いズボン。髪は金髪だが、この天気からか輝きは無く、時々風に靡いている。
 バルドが近寄ると、胸部の膨らみ、姿勢、顔立ちから女性だと判断できた。

「貴女は誰ですか?」

 普通の浜辺なら、こんな質問をした人物が警戒されるだろうが、今は具現の扉を通った世界。
 そこにいる人物への質問の為、不自然な所は無いと思った。それでも、初対面の他人に対し、いきなりこの質問は荷が重いと、後悔が生まれた。

 女性の目は綺麗な青い宝石の様な色をしていた。バルドはその目に引き込まれたが、女性はバルドと目が合うと、目を見開き、何かを呟いた

「え?」
「――――ィオ」

 女性の言葉ははっきりと聞こえない。また、何かを呟くもやはり聞こえなかった。
 女性はバルドの反応を見ると二、三歩後退り、バルドが、待って。と言いかけると逃げるように走った。

 当然、バルドは何が何やら分からないまま彼女を追いかけた。けして疚しい気持ちからではない。
 自分を見て何かを呟いた理由。
 こんなところにいる理由。
 口実が追いかけている間に次々と浮かんだ。

 砂浜を走っている筈が、女性もバルドも土の地面を走っているかのようにサクサク前へ進めた。
 ここは確かに砂浜であった。歩いた時に実感したからだ。
 女性は走るのが速く、バルドが浜辺の中腹辺りに到達した時には、もう林に到達し、バルドが林に到達すると、結構奥まで到達していた。

 諦めずに女性を追いかけると、再び奇妙な事が起こった。

 自身と女性の距離が一向に離れも、縮まりもしないのだ。バルドが疲れて速度を落としたのでも、女性が速度を落としたのでもない。証拠に、そのことに気づいたバルドが止まると、女性も立ち止まった。走ると、再び走った。
 時折こちらを確認する姿を見るからに、バルドについてきてほしいのかとも思えた。

 意味不明な追いかけっこの最中、林のあちこちから、何かが崩れる音が相次いだ。
 地震なら、地面が揺れなければ変だ。嵐なら風が吹かなければおかしい。建物が崩れた? だったら四方八方、遠くから不規則に崩れる音を出す原因が見あたらない。

 立ち止まって困惑するバルドの背後から、右手首を掴まれ、勢いよく引っ張られた。

「崩壊が始まった! 帰るぞ!」刑事であった。

 そこから先は、なるようになれであった。

 刑事に引っ張られるまま進み、元の浜辺へ辿り着くと、来た時には無かった、あの大鷲の彫刻が施された具現の扉がそこにあった。

 浜辺の状況。崩壊とは何か。謎の女性は何だったのか。何を呟いたのか。
 謎だけを残し、バルドは刑事に引っ張られ扉を通った。


 来た時同様、暗闇の中を暫く進むと、今度は急に体が引っ張られる現象が起き、いきなり明るい所へ放り出された。

「時間が早いわ。短編?」女性の声であった。

 バルドがそれを聞いて、周囲を見回すと、元いた書庫のような個室であった。

「お疲れさま。その様子だと、目星の物は見つからなかったみたいですね」
 男性の姿はある。しかし、女性の声の主がどこにも見当たらない。

「いきなり外れくじだ。まだ次いけるな」刑事が男性に訊いた。
「あと一時間半でしたら大丈夫です」
「遅くなったらどうするんだ」
「扉は時間に正確なので、その前に崩壊に巻き込まれるだけ。短時間ですので、今日はもう止めて、夕食の準備か何か、此方の世界で出来る事をした方がいいと思いますが」
「するか」刑事はそう言って、周囲を見回すバルドの手を掴んだ。「もう一回行くぞ」

 まだ混乱中の彼に、刑事は中で説明すると告げ、強引に扉の中へと入って行った。

 扉が閉まると、書斎に残った男性は周囲を見回し溜息を吐いた。

「……一日一度だけ……だったな……」名残りがある様に、呟いた。

4 白く、踊る

 浜辺の時同様の暗闇が迫り、それが明けると、今度はどこかの畑地帯へ到着した。
 一面広がるのは、夏を越し、収穫時期少し前の秋の稲作地帯。
 黄金色まで行かずとも、葉の色と仄かに色づいた稲穂が混ざり、遠景からだと黄色味の強い黄緑色に畑を染め、それが密集する事で、まるで黄緑色の草原のようである。

「刑事さん。さっき言ってた……崩壊って?」バルドは景観よりも疑問の解明を優先した。
「んあ? ああ。崩壊ってのはだな、扉を抜けたこの世界が崩れるってことだ。崩れ方に統一したもんはなく色々だ。巻き込まれても死にはしない。別の国か、大陸かに飛ばされるだけだがぁ…。まあ決まってるのは国か街の近く。人のいる所だ」
「じゃあ、さっきの――」
 言いかけて、刑事に、しっ。と黙らされた。

 前方から、ボロボロの着物を羽織った男性が現れた。その様子から、二人は直感で危険だと判断した。

 ボロボロの衣服を纏っているのもそうだが、顔、手足、衣服の裂け目からチラチラ見える肌。
 その全てが真っ白。
 血の気の抜けた人間の死体よりも真っ白。
 その白い肌は、人間がどのような状況であっても染まらない真っ白な、まるで白壁や白布のような、白絵具でも塗っているかのように見えたその人物は、上半身を上下左右に、右足を出せば右後ろに反り返り、左足を前に出せば左前に倒す等。
 動きに一貫したものは無く、前に進むことさえ困難な動きで、ユラユラ、クネクネ。不気味に踊っている様子で迫って来た。いや、二人との距離があまり縮まっていない事から、迫っているとは強調しすぎである。

「とにかく逃げるぞ」

 刑事の後を追って、バルドは走った。

 丘を越えると小さな町を眼前に捉えた二人は、そこへ逃げようとしたが、そこへ向かう一直線の幅広い道路の端々の畑にも、ボロボロの衣装を纏い、全身真っ白な、老若男女様々な人間達が不気味に頭を垂れて、全員こちらを向いていた。
 恐怖を感じたのも束の間、一同はこちらに気づいたのか、先ほどの男性のように体をくねらせて進み始めた。

「刑事さん、突っ走りましょう!」
「しかねぇな!」
 幸い、どの人間も動きが遅く、道路を突き抜けている間は、誰一人として二人を捕らえる事が出来なかった。

 町の入り口から振り返ると、上空には筋雲が流れ、時折強く吹く風は稲穂を騒めかせた。
 一見すると長閑で壮大で、心和む風景だが、存在する事が不自然極まりない不気味な存在が、風景を気味の悪いものへと変貌させた。

「振り返るな。こっちへ来い」

 刑事に引っ張られ行き着いたのは、町の一角の小屋。中へ入ると、藁が大量に占めていた。

「とりあえずここで休憩だ」
「なんでここなんですか。もっと町中へ行かないと」
 二人の会話は自然と小声であった。
「見てないのか。町中もあの連中が徘徊しているぞ」

 小屋にある小窓からこっそり外を伺うと、あの白い人間達が、二人を捜しているでもなく彷徨っていた。そして、町の入り口からも、何人かが追いついてきて、小屋の前の広場で彷徨いだした。

「仕方ない。ここは崩壊に巻き込まれて帰るしかないな」
「でも、崩壊に巻き込まれたら遠くへ飛ばされ――」
「仕方ないだろ。あんな連中相手に、どうやって逃げるんだよ」

 言ってる最中、刑事はバルドを藁へ押し付け、自分も大量の藁を掴んで体にかけた。
 二人が藁で覆われると、小窓から、一人の男性が中を覗いて来た。

 頭を傾げ、顎を上下し、時折、歯か、舌を上から下へ弾いての音か、何かを鳴らし、中を確認した。そして、入口の戸を開けようとするが、刑事が前もってつっかえ棒をしていたことで戸が開かず、真っ白い男性はどこかへ行ってしまった。その際、一連の動きにより、腕や身体が何度か小屋の壁にぶつかった。
 けして恐怖を与える意図があるとは思えないまでも、現状が無意識に与えたその音に反応し、恐怖を増長させた。

 藁を退け、二人が安堵の息を漏らすと、またあの浜辺で聞いた、何かが崩れる音が聞こえた。

「ようやく始まった。残念だが、こんか――」
 突然、刑事の姿が消えた。

 バルドが何度も刑事を呼ぶも、刑事は一向に姿を見せなかった。同時に、遠くから聞こえていた崩れる音も止んだ。
 この状況で予想出来る事は、この不気味な世界にバルドは一人取り残されてしまったという事だ。

「やれやれ、ようやく一人になったか」

 それは藁の中から聞こえ、バルドは咄嗟に藁から離れ、反対側の壁へ寄った。そして、手探りで近くにあった木の棒を手に取った。

「あ~、焦るな焦るな」

 素っ頓狂な声に、藁から伸ばされた手ぶり。バルドの警戒は緩んだ。
 藁から出て来たのは、服装から農作業をしていそうな装い。藁が口の中に入ったのか、出てくるなり唾を吐く様に藁を吐いた。

「……どなた…で――?!」それよりも気づいた。男の声量に。「いや、声!」
 小声で精一杯に声を上げて黙らせようと迫った。

「ああいい。気にするな」
 男はバルドの静止を無視し、小屋のつっかえ棒を取り、外へ出た。

 なんと無謀な事をしているんだと、バルドは男の襟元を掴みにかかった。しかし、掴んで引っ張ろうとしたが、逆に腕を掴まれて外に引っ張りだされた。

 外には、当然真っ白い人間達が徘徊しているが、焦るバルドを他所に、男に焦りの色は一つも滲んでいない。むしろ、堂々と、懐に手を突っ込んで胸か脇を掻いていた。
 白い人間達は、当然二人に気づくとみるみる寄って来た。

「――! 早く逃げないと!」
「んな焦んなさんな。なんであいつらが襲ってくると思ったんだ?」

 言われても、あんな姿、奇妙な行動で近寄って来れば、誰だって身の危険を感じる。
 そうこうしている内に、白い人間達は手を伸ばせば届くところまで来ていた。

 迫る恐怖と、何をされるか分からない緊張、更に焦りが、バルドの心拍、体温を上昇させた。
 そんな姿を男は、白い人間達に身体をぺたぺたと触られながら、観察するように眺めていた。

 バルドの傍に寄った人間達は、男と同じようにバルドの身体中を触りだしたが、バルドの不安、恐怖は中々消え去らないことに関係なく、人間達はそれ以上何もしてこなかった。

「な。何ともないだろ?」
 男の身体を触っていた人間達は、次々に去って行った。
「お前さん。見た目で色々判断しすぎたな。いや、思い込みが優先しすぎての防衛本能か?」

 バルドの周囲の人間も、次第に去って行った。

「あの、貴方は一体? ……ここの住人ですか?」

 具現の扉の世界にいる人にそんな事を聞いても仕方ないと、言ってから気づいた。

「ん? 俺は……まあ、今言っても分からんだろ。そりゃそうと、お前さん、何処からここへ来た?」
 何処から。訊かれても、この世界へ来た方法が特殊すぎて、どう伝えればよいか戸惑った。
「あ、いいや。その服装、トルノス辺りか、その近辺。具現の扉から来たな」

 まさか、見抜かれるとは思わなかった。しかも扉の中の世界の住人に。

「おじさん。何者?」
「まあ、時間が無いからその話はおいおいな。それよりお前さん、今自分が置かれている状況、何処まで分かってるんだ?」

 そうは言われても何も分かっていない。むしろ、質問の範囲がまとまらず、謎が増える一方で、何をどう答えていいかすらも分からない。
 そうこうしている内に、周囲から再び崩れる音が聞こえて来た。

「ええい、こりゃ面倒な状況だな」男は頭を撫でるように掻いた。「とりあえずこれだけは言わせてもらうぞ」

 バルドは男の言葉に集中した。

「今のお前は自分が見えていない。それこそ、何をしにここへ来て、何を目的としているか、なぜこうなったのか。それと、お前さんの周りの連中が何かしら関係している。それをはっきりさせねば、お前さんの問題は」強調するかのように、鋭い視線を向けられた。「一向に前に進まない」

 突然変わった表情に面食らい、言葉が出ないでいると、急に男性の表情が元に戻った。
「まあ、両方の世界で思考し続けろ。どうせ何かしらの形でまた会うだろうて」
 男の締めの言葉に合わせてか、バルドの足元が崩れ、バルドは巨大な大穴へ落とされた。

 気を失うように視界が途絶え目覚めると、トルノスの崖の上の湖沿いで目を覚ました。
 先に消えた刑事も同じところに飛ばされたらしく、バルドより先に目を覚まし、衝動的に湖で泳ぎたくなったらしく、全裸になって優雅に泳いでいた。

 バルドが目を覚ました時、刑事の遊泳も終わり、細身ながらも隆々な筋肉の引き締まった肉体が、陽光の輝きと陰りで彫りの深みを明確にさせ、更に水滴と濡れた部分に艶を与え、綺麗な肉体美を露わにさせた。

 何より目を覚まして最初に見たのが男性の全裸である事に、一瞬、具現の扉内で知り合った男性の事を忘れてしまった。

「お、目が覚めたか」

 下着のシャツで体を拭いていたが、男同士だからか、羞恥心が乏しいのか、股を隠そうともせず、堂々と見せていた。

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