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【中編】 レンズと具現の扉-①

1 レンズ

 【それ】は突如出現した。何の前触れも、異変も、音も無く。
 気候、波、風の揺らぎにも変化を示すことなく、それは姿を見せた。

 形状は凹凸のある楕円形。水晶のように透明ではあるが、硝子や水晶の様な光の反射、乱反射を起こす機能は無く、当然のことながら影が出来ない。


 崖沿いに栄える炭鉱と工芸品の都市【トルノス】
 謎の透明な物体が出現した時、この都市の首相命令により調査隊が組まれ、海上、陸上両方からの調査が行われた。
 透明物体の情報は、瞬く間にトルノス以外の国や都市。大陸を渡った先にも広がり、物体出現の一月後には、物体の周辺で一国の市民を集めたほどの調査隊、軍隊などで埋め尽くされた。

 調査を円滑に執り行うため、物体は【レンズ】と呼称された。

 元々、崖から離れた所に出現したレンズは、各国の軍隊が協力し、崖からレンズに届くまでの巨大な桟橋が建てられた。
 レンズは触れる事ができ、触感はまさに水晶、硝子のように、艶やかで優しく撫でると、さらりと滑り、押さえると、夏にも関わらず寒冷地の岩のようにひんやりと冷たい。

 衝撃、熱、切削。あらゆる方法をレンズに試したが、どの方法においても、傷も変形も見せない。
 そんなレンズの調査に難攻を示した一月後、突如レンズは陸地目掛けて進み始めた。
 速度は老人がよたよたと歩く程に遅いものの、動き始めた日の夕方には陸地へと辿り着いた。

 陸地に拠点を設けていた者達は、避難を優先的に行った。
時間も十分あった事で死傷者はおらず、高価な物資なども大半運び出す事が出来たため、レンズが拠点諸共、陸地に衝突した際の損害も乏しく済んだ。

 レンズは衝突後、氷が解けるように蕩け、その液体が地面に流れると、水よりも早く、水溜りや川などが出来ないまで早く浸透した。
 軍隊、調査隊が引き続き調査を再開するものの、翌朝にはレンズは浸透しつくして無くなっていた。

 芳しい結果も見いだせず、調査費、軍事費だけがかさばったこの一件で、各国は高額な費用を溝に捨てた程の損害を被った。
 徒労に終わり、多くの者達が落胆する中、再びレンズが出現した。
 今度はあちこちで複数個現れ、時期は違うものの、最初のレンズが溶けて消えた二十日後時点の事である。その数述べ三十個。

 こうも奇妙な現象が相次ぐと、当然、厄災の前触れを危惧する者達が現れ、どの国においても、宗教関係者たちが挙って信者を増やし、懇願でこの現象を解決しようと動き出した。
 いろんな神を崇拝する信者が増える一方、不安と畏怖の感情が高まる熱量に反し、レンズは現れては大地に溶けて馴染む。そしてまた、どこかで大量に現れては大地に溶けて馴染むが繰り返された。
 レンズの単純な現象が繰り返されるたびに、レンズ自体の大きさも縮小していった。

     ―― 二十年後 ――

 レンズは自然現象の一部として世の理に馴染んだ。
 出没して溶ける現象は繰り返されるものの、八年前からレンズの縮小は、成人男性ほどの大きさを最後に、統一した体積を維持しつつ、同じ現象が繰り返された。
 何時しか、恐怖と畏怖の対象であったレンズも、
 自然の摂理。
 風水に関連する気流に影響を及ぼす物体。
 神、精霊の類。
 など、思われることも様変わりした。

 更に五年後。
 各国では、異常な現象が発生した。
 それは様々で、幽霊が出没したり、気候の突然変異が起きたり、望みの夢を見たりと多種に及ぶ。
 色々な調査が行われた結果、有力説として、その土地の信仰する神。根付いた神話等に、溶けたレンズの気流が影響を及ぼしたと、現象に結論付いた。

 奇怪とも言えるが、人的に害意のない現象も、人々の生活の微々たる愉悦の一端となった。
 そしてトルノスにも、その現象の一端が現れた。

2 具現の扉

「初めまして。君がバルド君だね」
 屋敷から出て来たのは色白い肌、少々垂れ目に細い銀縁眼鏡の男性である。
 衣装は上が白い半袖シャツにチョッキベスト、濃紺のループタイ、下は紳士服のズボン姿。
 この男性は、挨拶を済ませるとバルドを屋敷内へ案内した。

 トルノスの雄大に聳え立つ絶壁の一角、不自然な部分が出来上がっていた。まるでその部分だけどこかの森をくりぬいて取り付けたような、二十本程の木々が密集して生い茂り、不自然とばかりに佇んでいる。
 なかなかに大きな屋敷を包み隠しているようであった。

 屋敷は煉瓦の壁、赤銅色の瓦屋根。
 周囲は木と崖が柵替わりとなっているが、表の芝生の庭と、崖内部の洞窟を登り出て来たところと、庭の芝生の区切りのように木の柵が設けられていた。

 白昼に、夏から秋へ変わる季節風が吹く今日。
 周囲の木々が、ざわざわと心地の良い穏やかな雑音を響かせ、隙間から注ぐ木漏れ日も、それに合わせ光が揺らぎ、清々しくも穏やかな雰囲気を演出している。
 その雰囲気と、清潔感が表れる男性自身の醸し出す雰囲気とが合致し、空間そのものが、穏やかで心地よい印象を与えた。

 バルドの近所で噂されていたこの屋敷は、本当は人が住んでいない幽霊屋敷で、そこに住んでいる紳士服の男性は、実は死神の化身である。
 良くない噂はこの屋敷の事を面白そうに気味悪がる子供達の怪談話に過ぎないが、大人たちは、昔からある不思議な屋敷ぐらいにしか感じていない。
 この大人と子供の意見の違う噂が、何も起こらず不思議と屋敷の存在を成り立たせている状況もそうだが、バルドは他にもいくつか、不思議に思う事が増えていった。

 まず、入口から見た屋敷の大きさは、中々立派な造りをしていたが、中に入って更に驚いたのが、屋敷は人が住む様な造りをしているのではなく、書斎と大広間を合わせたような。
 いや、図書館の本棚を取り除き、壁沿いに本棚を点在させ、二階の踊り場に小型の図書館を設けたと言わんばかりに本棚が密集している。あとは、建築上の都合のように柱が四本、等間隔に建てられている。

「ここは元々トルノスの富豪達が集まる社交場だったんだよ。けど、大昔の嵐により屋敷が半壊。もう社交場として機能できなくなり、ここにあるものが出来た。それを護る為、元々柱の無かったところに柱を設け、屋根も飛びにくい頑丈なものが出来たんだ」

 男性は何も聞いていないのに淡々と屋敷の生い立ちを説明した。

 とはいえ、この屋敷から人が出入りしたところを見たことが無い。
 情報から察するに、目の前の男性はここに住んでいる事になる。
 なら、食事は? 水は? 風呂は? もしかして、風呂に入っていないのでは?
 疑問はすぐ男性に見透かされたように説明された。

「この屋敷には人の出入りが見受けられない。なら、私が幽霊ではないか? かね。それとも、水も食料も無いのに、どうやって生活しているとか。思ってるだろ?」

 素直に頷いた。それを見て男性は軽く笑った。

「この屋敷は、あの入り口だけが入口じゃない。他に三か所外に出る所があってね。一つはここから崖上の湖付近に出る洞窟。まあ石段を登るだけだから、階段としとこうか。あと二つは、裏庭へ出る所、もう一つは崖下へ降りるための下り坂。地元の子供が立ち入り禁止の場所へ繋がっているから、それを知らない子供達は、屋敷で怪談話を拵えて楽しんでいる」

 これが屋敷の怪談の絡繰り。
 元は社交場。倒壊して必要だから立て直した。
 民家でないから人の出入りがほぼ無く。
 出口は他にあるから、実際出入りしても気づかれにくい。
 あと、大人たちは子供の話を面白半分に聞く習慣が出来上がっている為、真実は子供達になかなか知られない。
 もしくは、暗黙の了解のように、子供に真実を知られないのか。

「まあ、子供には黙っているという習慣めいたものは、昔から続いてるから。私もいろんな人に子供の夢を壊すから黙ってろ。と、念押しされた事もあった」
 またもや男性は、バルドが浮かんだ疑問を見透かしたかのように、的確に怪談話のオチを語った。


 案内された場所は大広間の最奥の扉の向こうの部屋。
 書斎の様な部屋である。

 部屋の最奥に、羽を広げ滑空する大鷲と、後方の何かに気づき、飛び立とうとする大鷲の、左右対称でない彫刻が施してある大きな木製扉が、書斎の主のように存在した。
 扉の端にも、波打つ部分と、三つ編みの綱の、垂れ下がったような彫刻が施され、全体に光沢が施され、艶やかで黒みがかった茶色の色合いが重厚感を感じさせる。
 作品の意図も何も分からないが、仰々しくも不思議と引き込まれるような、そんな扉であった。

「具現の扉。こんな形をしているが、扉事態は何も不思議では無い、ただの木の扉だ。この向こうにあるモノと、こちらを隔てる扉が普通の造りなのが嫌だと言った職人さんが、一年か、二年か。まあ、長い年月をかけて造った扉なのだよ」

 なぜこのような模様? と思うと、また男性の見透かし力が働いた。

「トルノスは工芸品に関しちゃ、他国が中々勝てない程の職人の都市だったから。当然作者の世界観がしっかり現れたのだろう。まあ、模様の良し悪しは見た人の感性任せなのだが……」

 そして男性は扉の説明を始めた。

 具現の扉。先に男性の説明があったように、扉事態はただの扉だが、扉の向こうにその本質が存在する。
 中に入った者は別の世界へ向かう事になる。それは一国であったり、村や町、大都会の一角、どこかの長屋、宿舎、部屋、学校や病院など、広かったり狭かったり様々である。
 そんな場所へ飛ばされる。

「さて、なぜバルド君は自分がそんな所へ来たか。知りたいと思うだろうが。その説明は別の者に任せるとしよう」

 そろそろ来るだろう。そう男性が告げると、大広間の方から革靴で、加工された石の板を並べた床の上を歩く、コツコツという音が、早歩きと判る程に、はっきりと力強く。
 音を聞くからに、焦っているか、怒っているか。その真相が、扉を勢いよく開き、第一声で大方見当がついた。

「おい頼む! 扉を開いてくれ!」

 無精髭に皺の目立つ少し焼けた肌の男性。服装はスーツだが、その職が何か判る腕章を見るからに、男性が刑事である事が判明した。

「またですか。一体今度はどうしたのですか?」
「例のあいつがその扉の向こうへ向かった。上から奴を捕まえるよう言われたんだよ!」
「まさか。扉には厳重に鍵をかけてますよ」

 当然、具現の扉の話である。

「レンズを集めて、別の扉をつくり、逃げたってよ。どうも、レンズの特異性も、その扉の特異性も一緒らしく。よくわからんが、繋がってるらしい」

 刑事の説明に男性は納得し、仕方ない。と呟いてバルドの方に視線を向け、再び刑事に戻した。
 そんなやり取りを見ていても、バルドには何が何やら。
 見事に置いてけぼりをくらっている。

「一つ条件があります」バルドの肩に手を乗せた。「この青年を一緒に連れて行って下さい」
 刑事もバルドも驚いた。
「こっちは事件だぞ! 下手すりゃ――」
 間髪入れず、男性は指摘した。
「具現の扉内で死ぬようなことはありませんし、どんな怪我も痛いだろうが、出てくれば何ともありません。知ってるでしょ」不敵に笑んだ。「それとも……」

 刑事は、男性がバルドの面倒を見るのが嫌な事を見抜かれたと思った。

「ああ~、もういい分かった。連れて行けばいいんだろ!」頭を掻いて鬱陶しさを表した。
 話がまとまると、刑事を先頭に二人は扉を開けて中へと入った。

 扉が閉まる音を確認して間もなく、男性の背後から、コツコツ。と、刑事の革靴の音に似ているが、むしろパンパン。と面積の小さい、平たい物が床を叩く音で近寄って来た。

 男性が振り向くと、それはハイヒールで歩み寄ってくる女性であり、上下ともに黒い制服の様な服装であった。

「久しぶりね。また話をして頂けるかしら」微笑んだ。
「待っていたよ。今日会えると思い、新しい紅茶を用意したんだ」

 女性は、男性に案内され、室内に設けてある椅子に腰かけた。

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