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【中編】 レンズと具現の扉-⑦

13 思い出されるモノ

 翌朝、バルドは再び刑事と具現の扉を訪れた。

 昨晩、あの少年と話した記憶と現れた二人の女性、レンズの事について考え続け、夜もいつ寝たのか、何時間眠ったか分からなかった。目を覚ましたのは空の色が明るみだし、周囲の光景が藍色を纏ったかのように、色は分からずとも輪郭だけははっきりとした時であった。

 鼻から吸い込む空気に匂いは無いが涼しく、周囲の雰囲気も静まり返っていた。

 ――次が最後。

 前日、少年に教えられた、未だ誰にも知られてない使用回数。
 焦りはある。しかし、この穏やかな光景が、その焦りが無駄であるかのように、高鳴りを沈めていった。

 バルドは徐々に明るくなる風景を眺め、朝日を眺め、大地の、空の、湖の一日の始まりを、心地よい風を浴びながら眺めた。


 扉が閉まると暗闇に包まれ、そして最後の風景へ出た。

 そこは、かつて一国の城が築かれていたであろう場所。
 城は崩壊し、石積みの柱の一部と壁の一部がそこら中にある。
 朝に入ったはずが、出た場所は満月の夜中。星は見えないが、周囲の光景ははっきりと判る。
 空は暗いが、暮れなずんだ夕方に周囲の物がはっきりと見えるほどに明るい。

「やあ。月夜の廃城へようこそ」

 石段があったと思われる場所に、一人の男性が立っていた。
 何処にも刑事はおらず、その人物も刑事でないことから、人間でない事は断言出来た。

「僕はここのレンズの化身。と言うんだね、今回は。それだよ」

 堂々と自分の正体を明らかにしたその青年を見て、咄嗟にバルドの頭の中である言葉が突然浮かんだ。それは人名であり、その名前をバルドは声に出さずにはいられなかった。

「ヴェルディオ!」

 青年は、訊きなれない名前に首を傾げた。
 名前を叫んだ本人であるバルドも、咄嗟の出来事で混乱するが、ヴェルディオと言う名前に聞き覚えがないと、その時は思った。

「どうやら今回のこの姿は、小説の人物であり、君の知る人物であるみたいだね。そして、そんな偶然がこの扉の中では一致する筈がない。もしするとすればそれは、この作者がそのヴェルディオと呼ばれる人物であるのだろう」

 なぜ? と、訊こうとしたが言い淀んだ。それは、その説明どうこうではなく、ヴェルディオと呼ぶ人物の名を聞くたびに、何かを思い出しそうになるからだ。

「なぜって訊きそうだね」

 もうこの際、心を読まれようとどうしようと、話を進めてくれるのならと、構う気すらも失せた。

「大概の小説は当然、作者が経験した出来事を随所に盛り込むのだが、登場人物達の設定は、作者も踏まえ、作者が望んだ人物を明確にではないが、描写して盛り込むのだよ。処女作など特に。どこかに作者の写しともいえる存在が、容姿か、素振りか、人間性かで描かれている。きっとこの作者もそれを描いたのだろ」

 青年はバルドの元まで歩み寄った。

「さて、長きに渡る記憶捜しも今回で終幕となる。何かを思い出そうとしているが、何かを思い出せそうかい?」

 青年が言葉を発すれば発するほど、バルドの中で何かが思い出される。

 青年の姿、素振り、声色、表情、仕草。その全て、ヴェルディオと呼んだ人物に酷似しているのか、それとも、記憶の中での彼を思い出す鍵となっているのか。
 混乱するバルドは、青年の胸部の衣服を力強く握りしめた。
 その手を青年はそっと掴み、一言告げた。

「怖がらずに思い出すんだ」
 鼻息を荒げ、両目に涙を貯め込んだバルドの様子から、我慢している何かを解き放つと思い、青年が選んだ言葉がそれであった。
 その一言が、バルドの中で何かの枷を外した。
 服を握りしめた手は外れ、その勢いで青年を抱きしめた。

「ヴェルディオ! 許してくれ! すまなかった。俺が、俺が……お前を――」

 当然、レンズの化身である青年は、バルドが詫びる相手では無い。
 青年は事情を知らないが、戸惑いも、呼び止めも、拒絶もせず、バルド同様、今度は青年がバルドを抱きしめた。
 青年の計らいにより、バルドはヴェルディオのとった行動と錯覚して泣き叫んだ。その叫びに、世界が反応し、瞬く間にそこら中にひび割れが発生した。

 その亀裂は瞬く間に地面、周囲の木々、夜空に満月に広がりを見せ、最後の一押しと言わんばかりのバルドの叫び声に反応して、砕け散った。

 世界が硝子細工の様に、呆気なく砕け散った。

 そして、バルドは暗闇の中へ放り出され、意識が飛んだ。

14 研究の末路

 ――レンズとは、個体としての形を持たない【融解性干渉物質】である。
 それを決定づける証拠は無く、状況判断による仮定でしかない。私の理論を立証させるために、私はレンズとの接触を試みる事にする――

 その日、バルドは調査日誌を書き終えるとレンズの調査に向かった。

 レンズは未だかつて、その詳細がはっきりと判明していない未知の物質であり、その物質に魅了され、小さなきっかけでもいい。何かを判明し、世に名を遺す事に励む者達はどの時代においても、後を絶たなかった。

 バルドは十代前半でレンズに興味を示し、勉学に励み、大学を出て、遺跡、レンズ、地質を主に調査する組織へと入った。
 そこに同期で入った人物。名をヴェルディオといい、バルドと同じように勉学に励み、レンズ調査を目指していた。その人物はバルドの体格に反し、筋肉質でレンズの知識よりも歴史の知識が上であった。
 両者共に顔立ちもよく、研究組織の女性には好意を抱かれていたものの、ヴェルディオに比べ、バルドは研究を置いて女性と愉しむことをしてこなかった。世にいう仕事人間であった。

 共に研究をしていても、調べ事の大半はバルドが、外部活動をヴェルディオが担う事となった。それは、好意を抱いた女性と婚約し、家族となったヴェルディオが、時間内に家に帰れる為の当然の立ち位置であった。
 彼の妻・アリサは、綺麗な長い金髪、澄んだ青い瞳、色白い滑らかな肌。性格も優しく穏やかだが、仕事をよく熟す全ての好感を兼ね備えたような女性である。
 まるで王家の財宝を見つけたほどに、滅多にいない女性を娶ったヴェルディオは、果報者で勝利者と。調査部隊、研究員たちの間でもてはやされた。

 そんな彼の親友であり、信頼を置ける仲間であるバルドは、よく彼の家へ夕食を御馳走になるなり、子供の相手をしたりした。
 勿論、頭の中がレンズでいっぱいのバルドが、アリサと恋仲になる心配も、不倫する思惑も微塵と感じられず、ヴェルディオも安心していた。

 ある日、レンズが人間の意識に干渉する事態を突き止めたバルドは、研究仲間と共に調査に向かった。
 調査に使われるレンズは、ある森中を抜けようとしたところを利用し、ある電気信号を送る装置の同線を繋ぎ、微弱な電波を送り続けた。それは、人と意思疎通を図るための装置として作られた物である。

 何が起きても、発生する電波が微弱な為、機械自体の誤作動が発生しようと、故障するか小さな爆発を起こす程度であった。
 レンズも創生の歴史から、耐熱、耐寒両方を備え、衝撃、斬撃、打撃などの外部破壊も不可能な物質だという事は判明していた。
 たかが意志を知るための研究と始めたが、結果的には、レンズが何の反応も示さず、失敗したのかと思われた。しかし、その結果が判明されたのは、五日後であった。

 当時、レンズの意志疎通調査へ向かっていた研究員達の傍に、人の頭ほどの大きさはある丸い球体レンズが現れた。
 それは、彼らの行く所々について行きはするものの、なにか害を与える訳でもなかった。しかし、それ程稀な事態が発生した事象を、自分達が無視する訳も無く、再びレンズ研究に再燃した。

 きっかけと思われるのは、あの森中での出来事と思い、再び意思疎通実験を再開した。結果、何も起こらなかった事に変わりなく、暫く彼らはレンズに付き纏われる生活を繰り広げていた。
 この事態の最中、レンズ研究が生きがいのバルド以外の研究員達は、家族の意向、本人の意志により、この気味の悪いレンズを離すため、研究から離れる選択肢を選んだ。

 ヴェルディオの家に呼ばれていたバルドも、レンズに楽しく絡む子供達とは他所に、付きまとうレンズを気味悪がり、バルドと真剣に話し合った。それでもバルドは研究を離れようとせず、代わりに、とばっちりを与えない為に彼らの家へ寄らなくなった。

 研究組織として、同じ職場で働いているヴェルディオは、バルドを心配するあまり、アリサに黙ってレンズ研究員として、バルドの傍で研究の手伝いに励んだ。

 レンズの研究は、なかなか成果を見せない研究の為、何か別の研究、もしくは事務作業を掛け持ってしなくてはならず、当然ヴェルディオも帰宅が遅くなる事となった。
 始めは仕事が変わったからと都合のいいように言い続けていた彼であったが、それが一月もすると、アリサと口論するようになり、職場でも見て判る様に機嫌の悪い日が続いた。

 同時期、バルドは長い髪の、異国の衣装を纏った女性が現れる夢をよく見るようになった。
 その女性とは何をするでもなく、ただ外を眺めるだけであるが、ヴェルディオの機嫌の悪さに呼応してか、女性は目覚め際に、バルドへ罵声を浴びせる様になっていった。

 それは、一度現れると一度言われるように、彼女を見るたびに告げられ、そして目を覚ますと、すぐ傍にレンズが浮遊していた。
 その女性がレンズの化身のように思え、次第にバルドは自身の傍を漂うレンズに話しかけるようになった。

 二人の研究が急激な変化を見せたのは、ヴェルディオが研究所に寝泊まりをし始めてからである。

 その日彼は、バルド達が森中で行った実験を自分にもさせてほしいと言い出した。

 当然家族のいる彼にそんな危険な実験を行う事を拒んだが、ある夜、彼が何かに憑かれたかのように装置を持ち出し、前もって留まっている事が確認済みの、ある林にあるレンズの元へと向かった。

 そこで銅線を適当に繋げ電流を流し、滅茶苦茶な実験を執り行った。
 出力が高く、それでは電気信号も何もあったものではなかった。しかし、その電流を流しているレンズより、ヴェルディオの方が反応し、歓喜の雄叫びを上げると、今度はレンズに話しかけるようになっていった。

 電流を延々流している間話し続け、装置の蓄電池が完全に切れると同時に、喪失感に包まれたように表情を無くし、言葉も発しなくなった。
 そこから異変が起きた。それは、彼が気を失い倒れると、レンズも彼の上へと落ちた。

 レンズに重さは無く、たとえレンズの行き着いた先が地面であり、その接触地点に立っていようとも潰されることは無く、透明な何かが通り過ぎているほどの感覚にしか体感しない。
 ヴェルディオは潰されることも、怪我を負う事も無かったが、その日を境に目を覚まさない日が続いた。

 病院へ運ばれ、呼び出されたアリサが彼の名を何度も何度も叫び、泣く様を見て、バルドはいてもたってもいられず外へ出た。
 夕方、事の経緯を彼女に告げると、怒りの籠った権幕でバルドを睨み付け、何度も責めた。
 当然バルドは言い返すことなどできない。
 ヴェルディオが自分を心配してレンズ研究を手伝ってくれた事実を話したところで、アリサにとっては最愛の旦那の態度を変貌させ、家庭環境を傷つけ、彼をあのような姿に変えたのはまさしくバルドである。バルド自身の、レンズへの執着であった。

 バルドを責めたのはアリサだけでは無かった。夢の中に現れる女性も、何度も彼を罵り、その度に目を覚まし、まともに眠れない日々を過ごした。
 やがて医者に睡眠薬をもらい、強引に深い眠りへ落ちたものの、薬の効き目が切れた頃には彼女が現れ、罵声を浴びせ、その度にヴェルディオの姿がちらついて目が覚める。

 バルドは疲弊し、脱力し、気力を失った。レンズに対する探求心を失い、自身の傍らを浮遊するレンズを拒んだ。
 時に殴り、時に物を投げつけ、無駄だと解っていても罵声を浴びせ続けた。
 衝撃、打撃。あらゆる外部からの攻撃が無効であるレンズは、バルドの抗いに反し、一向に変化を見せず、他所へ行くこともなかった。

 とうとう、バルドは廃人の様に呆然と空を眺め続ける日々が続いた。
 そんな姿に、同情した数人の研究員達がバルドへの献身的な気遣いに励んだ。
 食事を作り、車椅子へ乗せて気晴らしに外へ連れ出し、レンズ以外の何かに触れさせ、親友ヴェルディオが密かに執筆していた小説を、三冊分全て読み聞かせたりした。
 献身的な介護も虚しく、バルドは一向に回復を見せず、やがて眠り続けるようになった。
 こうして、バルドもヴェルディオも目を覚まさなかった。


 ある日、研究員の中で唯一、四十代前半の男性が、トルノスの崖沿いにある屋敷に、レンズに干渉出来る扉がある情報を手に入れた。
 その屋敷は、今や利用する者がほぼ皆無に近く、回復するかどうか賭けでしかなかった。

 仲間にその話をすると、情報を仕入れた男性はバルドを連れて、崖の中腹に建てられた屋敷へと向かった。すると、具現の扉許可書を男性が取りに行っている間に、車椅子から動かなかったバルドが、勝手に立ち上がり屋敷へ向かった。

 屋敷には管理者と思しき男性がおり、前もって事情を聞いていた為、廃人同様のバルドを、まるで客人のように招いた。

 バルドがいなくなったことに気づいた男性が、遅れて屋敷へ入ると、具現の扉の説明を受け、彼と共に扉の向こうへ進んだ。

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