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【長編】奇しき世界・五話-2/2 静かな真夏の歪む町(後編)

1 斐一の推察

「……なぜ、お気づきに」
 女将は、“旅館の女将”としての役を崩さなかった。
「気付いたのはほんの今し方。別件の奇跡を対処している息子が、電話で仮説を教えてくれたからです。
”この町の奇跡と広沢夫妻の奇跡は全くの別物であって、何か関係性がある”と。
 話は少々脱線しますが、別件の奇跡はかなり面倒な土着型奇跡の一部が人間に憑いたモノ。解決の手はいくつかあるものの、どれも宿主か腹の胎児達、どちらかの命を奪うものしか我々は手がありませんでした。ですので、別の方法に詳しい者の到着を待ってる最中なんですよ。
 それを踏まえた上で本題に戻ります。その奇跡とは別の、この町の土着型奇跡。しかし、これほど大掛かりな変化を起こすとあれば、それ相応の信仰対象があるか、人の念が密に留まった所でなければならない。しかし条件に当てはまる所が無く、我々はあらゆるモノの認識をズラされたままだ。
 普通なら解決に至る案は、ほぼ思いつかない。それが可能となったのは、我々が普通の旅行客ではなかったから。気付きに至った経緯は、まさしく偶然か運によるものですので、偉そうに”気付けた”と豪語できないのですが」
 女将は溜息を吐いた。
「……後出しでこのような事を口にするのは言い訳がましいのですが、本当ならもっと早く、あなた方にお伝えしたいと思っておりました」視線を寝ている耀壱に向けた。「……ですが」
「書き換えられた奇跡。あなた様を阻んだのはそれですね」
「ええ。彼の波長を感じる限りでは、奇跡に対する拒否反応が強い。ある程度弱い奇跡なら反応しないのでしょうが、わたくしのような奇跡では強すぎて阻まれてしまい、無理に近寄れば彼が壊れてしまいます。あなた方への協力を要請する側が、相手の身内を壊しては本も子も御座いませんからね」
「やはり、それ程強い力をお持ちとあらば、名のある神様では」
「人間の価値観と致しましてはそうなりましょう。……まあ、彼が疲弊した為に現れることが出来るようになった存在を、神、に位置付けるかどうかは甚だ疑わしいですがね」

 この町に来てから耀壱の体質は、若干ではあるものの土着型奇跡に反発していた。その力が積もり積もった上に美野里と出会い、別の反発力が発生した。
 熱中症ではなく、急激な力の消耗による疲弊状態が今の耀壱である。

「さておき、貴方はどこまでお気づきですか?」
 斐一は推理した、二つの奇跡の関係性を話した。
「確証はありません。ですが広沢夫人に憑いたモノは、存在自体が不明瞭ながらも強大で歪んだ力を備えています。その奇跡に深く干渉せず、神であるあなた様方が奇跡で町を変えたという事は、奇跡を起こすことで外界からあの夫妻を隔離している。
 ところが、このような大それた現象を引き起こしていながら、なぜ土着型の定理に反する力を引き起こせたか。それは、本来ある町全体から、一部の地区を隔絶させただけ。時間の誤差、瞬間移動などの情報から鑑みるに、あらゆる空間の一部を模写し、継ぎ接ぎして作り上げた世界、それが私達がいるこの町だ。それ程曖昧な空間でなければあの奇跡を抑え込めないのでしょう。
 それから、先ほど仰った、”耀壱がいなければもっと早く話に来た”という言葉から、隔離期間は我々のような奇跡を対処する存在が来る頃か、広沢夫人が出産するまで。といったところでしょうか」
「……ご明察です。補足させて頂くなら、出産し、あの存在が双子に定着した時、我々は母子共々を抹消する予定でした」
 それを平然と語れるため、町の土着型は強力だと分かる。
 さらに女将が語るには、町に現れた霞んだ人は、本来ある町の住民の残像。耀壱と美野里が出会った力の影響により、土着型の力が安定性を崩された為に現れた存在である。
 黒い存在は、美野里に憑いたモノが分裂の為に溜め込んだ、食した人間の生命力が溢れた事による現象であり、触れた人間の生気を吸う存在でもある。
 今まで、定期的に漏れた生命力が黒い存在を築いて町を徘徊していた。しかし、耀壱と美野里の出会いが、土着型の隔離空間の均衡を崩したように、憑きモノの安定も崩した事で急激に黒い存在が増えた。
 女将の説明が終わると、斐一は病院の事が気になった。

「今、出産が始まってます。息子がそちらの問題を解決に向かってるのですが、母子の抹消を見送って頂けないでしょうか」
 丁寧に頭を下げると、しばらく間を置いて女将が言葉を漏らした。
「……そちらは解決しましたよ」
 斐一はまさかの事態を想定した。
 女将は表情を読んで思っている事を理解した。
「心配には及びません。突如、時間の概念が通じない事態が発生しました。その現象の後、産まれた双子に憑いたモノの力が増大したと思いきや、みるみる内に収束し、安定しました。文字通りの安定。強大で歪な力ではありますが一つの形を得たと言えます」
 そんな芸当が出来る事を斐斗は知らない。広沢平祐に至っては尚更無理である。

 斐一は悟った。その場に現れた人物を。

2 命名

 父親としての最初の仕事、と言われ、正座して構える平祐は緊張した。「ところでお前さん、双子の名は準備していたのかい?」
 レンギョウと平祐から少し離れた所に座っている斐斗は、筆で字を書きながら会話するレンギョウの器用さに感服した。
「え、っと……、ゆうきとみよ、です」
「字はどんな字を?」
 平祐は返答に詰まりながら答えた。緊張具合がよく分かる。
「あー、ゆう、いえ、息子は俺の平祐の祐、しめす偏に右って字の祐に、希望の希で【祐希】。娘のほうは、妻の美野里の美しいって字の美に、夜で【美夜】です」
 レンギョウは文字を一つ書き終え、新しい半紙に別の文字を書き始めた。
「へぇ、美しい夜ねぇ、粋な名前じゃないか。祐希と美夜。今時じゃあ、小難しい漢字を使ったり、風変わりな名前を付けるんだが、あたしはお前さんのような言葉選びをする人間は結構好きだよ。流行に流されない個性。双子に自分達の名前の一字をそれぞれに当てはめるなんて素敵じゃないか」
「あ、ありがとうございます」

 レンギョウは文字を書き終えると、筆を硯の上に置いた。
 書き上がった二文字を斐斗は見ると、その文字の意図するものが何か、まるで分からなかった。

「……お前さんには申し訳ないけど、その名前は無かった事にしてもらうよ」
「――なぜですか!?」
「その名前じゃ、型が成り立たないからだよ」
 書き上がった二枚の半紙を持ち、レンギョウは平祐と向かい合った。
 突き出して見せられた文字を見て、平祐は眉間に皺を寄せて困惑した。
 『鳳』と『凰』。鳳凰を意味するものだと察せる。
「鳳……凰?」
「この文字を名に当てはめるんだよ」
「……どういう、事ですか?」
「名は体を表すって言うだろ。奇跡に絡んだモノは、名前が大きく影響するのさ。”命名”、まさしく命に名前を付け、相応の型を築く作業だよ。
 ――鳳凰。お前さん、どういう存在か知ってるかい?」
「アレですか? 朱雀とか、不死鳥とか」
 レンギョウは斐斗にも聞くと、同じような答えが返って来た。

「鳳凰ってのは四霊の一体。瑞獣(ずいじゅう)って呼ばれる特別な霊獣に分類されるんだよ。鳳凰、麒麟、霊亀、応竜。これらが四霊。
 さっき言った、朱雀ってのは、四神とか四獣と言われる神獣だよ。朱雀、白虎、玄武、青龍。四霊も四獣も、似てるようだけど全くの別物。
 不死鳥やフェニックス、これらも鳳凰とは別なんだよ。なぜなら、鳳凰は不死じゃないからねぇ。加えてフェニックスは雄だけの生き物で、鳳凰は雌雄があってねぇ。
 ……まあ、御国柄の違う神話の生き物について語った所で、今は意味が無いから、気が向いたら自分達で調べておくれ。
 余談はさておき、鳳凰は幸せの象徴でもある。つまり、悪いモノを払う存在だ。この名前を用いて分裂体をそれぞれ別の存在である型にはめる」

 平祐は即座に名前を作るのは苦手で、祐希と美夜も、何日も考えた名前である。
 レンギョウは、文字を書いた半紙を平祐の前に置いた。

「こちらにいる時間もそろそろ限界だ。そして、子供が産まれる前に名前を決めなきゃならない。産まれる前に、だ」
「なぜ産まれる前に?」
「奴は産まれてすぐ力を暴走させるからさ。この世に新たな分裂体が生を受けた途端じゃ、何が起こるか分からない。それこそ、母体への大きな影響も懸念されるからねぇ」
 平祐は焦った。いきなりこんな難しい漢字を使えと言われても、どんな名前がいいか、まるで浮かばない。
 レンギョウは斐斗を見た。
「斐斗は戻ってすぐやってもらう事が二つある。一つは斐一への連絡。耀壱と一緒にいろと伝えてくれるかい。最悪の事態になっても一日はまあ、無事だろうさ」
「でも、圏外で」
「連絡位、あたしがちょいと手助けしてやるよ。ただし、長くは無理だから、端的に用件だけ伝えなよ。それが終わったら二つ目。リバースライターで腹の双子に名前を定着させな。『これがお前達の名前だ』ってね。それで一件落着だよ」
 告げると、ゆっくりと立ち上がった。
「時間だ。腹を括りなよ」
「――ちょ、待って!」

 間を与えず、平祐と斐斗は元の世界は戻った。そして、場所は分娩室の中である。
 出産に立ち会ってる医者と看護婦達には、平祐と斐斗の姿が見えてないようで、緊迫する出産場面であった。
「美野里!」
 平祐が、看護婦のいない美野里の傍まで寄った。
「――平……――祐――く、ぐ、ぐううぅぅ――」
 出産で苦しむ美野里には、平祐の姿が見えてると思われる。
「広沢さん、早く名前を!」
 斐斗は、いつでもリバースライターが出来る準備であった。
「広沢さん、もう少しですよ! 頑張ってください!」
 看護師も医者も、美野里を応援する。

 もうすぐ産まれる。
 早く名前を決めなければ、何が起こるか分からない。
 平祐は、焦りと緊張と、町で起きた事件や、美野里が変貌した姿など、頭の中で色んな情報が混ざって渦を巻いている。

 『鳳凰』の文字を使って名前を作らなければ。
 どんな名前?
 男児と女児。
 どっちにどの字?
 色んな悩みが激しく巡る。

「広沢さん、もう少しで頭が出ます! 頑張って!」医者が言う。
「広沢さん、早く!」斐斗が急かす。
 平祐は、美野里を見た。すると、苦しむ彼女が、平祐を見て微かに笑みを浮かべ、頷いた。
 途端、平祐の脳内で二つの名が浮かんだ。
「名前は――」
 告げると、すぐさま斐斗はリバースライターを使用した。


 斐斗は暗く、赤みのある空間へ佇んでいた。
 眼前には、黒と紫色が混ざる塊が二つ並んでいた。その物体はみるみる膨らみだし、それらが双子に憑いた存在だと咄嗟に分かった。
 時間が無い。
 斐斗は二体の化物に向かって叫んだ。
「お前達の名は! 真鳳と凰太郎だ!」
 すると、二体の物体は、急激に収束し、その後ろから後光が差して輝きだし、空間全体を照らした。
 斐斗は眩しさのあまり目を閉じた。


「おい、――おい」
 平祐に揺さぶられて目を覚ますと、病院の分娩室前の長椅子に横たわっていた。
「広沢さん……――っ! 子供は?」
「無事産まれたって……」
 安堵から、平祐の眼に涙が溜まった。
 通路全体を見ても、黒い存在も霞んだ人もいない。
「斐斗、ちょいと報告だよ」
 姿の見えないレンギョウから声を掛けられ、指示を聞いた斐斗は、平祐に、少し離れると告げて姿を消した。


 レンギョウのいる世界は、どこかの屋上であった。
「……ここって……」
 周囲を見回す斐斗へ、突如背後から声がかけられた。
「ここは病院の屋上だよ」
 振り返ると、レンギョウは珍しく立って待っていた。
「咄嗟の事ながら、あの男は良い名前付けるじゃないか。【真鳳】と【凰太郎】。鳳凰は、鳳が雄、凰が雌ってなってるが、まさかの逆で使用されて、ちょいと肝を冷やしはしたがね。存外、上手く定着出来てるじゃないか」
「そんな重要な事、ちゃんと教えてくださいよ!」
「何か起きたら起きたで、ちゃんと手は考えてあったさ。それに、真っ当であれば必ず無事な解決に至るわけでもないんだよ、こういった奇跡はね。今回は上手く定着し、漢字の逆転がどういった成果をみせるか、それが今後、重要視する所だよ」
「それで、それを俺に言いに?」
「まさか、ここへ呼んだ理由は今後の話。あの親子をどうするかだよ」
 その話を聞いた斐斗は、頭を痛めた。

3 聞かれた秘密

 女将は肩の荷を下ろした気分であった。
「厄災のような存在であれ、事が済むと呆気ないものですね」
「あちらは上手くいったようで何より。あなた様はこれからどうなさいますか? 強力な力を孕んだ家族が町に住むなら、再び監視する時の流れに身を置くのでは」
「それはないでしょう。誰かは存じませんが、あのような定着に協力したのなら、以降どういった手順を踏むべきかも算段しているでしょう。目先の災いを一時凌いだだけで放置すると、未知の災いが発生し、未曽有の災害を引き起こすのは容易に想像できます。それを考えていない者が、アレに干渉などできようものでもありませんから」

 説明は省かれたが、そんな災害の卵と化した広沢一家を放置する事は、土着の神を敵に回し、美野里と双子に憑いた化け物を含めて相手しなければならない事態を引き起こすだろう。
 誰であっても、二つ重なった強大な災いから逃れる術は、現代において存在しない。

「あの者達のこれからを考えるのは我々ではなくあなた方です。そして、千堂斐一殿。貴方に至っては、間もなく命の尽き時までをどのように過ごすか、そちらを重要視しなければならないのでは?」
 このような大それた封鎖空間を作り上げる神には、斐一の秘密も見通されている。
「……いつからお気づきで?」
「この町に入った時からですよ。貴方は真っ当な寿命の道から逸れた存在。過去、余命を代償に強引な力の使い方をしたのでしょう。……もう三月(みつき)程ですか。命の限りは」
 突然、勢いよく戸が開いた。
 斐一は、戸を開けた者、叶斗を見て驚きと居たたまれない気持ちが同時に押し寄せた。
 叶斗には黙っていたかった事実。過去、耀壱に憑いた存在への強引な書き換えにより寿命の大半を削った後遺症を。

「……本当か、親父」
「叶斗、これは……」
 どう言い訳していいか、言葉が出ない。
 叶斗は何も言わずに飛び出していった。
「――叶斗!」
 追いかけようにも、追いつけないと思考が働き、無理やり立とうとすると足腰に不可と痛みが走って動けない。

 叶斗が飛び出した後、申し訳なさそうに岡部が入った。
「すまねぇ斐一。話声が聞こえたから、立ち聞きしてたんだ」
 斐一は、土着の神である女将が気付かないとは思えず、女将を見た。
「知ってて話を」
「秘密にしているかは存じておりません。それに、聞かれてはならない話でもないのでは?」
「それは――」
「一晩、この町に居ればどこにいようと安全は保障します」

 話を終えた女将は徐に立ち上がり、入り口へと向かった。

「そうそう」
 部屋を出る前に立ち止まった。
「先ほどの電話にて、そちらの者と共にいれば安全と仰ってましたが」
 耀壱を指している。
「それはもしもの事態に備えてでしょう。ですが、旅館の外は我々の力が働いてます。夜は尚更強い。先程駆けて出たご子息は無事ですが、追いかけてもまともに追いつけるかは補償いたしませんので悪しからず」
 気遣う言葉をかけ終えた女将は、部屋を出て行った。
 叶斗を諭せないもどかしさを斐一は抱えたままであった。

4 一年後の

 勢いで旅館を飛び出した叶斗は、呆然と歩いて海水浴場へ辿り着いた。
 月明かりのおかげもあり、風景の輪郭が見て取れる。
 奇跡で囲まれた町のおかげで、どこを歩いても人がおらず、海水浴場も無人。奇妙ではあるが安全だ。
 無人であっても所々に設置されている街灯には電気が灯り、自動販売機も起動していて、それぞれの灯りには羽虫が飛び回っている。
 防波堤に腰かけた叶斗は、何も考える事無く海を眺めた。

「……叶斗」
 突然、無人の町で声を掛けられ、恐る恐る振り返った。
 自動販売機の前に、男性が一人立っている。うっすらと見覚えのある男性であった。
「えっと……」
 不思議と危機感は働かなかった。
「あ、そうか、まだ俺の事知らないんだったな」
 気安く話す男性が誰か、ようやく思い出した。
「ああ、朝の」
 しかし、叶斗は自己紹介をしていない。どうして自分の名前が分かるかが疑問であった。
「俺、名前言ってないっすよね」
 男性は頭を掻いて悩んだ。
「どっから話しゃいいか分かんねぇな。えっと、ちょい確認だけど、今って俺の子供達が産まれた後でいいんだよな。俺、広沢平祐で、妙な奇跡に絡まれたんだけど」
 斐一と斐斗が解決に当たってた夫婦の事だと分かり安堵したが、その夫が自分の名前を知っている事や、何の前触れもなく現れた事に驚きを隠せない。

「え……ちょい、わけわかんない」
 防波堤から降り、距離を置いた。
「あー待て待て待て、警戒すんなって。一応、お前からこん時の事聞いてっからすっごく不安なのは分かる。俺だって同じ立場でもその気持ちは分かる。けど、安心しろ」
「え、つーか、広沢さんっすか? なんで俺の名前知ってんの?」距離を離す足は止まった。
「ちょいっと信じにくいと思うけど、俺は一年後の俺なんだわ。町の事や斐一さんのこと思い出してここに来て、旅館で妙な女と話してたら、急にタイムスリップっつーのか? 過去に来ちまったんだわ。制限時間ありらしい」
 奇跡が支配している町で、突拍子もない事を口にする人間が現れるとも思えないが、嘘をついてるとも思えなかった。
「過去から来たってんなら証拠見せてよ」

 平祐は証拠となるものを考えた。そして思いついたのは未来の叶斗が付き合う女性、田所光希の事であった。
 出会った経緯、叶斗の力を使用した事など、家族の誰にも話していない事を平祐は淡々と話した。
 眼前の人物は昼間に出会った見知らぬ男性。その人物が約半日程で秘密を見抜き、叶斗の名前を知るなんて考えられない。
 叶斗は恐る恐るだが信じた。

 二人は防波堤に並んで座った。
「……あの、広沢さん」
「名前でいいよ。叶斗はそれで呼ぶから」
 なんだか、妙な気持ちではあった。
「じゃあ、平祐さん……。未来から来てるんっすよね」
「ああ。俺もこんなん初体験だけど、結構普通だ」
「なんか慣れてます? そう見えるんっすけど」
「一応二度目。つっても今日タイムスリップしてるから、慣れちゃいねぇぞ。こうやって話せるのやらお前の秘密を知ってんのは、千堂家で同居した時、お前からそんな話聞いたから」
 いきなり同居する話に慌てて、説明を求めた。
 出産した事で美野里に憑いた化け物が双子にも分裂して定着した。それにより、異変が起きた時の対処を考慮して千堂家へルームシェアする事となった。
 漠然とした平祐の説明だったが、叶斗は納得した。そして、またも自分の知らない所で話を進められた事に腹立たしさが生れた。
「またか」
 つぶやきは平祐にも聞こえた。
「ん?」
「親父も兄貴も、俺をそっちのけで話進めるし、奇跡の仕事が危険ってのは分かっけど、全然話さねぇし、さっきも、親父の寿命が……」声が詰まった。「……俺に教えて……」
 絞り出す声は震えていた。
 叶斗の気持ちを平祐は理解した。
「俺も歳離れた三人姉弟の末っ子でな、兄貴と姉貴と親で話纏めて俺はほったらかし。中学ん時から親、姉弟に何も訊かずに一人で生きた気になるっつー反抗期迎えたわ」
 叶斗は零れる涙を腕で拭った。
「でも叶斗、お前は俺んとこと違う。誤解すんなよ」
 涙目で平祐を見た。平祐は海を眺めて答えた。
「俺は斐一さんからお前ら兄弟について色々聞いたんだわ。斐斗は責任感強くて、叶斗は自分の事を話さなすぎる。いつからかは知らなそうだったけど、俺は何となくだけど分かるよ。話す意味が無いって思ってたんだろ? お前にも力があるのに手伝わせてくれないし話してもくれないから」
 叶斗は頷いた。
「けど意見を求めんのは無理だろうな。斐一さんは巻き込みたくないって人だし、斐斗は兄貴であり斐一さんの跡継ぎってんで自分で背負いこむ。親子揃って本心ぶちまけるのが苦手なんだな」
 さらに涙が溢れ、何度も拭った。
「斐一さんはずっとお前ら兄弟に辛い思いさせたって思い続けてる。お前は丁度反抗期だし、斐一さんの寿命の事も今知ったばかりだろ?」
 叶斗はまた、頷いた。
「それまでは話せてなかったんで、ずっと気を揉んでたんだよ。さっき聞いた」
「……親父に会ったの?」
「ああ、言ったろ二度目って。丁度斐一さんが風呂行く時に飛んで、一緒に入った。お前らの事や、子育てがどんなもんかを教わった。ちょっとの情報で俺が未来から来たって当てた時はさすがの分析力に感心したわ。
 あ、勘違いするだろうから言っとくけど、誰もお前を迎えに来ないのは、町の奇跡が活発に働いてるからで、巻き込まれるリクス回避の為だからな」
 心の奥底で誰か来ることを望んでた気持ちをひた隠して強がった。
「誰も……望んでないし」
 しかし安堵はあった。誰も来ない事が不安ではあったのだ。

「斐斗もトラウマが原因でお前や耀壱を巻き込みたくねぇんだと」
「トラウマって、なんだよ」
「昔、耀壱に憑いた奴を対処した時、状況を悪化させたんだとか。一歩間違えたら傍にいたお前に危害を及ばせたかもって考える時があるらしいんだと」
 叶斗は平祐を見た。
「俺は正直、奇跡ってのがどんなもんかさっぱりだけど、美野里に化け物が憑いたのを見てすっげぇ怖いって感じた。ありゃ、下手打つと誰が死ぬか消えるかしてもおかしくないからな。そんなん相手に生きてりゃ、斐一さんや斐斗の気持ちも分かるんだわ。だから、すぐには無理かもしれないけど、二人を嫌ったり恨んだりしないでくれっか」
 この通り。と加えて頭を下げた。

「……俺」
 平祐は頭を上げた。
「親父の事ずっと凄い人って思ってた。何でも分かるし、お見通しだし、ガキん頃から嘘ついてもすぐ見抜かれるし。頭いい人って思ってたし憧れてた。俺にも力が付いて、親父の助けになるならって思ったけど、全然手伝わせてくれなかった。兄貴ばっかで、悔しいし、寂しいし。でも……それよりも……」
 平祐を見る叶斗の眼から、またも涙がポロポロと溢れた。
「親父が死ぬのは嫌だ」震える声で絞り出した。
 平祐は斐一の死を思い出し、自分も涙が零れた。
 叶斗は俯き、平祐は叶斗の背を摩り、しばらく海を眺めた。
 波の音が、二人の悲しみで揺れる心の安定を、徐々に取り戻させた。

「……残りの時間を大切にするんだ。何にも分からん俺ら家族が割り込んだ生活になるけど、それでも、斐一さんと、心残りのないようにするしかない」
「でも……だって」
「お前は絶対出来る」
 叶斗が平祐を見ると、姿が薄れていた。
「――え? なんで……」
「どうやら時間だ」
「嫌だ。まだ」
「諦めろ。死に別れじゃねぇから、この後の俺に会いたきゃ一年待て」
 叶斗は黙った。
「じゃあ、斐一さんと俺ら家族を宜しくな」
 叶斗は頷いた。そして、平祐は完全に姿を消した。
 同時に、空が明るみだした。町の奇跡が起こした計らいかは不明だが、例の時間変化が起きたと思われる。
 叶斗は徹夜で過ごしているが、少しも眠気を感じなかった。

 徐々に明るくなる海を眺め、これからの事を考えた。

5 感謝

 翌朝、斐斗が病院から戻り、レンギョウから聞いた今後の広沢家について、相談を始めた。
 広沢家の対処案は、今の精神的に不安定な叶斗へ告げるには、さらにストレスを募らせるものであった。
 大して気にしていない耀壱は、斐一と斐斗の説明を受けると、すぐに納得して受け入れた。

 昨晩のやりとりを知っている岡部は、叶斗がこれ以上、苛立ちと怒りを露にすることを恐れて気が気でなかった。しかし、斐一が「おそらく、受け入れてくれる」と、発した。
 岡部と斐斗は言葉の意図が理解できなかった。

 午前八時三十分に叶斗が旅館に戻った。その様子は昨晩の怒りや苛立ちが払拭されたように清々しくもあった。
「一晩頭冷やしてきた」それだけを告げた。
 家族なのに自分だけが知らされていない斐一の寿命についての話しを、改めて斐斗から教えられた。続いて広沢家の話を聞いた叶斗は反抗も見せずに受け入れた。

 流石に違和感を覚えた斐斗と岡部は、一晩の間に何かあったかを叶斗に訊いたが、「なんでもない」と返された。

 ここまで奇天烈な奇跡が絡んでいるのだから、相応の対応をしなければならない。それが広沢一家を千堂家で同居という形で監視する。と、叶斗が考察していた。
 そんな無理やりすぎる解釈で、斐斗と岡部は受け入れたが、やはり解決できない謎にもどかしさを抱いた。
 チェックアウトしてからは、先に叶斗と耀壱が帰宅し、三人は病院へ向かって今後の話を進めた。


 斐一の死後、五年経った現在。十一月十一日午前十時四十分。

 墓地周辺に立つイチョウの木は、葉を黄色に染め、気温も少し寒い程だが涼しい。
 快晴の空、時折吹く微風。墓参りには最適である。

 斐斗は一人で訪れた。
 千堂家の墓石周辺は綺麗に掃除されていて、お供えの花も新しい。
 前日に美野里が花を変えたと言っていたからそれであると思うが、左右で供えの花が違う。恐らく、色とりどりの花は叶斗だと思った。
 斐斗が斐一の命日に墓へ訪れると、斐一が今際に口にした言葉が思い出される。
(すまない。……お前にばかり――)
 残り僅かな時間内で何度も謝られた。

 斐斗に同じ運命を背負わせた事。
 広沢家の面倒事を背負わせた事
 耀壱に絡んだ奇跡を背負わせた事。
 思い当たるのは奇跡に関連した事ばかりであった。

 斐斗は線香の束に火を点けて消し、墓石前の台に乗せ、手を合わせた。
 家族が無事に暮らせている感謝、仕事を無事に熟せている感謝、今の生活が全く嫌でなく、この環境に導いてくれた感謝を思う。

 毎年伝える感謝はまるで、遺言で何度も謝った斐一が斐斗へ向けた謝罪の気持ちを否定し、斐一の行いが良き方向に導いたのだと、伝えているかのようである。

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